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「スズキは、メダカよりも小さな蚊のような存在です」
1981年、世界最大の自動車メーカーとの資本提携を発表した記者会見で、鈴木修はそう言い放ちました。「スズキはGMに飲み込まれてしまうのではないか」と詰め寄る記者たちに。
「メダカなら鯨に飲み込まれてしまうかもしれませんが、小さな蚊なら、いざというときには空高く舞い上がり、飛んでいくことができます」
会見場の記者たちは、納得したような、しないような顔でその言葉を聞きました。
それから28年後、GMは経営危機に陥ります。2008年11月、GMから要請を受けたスズキは、同社が保有していたスズキの株式をすべて買い取りました。「世界のGM」といわれた巨大企業が資金難に陥り、「蚊」だったスズキが逆に株を買い戻すという結末を、当時誰が予測したでしょうか。
本書『俺は、中小企業のおやじ』は、社長就任から30年でスズキを売上高3232億円から3兆円企業に育てた鈴木修が、その軌跡と哲学を語り下ろした一冊です。「スズキは中小企業だ」と言い続けた経営者の、したたかな戦略と愚直な現場主義がこの本に詰まっています。
鈴木修の基本プロフィール
| 氏名 | 鈴木修(すずき おさむ) |
| 生年月日 | 1930年1月30日、岐阜県益田郡下呂町(現下呂市)生まれ |
| 学歴 | 中央大学法学部卒業 |
| 経歴 | 銀行勤務→1958年4月スズキ自動車工業(現スズキ)入社。2代目社長・鈴木俊三の娘婿となる。1978年6月社長就任→2000年6月会長→2008年12月再び社長兼務 |
| 主な実績 | 社長就任時の売上高3,232億円を約30年で3兆円超へ。軽自動車トップの地位を確立。インドでのマルチ・スズキ、ハンガリー工場など世界展開を牽引 |
| 逝去 | 2024年12月25日(享年94歳、悪性リンパ腫) |
| 著書 | 『俺は、中小企業のおやじ』(日本経済新聞出版社) |
「危機は25年周期でやってくる」——社長が最初に学んだ教訓
スズキに入社して50年、社長・会長になって30年——鈴木修が本書の冒頭で語るのは、企業経営についての一つの確信です。
「企業は一時的に順調でも、いつまでも順風満帆で成長していけるものではない。周期的に危機がやってきて、それを克服できれば、よりたくましくなりますが、その波に飲まれると成長が止まってしまう」
危機の周期は、だいたい25年——スズキにも25年周期で危機がやってきました。1950年の労働争議、1975年の排ガス規制。そして鈴木が社長になった直後にも、その波は来ていました。
「いまが業績がいいから」「シェアが高いから」といって漫然と過ごしていれば、どんな大企業でもいずれ淘汰される。「世界のGM」でさえ、20年、30年の単位で見れば経営危機に陥ることがある——この認識が、鈴木を常に緊張感の中に置き続けました。
社長就任初年、発売1年延期——「アルト」が会社と市場を変えた
1978年、鈴木修は社長に就任します。しかしこのとき、スズキは組織全体が打ちしおれた状態でした。排ガス規制対応の新型エンジン開発に失敗し、会社全体が自信を失っていたのです。
さらに1977年は、鈴木にとって忘れられない年でした。6月に2代目社長の義父が逝き、10月に創業者の祖父が、11月には現職社長のおじが相次いで病に倒れます。婿養子である鈴木の肩に、すべてがかかってきたのです。
翌78年に社長となった鈴木が最初に直面したのは、開発中の軽自動車「アルト」をどうするかという問題でした。すでに年内発売の予定が組まれていましたが、クルマを見ても「ありふれたクルマとしか思えない」。そこで鈴木は発売を1年延期し、徹底的に見直すことにします。
価格はどこよりも安い、47万円の全国統一価格。「機能が少ない分、法人税がかからないから47万円は実現できる」という逆転の発想でした。
発表会の前夜、外注先の社長の奥さんが突然、家に愚痴を言いに来ました。「うちの主人があるとき、こんなことをしました。また、あるときは、こんなこともやらかしました」と話し始めた言葉にひらめき、翌日の発表会でのキャッチフレーズを考えつきます。
「あるときはレジャーに、あるときは通勤に、またあるときは買い物に使える、あると便利なクルマ。それがアルトです」
会場は沸き、拍手が飛び出しました。発売1カ月目の注文は8400台、2カ月目には1万台に跳ね上がります。
一方、他の軽自動車メーカーの社長から「あれじゃ儲からんだろう」と言われた鈴木は、しめたと思いました。「いや、まったく儲かる見込みが立ちません。大失敗でした」と全員に聞こえるように言う。内心は「これで追いかけてくるところはない」と確信しながら。
アルトはその後5回のフルモデルチェンジを経て、累計477万台余を売り上げる長寿商品になりました。インド市場でも年間34万台を売る最大のヒット車となります。「1台のクルマが会社の運命を変え、市場自体の構造を変える」——この体験が、鈴木の経営哲学の礎となりました。
こうした逆境からの立て直しは、鈴木だけの話ではありません。 他の経営者の事例もあわせて見ることで、より深く理解が深まります。
「死に金は一銭たりとも使わない」——現場主義と小少軽短美
鈴木修が社長になって11年目の1989年から毎年、国内外の工場に対して「工場監査」を実施しています。丸一日かけて工場を隅から隅まで自ら歩き、ムダを探す。本社の役員と幹部は全員参加です。担当が営業でも人事でも関係ない。100人以上がぞろぞろ工場を歩き回ります。
これは「大名行列」ではありません。気になる生産ラインでは課長や班長の説明を聞き、それでも納得できなければ現場の従業員をつかまえて話をします。
工場内のパイプにカラー塗装で色分けしてあるのを見て、「なんでこんなことをするのか」と聞くと「社内規定に書いてあります」という答えが返ってきました。全長数十キロにもおよぶパイプの隅から隅まで塗る必要はない。カラーのビニールテープをところどころに巻けばいい。
「いったん規則ができると、自分の頭で考えずにそれに従う人が出てくる。これが『大企業病』だ」
鈴木のコスト哲学を表すのが「小少軽短美」という言葉です。「死に金は一銭たりとも使わない」というポリシーのもと、重力はタダ、太陽の光はタダ、わざわざコンベヤーを設置しなくてもラインを少し傾ければ自然に流れる——電気代のかかる自動化より、知恵を使った人力の節約を優先します。
「製造業は1円のコストダウンが生死を分ける」という言葉は、精神論ではありません。スズキの連結売上高が3兆円、利益が約900億円、4輪販売が約240万台とすると、1台あたりの利益はわずか数万円。1台1円のコストダウンで年間240万円しか利益は変わらない。しかしその積み重ねが、単価の安い軽自動車メーカーの生死を左右するのです。
「スズキは5分で決断できる」——大企業に勝つための中小企業戦略
鈴木が「スズキは中小企業だ」と言い続ける理由は、謙遜ではありません。「規模ではなく中身が重要」という確信があるからです。
GMとの提携交渉を例に取れば、GMが何か決めようとすれば何十人もの委員会を経て何カ月もかかる。スズキなら5分で決断できる——この「小回りの良さ」こそ、巨大企業には絶対に真似できない強みです。
本書『俺は、中小企業のおやじ』には、スズキの工場設計思想として「うなぎの寝床型工場」という概念が登場します。細長い工場を横に並べ、状況に応じてラインを組み替えられる設計にする。大手メーカーなら「1万台売ります」と計画を立てて、その通りに工場を動かせる。しかしスズキには「売れると思ったクルマが売れず、思わぬクルマが売れる」という中小企業的な見通しの立たなさが日常です。だからこそ、市場の変化に時々刻々と対応できる工場が必要なのです。
GMとの提携、ハンガリー、インド——「小さな市場でもいいから1番になりたい」
鈴木修の経営の特徴は、大きな市場での戦いを避け、「自分たちが勝てる場所」を探し続けることです。
1982年のGMとの提携は、北米市場への足がかりと、クルマ開発の技術を学ぶための「学校」という意味がありました。しかし「飲み込まれる」のではなく、あくまでパートナーとして対等に渡り合う。鈴木は「蚊」と言いながら、実際には着実に力をつけていきました。
スペインのサンタナ社との合弁では手痛い失敗を経験します。労働者をコントロールできず、工場視察に行っても幹部がタバコを吸いながら案内するような状態。100億円近い損失を出して撤退しました。
この失敗から2つの教訓を得ます。「自分でゼロからつくり上げた工場のほうが、人の工場を買収するより最後には大きく成長する」。そして「手離れの悪さが事態を悪化させる。見切りをつけたら早く動く」——鈴木はこれ以降、外国企業を買収しないという方針を貫きます。
そのスペインでの失敗と時期を前後して、鈴木が注目していた市場がインドでした。
1983年、インド政府との合弁で「マルチ・スズキ」を設立。日本の軽自動車サイズの小型車が市場の4割超を占めるインドは、「小さなクルマしかつくれない」スズキにとって、まさに天国のような市場でした。アルトをベースにした車種が年間34万台売れ、スズキの成長源になっていきます。
インド政府との確執、労組のスト、政権交代——数々の試練を乗り越えながら、鈴木は2002年にマルチを子会社化、2007年には「マルチ・スズキ・インディア」に社名を変更します。
「競争にもまれていない会社はもろい」——鈴木が繰り返すこの言葉は、インドでの30年の体験から来ています。
同じく「自分たちが勝てる分野に集中する」という哲学で独自の強みを築いた経営者もいます。
鈴木修のこだわり
本書『俺は、中小企業のおやじ』を通じて、鈴木という経営者の輪郭が浮かびあがります。
「後ろ向きの仕事はしない」——スペイン撤退のとき、「少しでも取り戻そう」とじたばたするより、思い切りよく諦めて新しい仕事に前向きのエネルギーを注いだほうが生産的だという結論を得ました。「後ろ向きの仕事はしない」は、鈴木が事業判断において一貫して守り続けた原則です。
「現場、現物で陣頭指揮をとる」——年に1回の工場監査は、経営者自らが現場に出る姿勢の象徴です。銀行出身で技術者ではない鈴木が、工場を隅から隅まで歩いて「なんでこんなことをするのか」と問い続けることが、スズキを「現場の会社」にしてきた原動力でした。「現場の苦労をわからせ、メーカーとしての原点を再確認する」のが工場監査の目的です。
「販売店の息子を預かる」——独立系の代理店や販売店の子弟を、スズキに無試験で入社させる制度を鈴木は長年実施しました。「怒られて、こき使われて、メーカーの感覚を知って、地元の販売店の跡継ぎとしてやっていく。そうなれば、メーカーと代理店、販売店との意思の疎通が格段によくなる」。この仕組みが、スズキの販売網の底力になっています。
鈴木修ゆかりの地
静岡県浜松市(スズキ本社・第二の故郷):岐阜県出身の鈴木が、58年の入社以来50年以上を過ごした地です。「浜松に来て50年以上経ったいま、私のことをよそ者だと思う人はいません。生粋の浜松人として見ていただいている」と本書に書かれています。徳川家康の「出世城」で知られる浜松には「新しく異質なものを受け入れる気質」があり、それが婿養子の鈴木を受け入れたとも語っています。
インド・ニューデリー(マルチ・スズキの本拠):スズキの成長を支える最重要拠点です。1983年の合弁設立から40年以上、インド政府との確執やストを乗り越えて、マルチ・スズキはインド自動車市場のシェアトップを維持しています。「インドは、このうえなく重要な事業拠点」という言葉は、鈴木の経営の集大成を示しています。
スペイン・サンタナ(失敗の教訓の地):100億円近い損失を出して撤退したスペイン事業の舞台です。「自分でゼロからつくりあげた工場のほうが、人の工場を買収するよりも最後は大きく成長する」という教訓を得た場所でもあります。鈴木はこれ以降、外国企業を買収しないという方針を貫き、すべて自前で工場を建てるやり方にこだわり続けます。
鈴木修から学ぶ、3つの教訓
1. 「蚊は鯨に飲み込まれない」——小さいことを武器にする
GMとの提携発表で「飲み込まれる」と問われた鈴木は、「蚊なら舞い上がって飛んでいける」と返しました。これは言葉の遊びではありません。スズキは意図的に「中小企業でいる」ことを選び続けました。「スズキなら5分で決断できる」「うなぎの寝床型工場で市場変化に即対応できる」——規模が大きくなることへの誘惑に負けず、小回りの良さと機動力を守り続けたことが、GMが破綻した後もスズキが生き残った理由です。
2. 「1円のコストダウンが生死を分ける」——現場を歩く経営者だけが知る真実
30年以上続けた工場監査で、パイプの色分け塗装、不要なコンベヤー、死んでいるスペースを見つけ続けた鈴木の姿勢は、「大企業病」への処方箋でもあります。単価の安い軽自動車でグローバルに戦い続けるには、経営者自らが現場を歩いてムダを指摘し続けるしかない。「重力はタダ、太陽の光はタダ」という発想は、数字しか見ない経営者には絶対に生まれません。
3. 「自分でつくりあげた工場のほうが最後は大きく成長する」——M&Aより自前主義
スペインの失敗から学んだ「外国企業を買収しない」という方針は、当時の常識に反するものでした。しかし鈴木は、ハンガリーも、インドも、インドネシアも、すべて自前で工場を建てることにこだわりました。「企業には独自の文化があって、経営主体が変わっても体質は簡単には変わらない」——時間はかかりますが、自分たちで文化を育てた工場のほうが、買収した工場より強くなる。この確信が、スズキのグローバル展開の基本哲学です。
この記事で語りきれなかった『俺は、中小企業のおやじ』の魅力
本書『俺は、中小企業のおやじ』には、まだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、婿養子としての苦労と「企画室は奇怪室だ」発言です。入社してすぐ配属された企画室で、現場と遊離した数字ばかりいじるテクノクラートたちに反発。工場の桜の木を勝手に切り、「就業規則違反だ」と吊し上げられながら、「企画室は奇怪室だ」と言い放った若き鈴木の姿は、のちの「現場主義」の原点です。
二つ目は、1年間で2〜3万台売れながら翌年にはクレームの嵐だったアメリカでの苦労の話です。クレームの原因を探っても浜松は「そんなことはありえない」と取り合わない。現地で孤軍奮闘しながら、グローバルビジネスの怖さを肌で学んだ時代が克明に描かれています。
三つ目は、娘婿の小野との最後の場面です。インドでの仕事を終えて緊急帰国した鈴木が、病床の娘婿に仕事の結果を報告し、最期に握手を交わした場面は、本書の中で最も個人的な場面です。経営者である前に、家族を大切にした人間としての鈴木が、ここに書かれています。
📚 [俺は、中小企業のおやじ(日本経済新聞出版社)を読んでみる]
まとめ|鈴木修が教えてくれること
「スズキは中小企業だ」——売上高3兆円の会社の経営者がそう言い続けることに、当初は違和感を持つ人も多かったかもしれません。
しかしこの言葉には、鈴木の経営哲学のすべてが凝縮されています。大きくなることへの誘惑に負けない。現場を歩き続ける。自分の手でつくり上げる。小回りの良さを失わない。
蚊は鯨に飲み込まれなかった。世界のGMが破綻した後も、スズキは3兆円企業として走り続けています。
「生涯現役として走り続けるんだ」——本書のサブタイトルにある言葉は、90歳を超えてもスズキの経営に関わり続けた鈴木の、文字通りの宣言でした。
本書『俺は、中小企業のおやじ』は、「大企業に勝つための中小企業戦略」として、規模に関わらずすべての経営者が読むべき一冊です。ぜひ手に取ってみてください。
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参考文献:鈴木修『俺は、中小企業のおやじ』(日本経済新聞出版社)

