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「小娘は黙っとけ。わしらはお前につきあってれんけ、もうやめる」
船団長がそう言い放って席を立った瞬間、坪内知佳さんはその背中めがけてウィンドブレーカーを引っ張りました。ビリッと破れる音。次の瞬間、漁師のこぶしが飛んできた——。
2011年、山口県・萩大島。当時24歳のシングルマザーが、荒くれ漁師たちと向き合っていた場面です。
坪内さんはその年まで漁業の経験がゼロどころか、サバとアジの区別もつかず、魚の生臭いにおいが苦手だった「ド素人」でした。それが3歳の子どもを抱えながら農水省に事業計画書を提出し、漁師60人をまとめ、業界の常識を打ち破る「6次産業化」を実現させる——。
本書『荒くれ漁師をたばねる力』は、副題に「ド素人だった24歳の専業主婦が業界に革命を起こした話」とある通り、前例のない挑戦の全記録です。
坪内知佳さんの基本プロフィール
| 氏名 | 坪内知佳(つぼうち ちか) |
| 生年 | 1986年6月17日、福井県福井市生まれ |
| 学歴 | 名古屋外国語大学(中退) |
| 経歴 | 大学中退→結婚・萩市へ→長男出産→離婚・シングルマザーに→翻訳・コンサル業→2010年12月、漁師との出会いから漁業の世界へ→2011年3月「萩大島船団丸」設立・代表就任→同年7月自家出荷開始→2014年法人化(株式会社GHIBLI代表取締役)→全国展開(日本船団丸)→2022年日本テレビ系ドラマ「ファーストペンギン!」のモデルに |
| 主な実績 | 漁業の6次産業化(農水省認定)を実現し1年で黒字化。全国7カ所に船団丸ブランドを展開。日本テレビドラマ「ファーストペンギン!」(主人公モデル・奈緒主演)のモデルに |
| 著書 | 『荒くれ漁師をたばねる力』(朝日新聞出版)ほか |
「難しいことはようわからん。あんたが代表になってくれ」——漁師との出会い
坪内さんが萩に流れ着いたのは偶然でした。大学時代に悪性リンパ腫の疑いをかけられて余命半年の告知を受け(後に別の病名と判明)、人生観が一変。大学を中退し、山口県萩市に住むボーイフレンドと結婚。長男を出産しましたが、数年後に離婚してシングルマザーになります。
家賃2万3000円、冬には凍って水が出なくなる四畳半の部屋。幼い息子と2人きりの生活。翻訳、コンサルタント、飲食店のアルバイト——手当たり次第に仕事をこなしながら、坪内さんは萩市内で少しずつ名前が知られるようになっていきます。
2010年のある日、仕事で訪れた宴席で、萩大島の漁師・船団長の長岡秀洋さんと出会います。漁業の6次産業化(漁師が生産・加工・販売まで手がける)を実現させたい、しかし書類の作成ができない——そんな相談が持ち込まれました。
坪内さんは引き受けます。漁業は全く未知の世界でしたが、「中途半端なことが嫌いな性格」がここでも発揮されます。
農水省への申請を進める中で、長岡さんは言いました。
「法務とか労務とか……決算書も読まれんのに、無理に決まっとろうが。あんたが計画書を作ったんやし、わしら、難しいことはよぅわからん。あんたが団体の代表になってもらえんやろか」
「うん、いいよ」——このひと言で、2011年3月、坪内さんは「萩大島船団丸」の代表に就任しました。当時24歳、漁業経験ゼロ、サバとアジも区別できないままで。
「よそもの」を武器にした情報収集術
代表になったものの、現状を知らなければ何もできない。坪内さんが取った作戦は、意表をつくものでした。
萩の浜辺で、息子と釣りをすることにしたのです。しかも、熟練の釣り人なら絶対に行かないポイントで。
「そんなとこで釣っとっても、小さいものしか釣れんやろうが」
すぐに地元漁師が声をかけてきました。「漁師さんですか? 普段どんなものを獲っているんですか?」——会話が弾み、手作りの漁師メシをふるまってもらいながら、萩の漁業の実情を掘り下げていきます。
「漁師の世界は排他的といわれるが、それはあくまで同業者に対してのことだ。よそものが自分たちに興味を持ってくれるのは大好きなのである」——本書『荒くれ漁師をたばねる力』にはそう書かれています。
坪内さんは萩大島の漁師と萩市の漁師の間に微妙な立ち位置の違いがあることを知り、巻き網漁に対する世間の誤解を知り、漁協との関係構造を知りました。「漁師たちの不満」を徹底的にリサーチしながら、農水省への事業計画書を磨き上げていきます。
漁協との対立、萩中の関係者を敵に回して
6次産業化の申請を進めるにつれ、坪内さんたちへの風当たりは強くなりました。
これまで漁師が漁協を通じて魚を市場に出す仕組みを「自家出荷」に変えることは、漁協や仲買人の利益構造を変えることを意味します。「よそものが何を言う」「小娘のくせに生意気なんじゃ」——周囲からの圧力は相当なものでした。
しかし坪内さんは「闇雲に怖がるんじゃない、冷静に問題を見つめ、淡々と手を打つだけだ」と動き始めます。
万一、萩の市場で魚を流通させられなくなったときのために——県を越えた千葉の業者に事前に話をつけました。燃油も氷も箱も、地元業者が拒否すれば別の地域から手配できると確認しました。そして漁協や仲買人に対しては「敵対」ではなく「ウィンウィン」の提案を持ち込みます。自家出荷で得た収益から手数料を漁協や仲買人に渡す仕組みを作れば、市場全体が潤う——この提案が、やがて反対勢力の態度を少しずつ軟化させていきました。
「漁業」という古い業界の常識に正面から挑んだ坪内さんの姿勢は、他の業界で同じことをやり抜いた起業家にも通じるものがあります。
足の爪がはがれるまで——大阪の飲食街で靴底をすり減らした日々
農水省の6次産業化認定を取得し、2011年7月から自家出荷が始まりました。しかし魚を届ける先が必要です。
坪内さんは大阪へ向かいます。当時、彼女に許されたスケジュールはこうでした——朝9時に息子を24時間保育園に預け、新幹線で大阪に飛び、飲食店を飛び込みで一軒一軒まわり、翌朝まで戻れなければ失格。タクシーに乗る経費もない。多い日は3万歩、歩いて営業先を移動していました。
「当時、私の足の爪ははがれていた」——本書にはそう書かれています。
けんもほろろに追い返される日々。それでも食らいついて20件の顧客を獲得した頃、突然、船団長の長岡さんが「もうやめる」と怒りを爆発させます。冒頭のウィンドブレーカーを引っ張り合う場面です。
漁師に「出て行け」と言われた翌朝、坪内さんは息子を24時間保育に預け、そのままフェリーに乗って高知県へ向かっていました。先進的な6次産業化の事例を調査するためです。高知へ着いた当日中に萩に引き返し、次の朝には秋田へ。「漁師たちと喧嘩したのはもっけの幸い。この機会を利用して……」と書いているあたりに、坪内さんの真骨頂があります。
そして漁師たちは坪内さんが本当に出ていったと勘違いして、次々と電話をかけてきます。
「お願いします。すぐ戻ってきてください」
虚勢を張る彼らが、ひとたび坪内さんが離れると健気になる。「こういうところが面倒くさくもあり、たまらなくいとおしい」——この愛情が、後の全国展開を支える人間関係の核になっていきます。
60人が20人に——2社脱退の危機をどう乗り越えたか
順調に見えた船団丸でしたが、事業開始から2年ほどで危機が訪れます。自家出荷による利益が思ったほど出ず、不満をつのらせた2船団が突然「やめる」と脱退を宣言したのです。
60人近い漁師のうち40人が去り、残ったのは松原水産所属の20人ほど。3分の1に縮小した倉庫はがらんとして見えました。
このとき坪内さんは残った漁師たちにこう語りかけます。
「いま、私たちに反対する人たちは出て行ってしまい、志を一つにする人間だけがここに残った。逆にいえば、同じ未来を見る人間だけが残ったんだから、私たちで絶対に基盤は作れると思う。歩くから棒に当たる。走るから転ぶ。すりむいて痛いのも骨折をするのもそれだけ速く走れている証拠。波だって、下がったり上がったり、それをくり返すから船は前に進む」
この言葉が転換点になりました。残った者たちの意識が高まり、50件にまで減っていた顧客数は再び100件近くまで回復していきます。
「人はみなサイズの違う歯車」——組織論の核心
本書『荒くれ漁師をたばねる力』で坪内さんが語る経営哲学の核心は、「歯車」の比喩です。
「人はみな、色や形やサイズ、立ち位置が違う歯車だ。私は私で頑張るけれど、私という歯車の色やサイズは変えられない。一人で頑張っていても、何も動かせない。でもそんなとき、サイズが違うほかの歯車が来てくれたら、カチッとかみ合って、何かが回り出していく」
漁師と都会育ちの坪内さん。言葉も価値観も環境も、全部違う。母親の言葉を借りれば「異星人同士で話をしているみたい」——それでも、向き合い続ければ歯車は噛み合う。
さらに坪内さんは「自分は女だから」「年寄りだから」「学歴がないから」という言い訳に対してこう語ります。「自分という歯車の色や形やサイズを言い訳にして動かない人がいる。でもそうすると結局そこで力が伝わらなくなるので、誰かがそれを埋めるために過剰に働かなければならなくなる。だから、どんなにちっぽけでも、力がなくても、女であろうと、男であろうと、学歴があろうとなかろうと、その人が与えられているそのポジションで自分の役割を百パーセント果たすという生き方をしなければいけない」。
また漁師に対しては「バタフライ効果」の話もよくしました。ブラジルで1羽の蝶が羽ばたいた動きが、1カ月後にテキサスで竜巻を起こす。「私たちが萩大島でやっていることはブラジルで1羽の蝶が羽ばたくくらいのちっぽけなことかもしれない。でもその動きが、いつかは日本の水産業を動かすくらいの旋風になるかもしれない」。
坪内知佳さんのこだわり
本書『荒くれ漁師をたばねる力』を通じて、坪内さんという経営者の核心が見えてきます。
「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」——萩が生んだ吉田松陰の言葉を、坪内さんは経営の根幹に置いています。誠実さ、相手を思う優しさと想像力、嘘をつかないまっすぐな心——それさえあれば、どんな困難があっても必ず人は動いてくれる。漁協関係者、荒くれ漁師、料理長、消費者——すべての人に誠実に向き合い続けたことが、萩大島での奇跡を起こしました。
「死の恐怖に比べたら、会社が潰れるなんてすり傷のようなもの」——19歳の余命告知体験が、坪内さんの恐れを根本から消し去っています。「たとえ潰れて借金ができたとしても、長期的な経営の視点に立てばどうってことない。この事業がダメならまた別の事業をやればいいだけのこと。何よりも、私たちが一生懸命やって潰れたなら仕方がないではないか」。この確信が、漁師を前に動じない胆力を生み出しました。
「弱音を吐けるのは私だけ」——縦の信頼関係の設計——船団長・長岡さんが部下の前では堂々としながら、こっそり坪内さんにだけ「どうしたらいいんや」と助けを求めてくること。5000万円の網が破損した深夜4時の電話も、坪内さんはつとめて冷静な声で受け止めます。「弱音を吐けるのはごく一部の人間だけ。彼が助けを求めてきたら、喜んで受け止めてあげるのが私の役目」という姿勢が、坪内さんをただのビジネスパートナーではなく「漁師たちの母」のような存在にしました。
坪内知佳さんゆかりの地
山口県・萩大島(すべての始まりの島):離婚直後に海沿いの道を走り、初めてその島影を見た日のことを坪内さんは「一生忘れることができない」と書いています。フェニックスが羽を広げているような雲が浮かんでいた真夏の萩大島——「この空と海さえあれば、ほかにはもう何にもいらない」と感じたその瞬間が、以後の人生の原点になりました。現在も萩大島船団丸はここを拠点として活動しています。
大阪・北新地(足の爪がはがれた場所):飛び込み営業で20件の顧客を獲得するために、坪内さんが靴底をすり減らして歩いた場所です。タクシー代を節約して一日3万歩歩き、足の爪がはがれながらも前に進んだ日々。汗と涙の跡が詰まった顧客リストを見て、長岡さんが号泣したという場面は、本書の最も印象的なくだりのひとつです。
萩市内(四畳半の原点):家賃2万3000円、パソコン1台とプリンター1台だけの狭い部屋で、3歳の息子の隣で「総合化事業計画書」を打ち続けた場所。「冬には凍って水が出なくなるような部屋」から始まった革命が、後に全国7カ所の船団丸ネットワークになり、日本テレビのドラマになります。
坪内知佳さんから学ぶ、3つの教訓
1. 「よそもの」は弱点ではなく、最大の武器になる
漁業未経験、魚の区別もつかない——これが一見の弱点でした。しかし坪内さんは「業界内の常識」に縛られていなかったからこそ、先入観なく6次産業化の可能性を信じ、漁師でさえ気づかなかった問題の所在を外から見抜き、農水省や千葉の業者など「外」へ積極的に手を伸ばすことができました。「よそもので全く馴染みがないのが幸いした」という坪内さんの言葉は、新しい市場に踏み込むすべての人への励ましです。
2. 「誠実さ」が最終的に人を動かす——吉田松陰の言葉が教えてくれること
「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」——萩の地で松陰が若者に伝え続けたこの言葉を、坪内さんは実証してきました。漁協との交渉で啖呵を切りながらも「ウィンウィン」を提案し、荒くれ漁師の弱音を喜んで受け止め、顧客に誠実な品質を届け続ける。喧嘩をしながらも誠実に向き合い続けることで、「小娘は黙っとけ」と言っていた漁師たちが「あの子には逆らえんなあ」と言うまでに変わっていったのです。
3. 「自分という歯車」を動かすことが、世界を変える最初の一歩
「自分には学歴も力もない」という言い訳を、坪内さんは一切認めません。ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を起こすように、小さな一歩が大きな変化の起点になる——この確信が、シングルマザーが国の認定事業者になり、ドラマになり、全国に船団丸ネットワークを広げるという展開を呼び込みました。「歩くから棒に当たる。走るから転ぶ」——まず動くこと、それだけが唯一の答えです。
この記事で語りきれなかった『荒くれ漁師をたばねる力』の魅力
本書には、まだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、5000万円の巻き網破損事件です。深夜4時に「網が揚がらん、新しい網買うのに5000万かかる、どうしたらいいんや!」と絶叫する長岡さんの電話を受け、坪内さんが「ふーん、そうなん。どうにかするよ」とつとめて冷静に受け止めた場面。「まずは船員全員、ケガをさせずに連れて帰ってきて。浜で待っておくけえ」というひと言で長岡さんを落ち着かせたリーダーシップは、経営の肝を突いています。
二つ目は、新人・小西との格闘です。頭がよくて理屈っぽい若者を育てるためにどう向き合ったか——「押して押して押しまくっても伝わらないから、引いてみたら」というアドバイスに従い、「流通部長」という肩書を与えることで人を変えた経緯。「地位が人を作る」という言葉通り、小西さんが変わった日に坪内さんの耳元でささやいた「代表の言っていた意味がわかりました」という場面は、リーダーとしての達成感が生き生きと描かれています。
三つ目は、余命宣告体験と萩への原点です。19歳のとき、悪性リンパ腫の可能性を指摘され余命半年と告げられた衝撃体験(後に別の病名と判明)——この経験が坪内さんの「怖さゼロ」の源泉です。「死の恐怖に比べたら、会社が潰れるなんてすり傷」という言葉が単なる強がりではなく、実際の経験に裏打ちされた確信であることがわかります。
まとめ|坪内知佳さんが教えてくれること
「小娘は黙っとけ」と言われた24歳のシングルマザーが、荒くれ漁師60人をまとめ、日本の漁業に革命を起こす——誰も信じなかったような物語が現実になったのは、理由があります。
誠実さ、諦めなさ、そして「よそもの」という武器を最大限に活かした行動力。
「私たちが萩大島でやっていることはブラジルで1羽の蝶が羽ばたくくらいのちっぽけなことかもしれない。でもその動きが、いつかは日本の水産業を動かすくらいの旋風になるかもしれない」——この言葉通りの軌跡を、坪内さんは現在も歩み続けています。
本書『荒くれ漁師をたばねる力』は、漁業の話ではありません。「素人であること」を武器に、「誠実であること」だけを頼りに前進し続けた一人の人間の物語です。ぜひ手に取ってみてください。
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参考文献:坪内知佳『荒くれ漁師をたばねる力 ド素人だった24歳の専業主婦が業界に革命を起こした話』(朝日新聞出版)
