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「薄暗く、おじいちゃん、おばあちゃんしかいない工場。家業が嫌だった」
能作克治さんの長女で現専務の能作千春さんが、そう語っています。かつての能作の工場はそんな場所でした。
転換点は、ある母親のひと言でした。めずらしく小学生の男の子とその母親が工場見学に来たとき、母親が息子に聞こえる声でこう言ったのです——。その瞬間、能作さんは凍りつきました。
「なんとしても、職人に誇りを取り戻したい」
そこから能作さんが動き始めた経営改革は、2002年の社長就任から20年足らずで、社員数15倍・見学者数300倍・売上10倍という「富山の奇跡」を生み出します。
本書『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!』は、高岡の片田舎の下請け鋳物メーカーが、自社ブランドの開発・産業観光・人材育成の三本柱で劇的な変貌を遂げた全記録です。「社員教育をしない」「営業部門がない」「計画を立てない」という常識外れの経営が、なぜ機能したのか——。
能作克治の経営思想を一言で表すと「伝統は守るものではなく攻めるもの、やりたいことは全部やる」である。400年の歴史を持つ高岡鋳物の技術を守りながら、世界初の錫100%食器や産業観光という全く新しい市場を自ら切り拓いた姿勢が、この言葉に凝縮されている。
目次 表示
- 能作克治さんはどのような人物か(基本プロフィール)
- 「旅の人」がなぜ高岡一の鋳物職人になれたのか
- 「ハンドベルは30個、風鈴は3000個」——なぜ失敗が次の成功を生んだのか
- 「曲がるなら、曲げて使えばいい」——世界初・錫100%食器はどうして生まれたのか
- 「社員教育をしないほうが、社員が早く育つ」——なぜ能作はマニュアルも強制もしないのか
- 「営業部門がない」——なぜ営業しなくても売上が10倍になったのか
- 「見学者無料」でも黒字になるなぜ産業観光が能作の成長エンジンになったのか
- 能作克治さんのこだわりとは?
- 能作克治さんゆかりの地とは?
- 能作克治さんから学ぶ、3つの教訓とは?
- この記事で語りきれなかった『踊る町工場』の魅力とは?
- まとめ|能作克治さんが教えてくれること
- よくある質問
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能作克治さんはどのような人物か(基本プロフィール)
| 氏名 | 能作克治(のうさく かつじ) |
| 生年 | 福井県生まれ(詳細非公開) |
| 学歴 | 大阪芸術大学卒業 |
| 経歴 | 大手新聞社カメラマン→結婚を機に1984年能作入社(婿養子)→18年間職人として鋳物技術を習得→2002年4代目代表取締役社長就任→錫100%食器・産業観光などで急成長→現在も代表取締役 |
| 主な実績 | 世界初の錫100%テーブルウェア「KAGOシリーズ」開発(2003年)。MoMAデザインストア認定(2008年)。ものづくり日本大賞経済産業大臣賞受賞(2013年)。年間見学者12万人の産業観光拠点を構築。社員数を入社時の約10人から160人超に拡大 |
| 著書 | 『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!』(ダイヤモンド社) |
「旅の人」がなぜ高岡一の鋳物職人になれたのか
能作さんが能作に入社したのは1984年。大手新聞社のカメラマンから一転、年収は3分の1以下になりました。鋳物の知識はゼロ。1200度を超える真鍮(しんちゅう)を扱う現場に飛び込みました。
しかし「旅の人」であることが、思わぬ強みになります。
富山県では、県外出身者を「旅の人」と呼びます。同業者には絶対に口外しない固有の技術・技法を、地元の職人さんたちが能作さんには教えてくれたのです。「話しやすかったのか」と能作さんは振り返ります。
18年間、ひたすら職人として技術を磨き続けた能作さんは、入社10年が経った頃には多くの問屋から「能作は高岡で1、2を争う鋳物屋」「能作につくれないものはない」と評価されるまでになっていました。
ただし、この下請け仕事の深みにはまり続けることへの危機感も同時に育っていました。
「問屋に依存しすぎる体制はリスクが大きい。グローバル化の波にあらがえない。中国が台頭すればコスト競争で負ける」——そう見越した能作さんは、社長就任前から「ロット生産から多品種少量生産に舵を切る」という大きな方向転換を行いました。効率性を犠牲にしてでも、職人の手による品質で勝負する道を選んだのです。
「ハンドベルは30個、風鈴は3000個」——なぜ失敗が次の成功を生んだのか
2002年、4代目社長に就任した能作さんが最初に手がけた自社製品は、卓上の「ハンドベル」でした。真鍮は音鳴りがよく、仏具の「おりん」製造でも定評があった。「和から洋に変えればヒットする」と自信を持って世に問いました。
結果は大惨敗。3カ月でたった30個しか売れませんでした。
「日本のライフスタイルに合っていない製品をつくってしまった」——自らそう認め、すぐに次の手を打ちます。
ショップ店員から「音色がとてもいいから風鈴にしたらどうか」というアドバイスをもらい、「洋から和」への転換を図ります。すると1個4000円もする風鈴がたった3カ月で3000個売れる大ヒット。100倍の結果です。
本書『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!』でこのエピソードを語る能作さんに、言い訳はありません。失敗を素直に認め、現場の声を拾い、すぐ動く——この繰り返しが能作の商品開発の核心です。
「曲がるなら、曲げて使えばいい」——世界初・錫100%食器はどうして生まれたのか
風鈴のヒット後、ショップ店員から次のアドバイスが来ます。「食器をつくると売れると思いますよ」。
能作さんは食器に挑みます。しかし得意の真鍮は食品衛生法上の問題で使えない。抗菌性が高く食器に適した「錫(すず)」に着目しますが、大問題がありました。錫100%は非常に柔らかく、加工するとどうしても曲がってしまう。通常はこれを避けるために他の金属を混ぜますが、それでは錫100%にならない。
行き詰まった能作さんがデザイナーの小泉誠さんに相談すると、こう言われます。
「曲がってしまうなら、曲げて使えばいいんじゃない?」
この逆転の発想から生まれたのが、手で自由に形を変えられる錫100%の「KAGOシリーズ」です。2003年、世界初の錫100%テーブルウェアとして発売。三越でも大ヒット、2008年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)のデザインストアに認定されました。
欠点を強みに変える——この発想の転換が、能作の代名詞になりました。
既存の製品カテゴリに誰も考えなかった新しい価値を持ち込んだ経営者の事例は他にもあります。
「社員教育をしないほうが、社員が早く育つ」——なぜ能作はマニュアルも強制もしないのか
本書『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!』が最も鮮やかに語る逆説の一つが、人材育成です。
「能作さんは、社員教育が素晴らしい」とよく言われる能作さんですが、本人は「教育をしているという実感がない」と言います。細かい指示も出さない、「ああしろこうしろ」と強制することもない、社員教育を義務化することもない——。
なぜか。能作さんはこう考えているからです。
「仕事に真剣に取り組み、夢中になっていれば、おのずと何をすべきか見えてくる」「人に教えられるより、自分で腹落ちしたほうが成長する」
代わりに能作さんが大切にするのは「気づかせること」です。ルーティンワークはマニュアル化できても、「職人としての誇り」「能作の社員としての自覚」「仕事との向き合い方」は、人から教わるものではなく、社員が自分で気づくものだと考えています。
能作さんが社員に言うことはせいぜい、「能作は富山県の高岡で400年の歴史のもとにある。能作の仕事は地域のための仕事だから、そのことだけは忘れずに」——それだけです。
社員のことを「見張る」のではなく「信頼する」。この姿勢が、全国から「能作で働きたい」という人を引き寄せています。販売事業部長の新夢謙三さんは、採用活動がないにもかかわらず本社を「突撃」して採用になった一人。羽田空港のカフェで行われた面接で、能作さんが「ビール飲む?」と言った場面が印象的なエピソードとして語られています。
「営業部門がない」——なぜ営業しなくても売上が10倍になったのか
能作には営業部門がありません。しかし社長就任以来、売上は10倍以上になりました。
その理由は「展示会」にあります。
能作さんが重視したのは、問屋経由の営業ではなく、展示会への積極的な出展でした。東京インターナショナルギフトショー、パリのメゾン・エ・オブジェ——さまざまな展示会に出展し続けることで認知度を高め、「メディアに取り上げられる」「店舗から問い合わせが来る」という「引き算の営業」を実現しました。
販売ルールも明確です。「自社のオリジナル商品のみ直販する」「定価販売する」「販路を絞らない」——値引きをしない、問屋との関係も壊さない、しかしダイレクトに消費者にも届ける。このバランスが、ブランド価値を守りながら市場を広げることを可能にしました。
さらに商品開発でのアイデア創出に「7つのルール」を設けています。中でも特徴的なのが「大きな蜘蛛の巣を張る」という表現です。常にアンテナを立て、多様な情報を収集し続けることで、組み合わせの発想が生まれやすくなる——風鈴からKAGOへ、KAGOから錫婚式へ、という発展のサイクルがここから生まれています。
「見学者無料」でも黒字になるなぜ産業観光が能作の成長エンジンになったのか
能作の工場見学は無料です。1日5回開催され、必ずガイドがつく約1時間のツアー。「無料でも、とことんおもてなしをする」がスタンスです。
しかし2017年に完成した新社屋(総工費約16億円・当時の年商13億円を上回る投資)は、見学者の滞留を見込んでカフェ・ショップ・鋳物製作体験工房を併設しています。月約1万人、年間12万人が訪れ、工場見学後にショップで商品を買っていく。体験(1000〜4000円)でも収益を得る。無料の工場見学が「間接的な利益の源泉」になっているのです。
この「産業観光」という発想、能作さんは30年前から温めてきたものです。社長就任よりずっと前から、地元の小中学生を年間1200人受け入れ、工場見学を続けていました。
「産業観光の一番の目的は、地元・高岡の子どもたちに、地域の素晴らしさを知ってもらうこと」——能作さんはそう言います。
「地域に貢献しない会社は全国展開しても成功しない。日本に貢献しない会社が世界で成功することもない」
能作克治さんのこだわりとは?
本書『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!』を通じて、能作さんという経営者の核心が見えてきます。
「一番悪いのは何もしないこと」:「やってみた結果、成功するか失敗するかはどちらでもいい。『無理です』『できません』という言葉が大嫌い」——能作さんがコラムや語録でくり返すこの言葉に、すべての経営判断の根底にある姿勢が表れています。ハンドベルの失敗も、錫100%食器の苦労も、産業観光の試行錯誤も、「やってみた結果」から生まれました。
「軸から外れない」:「やりたいことは全部やる」と言いながら、「枝」が豊かに伸びるのは「幹(職人の技術)」が太く、「根っこ(400年の歴史)」があるからだと能作さんは言います。長女・千春専務から「お化け屋敷をやりたい」と提案されたときは即座に却下。鷹匠を呼んで鳥害を防ぐイベントはOK——「鋳物の伝統・地域貢献という軸から外れているかどうか」が判断基準です。
「すぎ去ったことを考えない、今を大事にすると未来が拓ける」:能作さんの「僕のポリシー」として本書に記されている言葉です。一升瓶の水を逆さに振り続けると自然に渦が巻いて水が出る——6〜7年振り続けてきた結果、今は「振らなくても渦が巻き出している状況を感じている」と表現しています。
能作克治さんゆかりの地とは?
富山県高岡市・能作本社(主舞台):2017年に完成した新社屋は、高岡オフィスパーク内の約4000坪(延べ4960平方メートル)に、工場・オフィス・カフェ・ショップ・鋳物製作体験工房を擁します。北陸新幹線・新高岡駅からタクシーで15分の「片田舎」に年間12万人が訪れ、世界遺産バスの「能作前」バス停まで生まれました。新社屋には数々のデザイン賞が集まり、日本を代表する産業観光拠点になっています。
高岡市・金屋町(400年の歴史の始まり):慶長16(1611)年、加賀藩2代藩主・前田利長が7人の鋳物師を招いて鋳物工場を作った場所。「高岡銅器」はここから始まり、現在も日本の銅器生産の9割以上のシェアを誇ります。能作克治さんが「地域のための仕事」と言い続ける背景には、400年にわたってこの地域で受け継がれてきた技術への敬意があります。
東京・ニューヨーク(能作の世界展開の窓口):三越・日本橋をはじめ全国14店舗の直営店を展開し、パレスホテル東京にも出店。錫100%食器はニューヨーク近代美術館(MoMA)のデザインストアにも認定されています。高岡の工場から世界へ——能作さんが体現する「ローカルからグローバル」の姿が、ここに凝縮されています。
能作克治さんから学ぶ、3つの教訓とは?
1. 「欠点を強みに変える逆転の発想」——錫が曲がるなら曲げて売れ
「曲がってしまう」という欠点を「曲げて使う」という新しい価値に変えたKAGOシリーズは、この発想の極致です。ハンドベルの失敗からも逃げずに「ライフスタイルに合っていなかった」と分析し、風鈴に転換した。失敗を失敗のままにせず、次の一手に変換する速さ——これが能作の商品開発の核心であり、「一番悪いのは何もしないこと」という哲学の実践形です。
2. 「伝統は守るものではなく攻めるもの」——400年の技術を新市場で武器にする
「古きよきものを消費者に押しつけるだけでは受け入れてもらえない。人々が求める価値に耳を傾けなければ、伝統は守れない」——これが能作さんの伝統産業論です。仏具・茶道具の下請けから、錫100%食器・真鍮の風鈴・医療機器・錫婚式まで、「高岡の鋳造技術」という幹を太くしながら、枝を次々と伸ばしてきました。「伝統はつくるもの、今始めたことが100年後の伝統になる」という言葉が本書に登場します。
3. 「地域に根ざすことが、世界への近道」——産業観光が示すもの
工場見学を無料にし、地元の子どもたちを主要ターゲットにした産業観光は、直接的な収益を目的としていません。しかし結果として年間12万人が集まり、メディアに取り上げられ、全国・世界への知名度が高まりました。「地域に貢献しない会社は全国展開しても成功しない」——この原則を30年以上実践してきたことが、高岡という「片田舎」から世界への発信を可能にしています。
この記事で語りきれなかった『踊る町工場』の魅力とは?
本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、「能作が絶対に赤字にならない6つの理由」です。第5章の終わりに整理されているこの6つの理由には、「定価販売を徹底する」「過度な設備投資をしない」「デザイナーとのロイヤリティ契約(成果報酬型)」など、一見当たり前に見えて実践が難しいことが並んでいます。2017年に売上13億円の時点で16億円を投資した新社屋でさえ、この原則の上に成り立っています。
二つ目は、「鷹匠アイデア」が示す組織文化です。屋根に鳩が巣を作ったとき「鷹匠を呼んでイベントにしよう」というアイデアが社内から出てきた。このような発想が自然に生まれる組織の空気は、「やりたいことはやらせてみる」という能作さんの方針が長年かけて醸成したものです。
三つ目は、長女・能作千春専務の役割です。アパレル誌の編集者から家業に戻り、産業観光部を立ち上げた千春専務の視点からのコラムが本書に収録されています。社員の平均年齢32歳の組織で「社員の聞き役」として機能し、社長には言えないことを吸い上げる役割——父と娘の補完関係が、能作の急成長を支えていることが伝わります。
📚 [踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!(ダイヤモンド社)を読んでみる]
まとめ|能作克治さんが教えてくれること
大手新聞社のカメラマンから、年収3分の1以下の鋳物メーカーに転じた「旅の人」が、18年間職人として技術を磨き、社長に就任してから20年足らずで社員15倍・見学者300倍・売上10倍を実現した。
その経営は逆説に満ちています。社員教育をしない。営業部門がない。計画を立てない。工場見学は無料にする——しかしそのすべてに、明確な哲学があります。
「伝統は守るものではなく攻めるもの。今始めたことが100年後の伝統になる」
本書『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!』は、伝統産業の経営書であるとともに、「欠点を強みに変える」「地域から世界へ」という普遍的な経営の本質を語っています。ぜひ手に取ってみてください。
よくある質問
Q: 能作克治さんはどのようにして下請けから自社ブランドへ転換したのですか?
A: 2002年の社長就任後、展示会への積極的な出展を通じて認知度を高め、真鍮の風鈴・世界初の錫100%食器などの自社製品を開発しました。問屋経由の流通は維持しつつ、自社製品は定価で直販する「二本立て」の販売方針が、問屋との関係を壊さずにブランドを育てた鍵です。
Q: 能作の工場見学はなぜ無料なのですか?
A: 「伝統産業の素晴らしさを知ってもらうことが第一義であり、工場見学で儲けようとは思っていない」というのが能作さんの考えです。ただし見学後にショップやカフェで購入するお客様が増え、口コミやメディア露出が売上増加につながる間接的な効果が、実際の利益の源泉になっています。
Q: 能作克治さんのおすすめの著書は何ですか?
A: 本書『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!』(ダイヤモンド社)が最も体系的に能作の経営哲学を知れる一冊です。自社製品の開発から産業観光・海外展開・人材育成まで幅広く語られており、伝統産業に関わる方だけでなく、地域ブランドづくりや中小企業経営に関心のある方にも読まれています。
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参考文献:能作克治『踊る町工場 社員15倍!見学者300倍!伝統産業とひとをつなぐ「能作」の秘密』(ダイヤモンド社)

