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飯田亮|セコム創業者が語った「社会にとって正しいか」日本初の安全ビジネスを生んだ経営哲学

セコム株式会社創業者・飯田亮の書籍『経営の実際』を紹介する記事のアイキャッチ画像

「水と安全はただ」——そんな常識が支配していた時代に、飯田亮は「安全を売る」会社を作りました。

1962年、29歳のとき。大学の友人・戸田寿一と2人で、日本初の警備保障会社「日本警備保障株式会社」(現・セコム)を資本金400万円で設立します。

当時の日本には、民間が警備サービスを提供するという概念がありませんでした。「なぜお金を払って自分を守ってもらわなければならないのか」——飛び込み営業のたびにそう言われ続けながら、飯田は1件1件説得して回りました。

「困難という泥水を飲み込むことで胃も丈夫になる」

その言葉通り、創業からわずか61年でセコムは警備業だけで年間売上高1兆円超の大企業になります。しかし飯田が誇ったのは規模ではありませんでした。

「私どもの判断基準は『社会にとって正しいか、公正かどうか』、その一点に尽きる」

本書『経営の実際』は、8つの章から成るこの一言の解説書です。何十年にもわたる経営体験から凝縮された哲学が、飯田自身の言葉で語られています。


飯田亮の基本プロフィール

氏名飯田亮(いいだ まこと)
生没年1933年4月1日〜2023年1月7日(享年89歳)
学歴学習院大学政経学部経済学科(1956年卒)
経歴父経営の酒問屋・岡永入社→1962年29歳で戸田寿一と日本警備保障(現セコム)創業・代表取締役社長→1976年代表取締役会長→1983年社名をセコムに変更→1989年「社会システム産業元年」宣言→1997年取締役最高顧問→2023年逝去
主な実績日本初の警備保障会社を創業。東京オリンピック選手村等の警備を担当。機械警備(SPアラーム)を日本で初めて開発・展開。ホームセキュリティ市場の創出。連結売上高1兆円超のセコムグループを育てる
著書『経営の実際』(中経出版)ほか多数

「社会に役立つ仕事以外に事業は成立しない」——原点は父の言葉

飯田が経営の根本に「社会に役立つかどうか」を置いた原体験は、父親の言葉にありました。

東京・日本橋馬喰町で酒問屋「岡永」を営む父は、敗戦直後に酒の統制で商売ができなくなって貧乏をしました。周囲では闇屋が派手に生活していましたが、父はこう言ったのです。

「社会の役に立たないことなんだから、そのうちみんなつぶれる」

中学2年ごろに「そうかな」と思っていたら、2〜3年でバタバタとつぶれた——この「強烈な印象」が、飯田の経営哲学の根本になりました。

本書『経営の実際』の冒頭には「企業経営とは、経営者という人間個人の属人性に彩られる」とあります。飯田の場合、その属人性の核心にあったのが「社会に役立つか」という問いでした。


「安全を売る」——誰も信じなかったビジネスの始まり

1961年冬、浅草の鳥鍋屋で飯田は欧州帰りの知人からこう聞きます。「欧州には警備を業務とする会社がある」。

電光のような閃き——「日本にないビジネスというのが魅力的だった」と飯田は振り返ります。翌1962年7月7日、戸田寿一と2人でSKFビル2階に会社を構えます。社員5名(うち警備員2名)。資本金400万円。

しかし出発は過酷なものでした。「安全を売る」という概念自体が日本にない。飛び込み営業をするたびに追い返され、契約が取れない日が続きます。

本書に「困難という泥水を喜んで飲むことによってこそ、初めて組織と人は育つ」という言葉がありますが、それはこの苦しい創業期そのものへの言及でした。

飯田がここで一つ決めたことがあります。「前金制」の徹底です。代金は先払い。後払いの契約は認めない。これは当時の商慣習とはまったく異なるものでした。

「自分たちが決めたことを曲げずに説得し続けてきたからこそ、セコムの今日があるのです」

1964年、東京オリンピックの選手村・競技施設の警備を受注します。五輪組織委員会から「前金なんて前例がない」と言われましたが、こちらも譲らない。結局、前金制を認めてもらいました。

この五輪警備でセコムは一躍知名度を上げ、翌年からのテレビドラマ「ザ・ガードマン」の大ヒットも相まって、警備ビジネスが社会に認知されていきます。


社員による窃盗事件6件——最大の危機をどう乗り越えたか

しかし好調の直後に、会社の存亡を問う危機が訪れます。

警備中の社員が契約先の百貨店で真珠を盗むという事件が発生。マスコミに大々的に報道されました。「安全を売る会社のガードマンが窃盗!」——飯田は急いで謝罪に回りましたが、これで終わりませんでした。それからわずか1カ月半のうちに同じような窃盗事件が全部で6件も続発したのです。

テレビやラジオで漫才のネタにされ、漫画で風刺され、謝罪に行った先で頭に雑誌をぶつけられたこともありました。「万事休すかな」と覚悟しました。

しかし不思議なことに、解約が1件もなかった。退職した社員もゼロでした。

飯田は連日連夜、支社に出向いて社員と語り合います。「創業の理念であり、我々の判断基準であるべき『社会にとって正しいか、公正かどうか』がいかに大事なことかを、今一度胸に刻み込んでほしい。我々の行動いかんによってセキュリティビジネスの将来が決まる。我々には社会的使命がある」——当時1000人前後だった社員のほぼ全員と話し合いました。

「今振り返ってみても、あのときに社会から厳しい指弾を浴びたことで初めて、本物のセキュリティ会社になれたのだと思います」

本書『経営の実際』でこう結論づける飯田の言葉には、危機を糧にして組織文化を育てたという確信が滲み出ています。


「創業の理念を危機が試す」という経験を乗り越えた経営者の話は、他にも重なります。


「創業3年目にして会社の死を予感した」——機械警備への転換

順調に伸びていた警備事業に、飯田は深刻な矛盾を感じていました。

契約件数が増えれば増えるほど、対応できる社員が必要になる。しかし人を雇えば雇うほど採用・教育のコストが増え、利益率が下がる。「このままのビジネスモデルで続けても、会社の存続が危ぶまれる」——創業からわずか3年で、飯田は「会社の死」を予感していました。

答えは機械にありました。

人が現場に常駐するのではなく、センサーを設置して異常を自動検知し、通信回線でセンターに送る。異常が発生したとき初めて緊急対処員が駆けつける——機械警備システム「SPアラーム」の開発です。

当時、社内のほとんどが反対しました。「社長は若いから物事がよくわかっていない」という意見が大半。4年がかりで社内を説得し、1966年に市販を開始します。

「真似はされても、真似するな」——本書の中でも飯田が繰り返す言葉です。機械警備というシステムは後から競合他社が参入してきますが、「根っこ」を理解せずに表面だけを真似しても、品質では永久に追いつけない。経営は自らの構想による独創でなければならないという信念がここにあります。


「社名を変えろ」——社員の猛反対を押し切ったセコムへの改名

1983年、飯田はまたも社内の猛反対に直面します。「日本警備保障」という社名を「セコム」に変更しようとしたのです。

「せっかくここまで浸透した社名を変える必要はない」「それほどメジャーでない外国語の造語にするのはおかしい」——社員たちの反発は相当なものでした。

しかし飯田の考えは違いました。単なる警備業から、「安全・安心」で「快適・便利」に暮らせる社会をつくる「社会システム産業」という新たなサービス業態に転身する——その思いを、社名に込めようとしていたのです。

「Security Communication」の頭文字を取った「SECOM」。ここには「安全」と「通信」という2つの事業の核心が込められていました。

反対を押し切って改名を断行した飯田は、1989年に「社会システム産業元年」を宣言します。セキュリティを核に、情報通信・医療・教育・保険・地理情報サービスなど、さまざまなサービスシステムを融合させた社会システム産業——この構想は、社内外から「一民間企業が社会システム産業とは、何と不遜なことを」と批判されました。

しかし飯田はこう返します。「ビジネスをデザインするということは、すべからく不遜なのです。これまでになかったビジネスをデザインするためには、不遜でないとできるものではありません」。


「混乱させられる側ではなく、混乱させる側に立て」——変化への哲学

本書『経営の実際』の第4章は「経営とは、チャレンジとスピードである」と題されています。

飯田がここで語るのは、デジタル革命という激変の時代への処方箋です。

「どうせ混乱するのなら、混乱させられる側に立つのではなくて、混乱させる側に立つ。そういう気持ちを持つことです」

かつてサーフィンをやっていたという飯田らしい比喩が続きます。「波に巻き込まれたら視界ゼロで、全然見えません。視界ゼロでは混乱に立ち向かうことはできません。どうせなら自分が先に進んで、混乱させる側に回ろう」。

この「混乱を先導する」という発想が、警備業という前例のないビジネスを作り、機械警備を開発し、ホームセキュリティ市場を切り拓いてきたセコムの歴史の根底にある思想です。

変化に対応するのが経営者の宿命であり醍醐味——時代の激しい変化を、新たなビジネスを起こす好機と捉えることが飯田の一貫したスタンスでした。


「予算制度はいっさいない」——支出の判断基準は「明日損をするか」

本書で最も驚かされる記述の一つが、予算制度についてです。

「セコムは創業以来、予算制度はいっさいありません」

会社全体の売上・利益の計画はある。しかし支出予算も投資予算も存在しない。では支出の判断基準は何か——飯田の答えはシンプルです。

「明日損をすると思ったら支出をしろ」

営業機会の損失、投資機会の損失。すべてを考えて「明日損がある」と思ったら支出する。それ以外は支出するな——という判断を、各部署の責任者が自分で下す。

「予算制度があると、予算を獲得するための作業があり、余計なものまで予算に上げておこうと考えがちです。また、予算があるから支出してもいいと思う幹部がいたら、即座にクビを切るべきです」という言葉が続きます。

予算制度は「横並び意識か既成概念である」というのが飯田の見立てです。各部署の責任者が自分でビジョンを描き、必要な投資額を設定し、コスト管理から投資リスクまで考えることが、経営者としての訓練になる——その信念からの結論です。


カルチャーは「与えられるもの」ではなく「育てるもの」

本書『経営の実際』を通じて飯田が最も繰り返す言葉は「カルチャー」です。

「企業の盛衰は、その企業のカルチャーの善し悪しにかかっています。カルチャーとは与えられるものではなく、経営の意思として、常に注意深く育てるものです」

セコムの場合、警備員による窃盗事件という危機が、カルチャーの危うさを露わにしました。急激な組織の膨張の中で、創業の理念が先輩から後輩へ伝わる階層構造ができていなかった——その反省から、研修体制を整え、毎年1200人ほどの社員研修を行い、その半分近くを経営理念と事業倫理に充てるようになりました。

「大企業病」への警戒も本書の重要なテーマです。組織が肥大化するにつれ、血管にコレステロールが詰まるように、新しいことを生み出そうという意欲が減退していく。「自分たちのつくったルールに縛られて、はみ出すことができなくなっていないか」「旧態依然としたルールとわかっていながら、それを乗り越えられずにいないか」——飯田は全社員に問い続けました。

「組織は勤勤と荒々しさが混在してこそ、活力が生まれる」——行儀がよくて決められたことはきちんとやる人材だけでなく、多少荒削りでもはみ出していく「異能の人」を積極的に評価することが、革新的なカルチャー維持の条件だとも言います。


飯田と同じく「理念とカルチャーを何十年かけて育てた」経営者として、もう一人挙げられます。


飯田亮の「経営8原則」——本書の構成から

本書『経営の実際』は「経営とは○○である」という8章で構成されています。その見出しを並べると、飯田の経営哲学が浮かびあがります。

「創業の基本理念を貫き通すことである」——変化の多い時代でも、創業時に定めた「社会にとって正しいか」という判断基準は変わらない。「お客様の立場でシステムづくりを進めることである」——「ホームセキュリティの自宅に泥棒が入ったらどうする」という自分自身の不安から、家庭向け安全システムが生まれた。「世の中が何を求めているか、その本質を捉えることである」——新しいビジネスは常に社会の変化の先を読むことから生まれる。「チャレンジとスピードである」——混乱させる側に立つ。「常に革新する組織カルチャーをつくることである」——カルチャーは与えられるものではなく育てるもの。「目的を実現するプロフェッショナル集団づくりである」——中途採用で役員の8割、幹部の7割を占める多様な人材。「結果責任を具体的に伴うものである」——グローバルスタンダードへの盲目的な追随ではなく、自国の文化と価値観に根ざした経営。「社会の深い信頼を得るブランドを築くことである」——ブランドは妥協しないことで守られる。


飯田亮のこだわり

本書『経営の実際』を通じて、飯田という経営者の核心が見えてきます。

「真似はされても、真似するな」——競合他社がセコムのビジネスモデルを模倣してきても、飯田は焦りませんでした。「ビジネスのシステムの根っこが理解できなければ、永久に品質で追いつくことはできない」という確信があったからです。経営者は自らの構想による独創でなければならない——この信念が、常に誰もやっていないことをやり続けてきたセコムの歴史を支えました。

「難しい方法をとってきた」——前金制、機械警備への転換、社名変更——どれも社内外から強い反対があった決断でした。「楽な道を峻拒し、あえて困難な道を進むからこそ、いい人材が育つのだ」というのが飯田の確信です。要領よく小器用にではなく、まともに努力し、汗水を流し、困難という泥水を喜んで飲むことが、組織と人を育てる最良の方法だと言い切ります。

「社長の顔を思い出して踏みとどまってくれ」——窃盗事件連発の危機に際して全社員と語り合いながら、飯田は心の中で願い続けました。経営者が社員に見られているという緊張感——「なにせ安全を売る会社ですから、創業者が交通事故を起こしましたでは洒落になりません」と書くあたりに、飯田の自律の厳しさが表れています。


飯田亮ゆかりの地

東京・日本橋馬喰町(父の酒問屋・原点の地):酒問屋「岡永」を経営する父の言葉「社会の役に立たないことなんだから、そのうちみんなつぶれる」が飯田の経営哲学の根本となりました。東京・日本橋の商人文化の中で育ち、「商いは飽きない」という商人精神が飯田の営業スタイルにも影響を与えています。

東京・芝公園(創業の地):1962年7月7日、SKFビル2階の小さなオフィスでわずか5名からスタート。「天井の低い7坪ほどの部屋で、エレベーターで最上階まで行き、そこからさらに屋上へ出て非常階段みたいなものを上ったところにあった」と伝えられる、NHK「プロジェクトX」でも取り上げられた創業の場所です。

神奈川県立湘南高校(同期との縁):石原慎太郎や江藤淳と同期だった湘南高校時代。「太陽族」のモデルとなった遊び仲間のひとりだったとされますが、その自由闊達な精神がセコムの企業文化にも反映されたと飯田自身は語っています。


飯田亮から学ぶ、3つの教訓

1. 「社会にとって正しいか」という判断基準を持て——それだけで意思決定はブレない

セコムの経営判断の軸はこの一文に集約されます。前金制を貫いたのも、機械警備に転換したのも、「社会システム産業」を宣言したのも、すべてこの基準から出発していました。「グローバルスタンダードに合わせよ」という外からの圧力にも動じなかったのは、自分自身の判断基準が明確だったからです。外部の流行や世間の評価ではなく、「社会にとって正しいか」という内側の基準こそが、長期にわたる経営の羅針盤になります。

2. 「現状に甘んじていたら退歩・衰亡しかねない」——満足した瞬間に組織は老いる

警備業という産業を作り上げた達成感はありながら、飯田は常に「現状に甘んじていたら進歩が止まるどころか退歩・衰亡しかねない」と言い続けました。売上高5200億円(執筆当時)、従業員3万5000人になってなお「満足はしていない」という言葉は空語ではなく、機械警備への転換、ホームセキュリティの創出、社会システム産業宣言という「自己破壊」の連続に裏打ちされた言葉です。

3. 「経営者が変われば企業が変わる、企業が変われば日本も変わる」——経営は属人的な使命である

飯田が最も批判するのは「没主体的な経営者」です。外国頼り、人任せ、丸投げ——ビジネスのデザインを自分で真剣に考えない経営者のもとに社員がついてくるはずがないと言い切ります。逃げ場のない職種だからこそ、経営者は自らビジネスを構想し、多くの人を統率して、自分の構想したビジネスを思い通りに実現すればいい——孤独を受け入れ、その孤独の中で構想する者だけが、エキサイティングな経営の醍醐味を味わえる。


この記事で語りきれなかった『経営の実際』の魅力

本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。

一つ目は、「他より10円でも高く売るなら営業マンは育つ」という逆張りの営業哲学です。価格を武器にして安く売る競合に対し、「品質とサービスの高さで納得させる」訓練こそが営業マンを育てる——「売り込む」のではなく「説得する」という本質的な営業の意味が語られています。

二つ目は、42歳での社長退任の話です。四十二歳で社長を退いて会長に就いた飯田を、当時は「引退同然」と見る向きもありました。「赤坂の料亭で綺麗どころから同情された」という笑えるエピソードとともに、実際は新事業に全力を注ぐための「攻めの退任」だったことが語られています。会長就任後の最初のテーマが「家庭市場」への進出——「セキュリティ会社のトップである自分の家に泥棒が入ったらどうするか」という自分自身の不安が出発点だったという話が印象的です。

三つ目は、「ぎりぎりまで考えた末の値決め」の話です。前例のない事業では、最初の値付けこそが後続企業の相場・目安になる。「ビジネスのパイオニアの特権であると同時に重大な責任」という値決めへの姿勢は、「一日コーヒー一杯で安心を」(ホームセキュリティ)、「老人でも子供でも月500円で」(ココセコム)という社会に広く普及させるための価格設定に一貫して反映されています。

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まとめ|飯田亮が教えてくれること

「水と安全はただ」が常識だった時代に「安全を売る」という概念を作り、警備員の窃盗事件という危機を乗り越え、機械警備という誰もやっていない分野を開拓し、「社会システム産業」という構想を宣言した——飯田亮の89年は、「社会にとって正しいか」という一つの問いに答え続けた歳月でした。

本書『経営の実際』には、その体験から凝縮された8つの原則が詰まっています。華やかな成功談ではなく、「困難という泥水を喜んで飲む」という地に足のついた経営論が、起業家にも現役の経営者にも響く一冊です。ぜひ手に取ってみてください。


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参考文献:飯田亮『経営の実際 8つの重要なポイント』(中経出版)