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佐田展隆|「迷ったら茨の道を行け」負債24億円の家業を2度救ったオーダースーツSADA社長の経営哲学

株式会社オーダースーツSADA代表取締役社長・佐田展隆さんの書籍『迷ったら茨の道を行け』を紹介する記事のアイキャッチ画像

「戻ってこい」

父からの電話を受けたのは、2003年冬のことでした。東レに勤めて5年目、29歳。佐田展隆さんは迷いなく退職願を出しました。

家業の株式会社佐田が大変だから、というのです。その「大変」の中身を、当時の佐田さんはほとんど知りませんでした。経営資料を渡されましたが、ほとんど見ずに戻ることを決めました。

しかし実際の状況は想像をはるかに超えていました。年商22億円に対して有利子負債は24億円。全売上の約4割が実質赤字受注。利子を払うだけで精いっぱい。金融機関には何度もリスケ(返済猶予)を重ねてきた「リスケ企業」のレッテルを貼られていました。

「この会社は詰んでいる」——そう思いながらも、佐田さんは一歩ずつ前へ進みます。半年で黒字化。しかし巨大な有利子負債は解消できず、2007年に会社を再生ファンドに売却。一度は会社を離れますが、東日本大震災で工場が被災した2011年に再び呼び戻され、2度目の再建へ。

本書『迷ったら茨の道を行け』は、2度のV字回復を成し遂げた佐田さんが語る、正直すぎるほどの事業承継と再建の全記録です。


佐田展隆の経営思想を一言で表すと「迷ったら茨の道を行け、一番難しいやり方が正解である」だ。最大顧客の倒産、負債24億円、会社売却、震災被災、2度の再建——いずれの局面でも「楽な道」ではなく「正しい道」を選び続けた結果が、オーダースーツチェーン国内最多店舗数への成長につながっている。


佐田展隆さんはどのような人物か(基本プロフィール)

氏名佐田展隆(さだ のぶたか)
生年1974年9月23日、東京都杉並区出身
学歴東京都立西高等学校→一橋大学経済学部卒業
経歴東レ株式会社(テキスタイル営業)→2003年父の要請で株式会社佐田入社→2005年代表取締役就任・半年で黒字化→2007年会社を再生ファンドに売却し退社→経営コンサルタントへ→2011年再び呼び戻され社長復帰→工場直販事業を軸に急成長→現在オーダースーツSADA代表取締役
主な実績国内オーダースーツチェーン最多直営店舗数を達成。「フルオーダースーツお試し19,800円」という価格破壊を実現。プロ野球・Jリーグ等15チームへのスーツ提供。著名人300人超との写真実績によるブランド信頼構築。スーツで富士山登山・東京マラソン出走等のYouTube動画マーケティング
著書『迷ったら茨の道を行け 紳士服業界に旋風を巻き起こすオーダースーツSADAの挑戦』(ダイヤモンド社)

なぜ佐田展隆さんは負債24億円の会社への入社を即決できたのか

「戻るも何も、佐田で働いた経験などないのに、父も私も『戻る』という言葉を自然に使っていた」

本書『迷ったら茨の道を行け』のこの一文が、佐田さんという人間の本質を表しています。曾祖父から三代続く佐田家の長男として、いずれは自分が継ぐという意識が、幼い頃から自然に育っていた。だから迷いなく決断できた。

しかし実際に足を踏み入れた会社の状況は想定外でした。

最初の仕事は、父に同行して金融機関を回り、すべての借用証書に連帯保証人として印鑑を押す作業でした。商工中金・中小公庫・りそな銀行など5行の金融機関。借金の口数は膨大で、総額すらすぐにはわからないほど。

さらに売上を分析してみると、全売上の約4割が実質赤字受注でした。工場の稼働率を維持するために採算を度外視して着数を取り続けてきた結果です。「売っても赤字じゃ意味がない」——佐田さんはこの当たり前の原則を、まず徹底することから始めます。


「半年で黒字化」——なぜ赤字受注を切ることが再建の第一歩だったのか

佐田さんが営業統括として打ち出した方針は、社内に衝撃を与えました。

「ちゃんと利益を取れる仕事をしましょう。これまで通常価格でなかったものは通常価格に戻す。低価格がご要望なら中国製に切り替えてくださいと取引先に提案する営業をしてください」

営業社員は一様に反発します。「安くしなければ注文が取れない」「中国製は売れない」——。

しかし佐田さんはひるみませんでした。「中国製も通常価格もどっちもダメだと言われたら、取引をやめてきてください」と言い切ります。このまま赤字取引を続けていたのではいずれつぶれる。取引を失うことを恐れる理由などない——そう腹をくくっていたからです。

同時に、北京工場でできる製品は北京工場に切り替え、宮城工場は高難度・高品質な製品に集中するという工場の役割分担を実行します。

2004年上半期は赤字でしたが、この方針転換が徐々に効き始め、2004年7月期通期は黒字化を達成します。入社から約半年での黒字転換でした。


「八方ふさがり」——なぜ黒字化しても会社は終わりかけたのか

半年で黒字化を果たしたのに、問題は解決しませんでした。

24億円の有利子負債は巨大すぎた。売上を伸ばして利益を出しても、長年積み上がった借金の元本は減らない。金融機関は5行あり、すべての利害が一致しない。

本書『迷ったら茨の道を行け』の第3章は、中小企業再生支援協議会との取り組みを詳述しています。財務デューデリジェンスを受ける中で、さらに重大な事実が次々と発覚します——社会保険料の未払い、仕入れの未払い金、社員の退職金未払い、帳簿の不一致……。これらの簿外債務により、金融機関が求められる債権放棄率は当初見込みの50〜60%から、85%以上に跳ね上がりました。

「藤原さんから、『大変だったでしょう、がんばったんですね』と言葉をかけられた時には、涙が出そうだった」——中小企業再生支援協議会のプロジェクトマネージャーが親身になって動いてくれた場面に、追い詰められた佐田さんの本音が滲んでいます。

最終的に債権放棄と再生ファンドへの事業譲渡という形で一旦の決着を見ます。2007年、佐田さんは自ら会社を離れます。


「再び呼び戻される」——なぜ佐田展隆さんは2度目の修羅場に戻ったのか

会社を去った佐田さんは経営コンサルタントに転じます。しかし「コンサルタントは経営者ではない」という歯がゆさを感じ続けます。

そして2011年、東日本大震災が宮城工場を直撃します。売上の3分の1が消えた。会社の引き受け手がいなくなった。

当時のオーナーから、再び立て直しを任されます。「大いなる力に背中を押されて」——本書の章タイトルがそう名付けられているこの場面に、佐田さんの使命感が凝縮されています。

2012年、佐田さんは再び社長として戻ります。今度は「工場直販の小売業への転換」という、これまでとは全く異なる戦略で挑みます。


何度も経営危機から企業を立て直した経営者の軌跡は他にもあります。


「工場直販・フルオーダー19,800円」——なぜ業界の常識を破る価格が実現できたのか

2度目の社長就任で佐田さんが打ち出したのは、「本格フルオーダースーツをお試し19,800円から」という価格設定でした。業界の常識をはるかに下回る数字です。

これが可能な理由は構造にあります。

生地の仕入れから縫製、小売りまでを自社で一貫して行う「製造小売業(SPA)」の形態を取ることで、中間マージンを極限まで削減できる。北京工場と宮城工場の2拠点体制で生産コストを最適化できる。CAD(自動設計システム)を活用したマシーンメイドのフルオーダーで、採寸精度を保ちながら大量生産が可能になる——これらの仕組みが揃って初めて実現する価格です。

しかし最初の反応は厳しいものでした。「俺はだまされない」「嘘をつくな」「請求書になるとゼロが一つ増えているのだろう?」——低価格への不信感を拭うために、佐田さんは知名度・信用度の向上という別の課題に正面から向き合います。


「出足と手数」——なぜメディア露出と著名人写真が信頼構築につながったのか

「知名度・信用度が足りない」——佐田さんがこの課題に対して取った行動は、泥臭いものでした。

まず毎月ニュースリリースを書き、主要新聞の経済部宛に郵送し続けます。当然、何の反応もなかった。しかし「名指しで来たリリース以外はゴミ箱直行だよ」という新聞記者のひと言が転機になります。主要新聞・テレビの記者・ディレクターの名刺を300枚以上集め、個人名で送るように変えます。PDCAを回し続けた結果、「NHK」や「ガイアの夜明け」に取り上げられるという成果につながりました。

著名人への対応も同様です。スーツをお仕立てした著名人に写真をお願いし続けます。最初はすべて断られた。しかしPDCAを回しながら粘り強くお願いし続けた結果、今では各界300人超の著名人写真が揃っています。

そして「社長が自社スーツで変わったことをやると、ウケる」という社員のアイデアから生まれたのが、スーツで富士山に登る動画でした。革靴にビジネスバッグを持って登山道を歩き、すれ違う人と名刺交換する——奇抜に見えるこの企画が話題を呼び、YouTube「さだ社長チャンネル」として継続し、メディア出演が増え続けています。

「出足と手数」——何事も最初の一歩と繰り返す回数が勝敗を決める。この原則が、すべての広報・マーケティング活動に貫かれています。


佐田展隆さんのこだわりとは?

本書『迷ったら茨の道を行け』を通じて、佐田さんという経営者の核心が見えてきます。

「5つのマインドの規範」:本書の終章で佐田さんは自分の経験から抽出した5つのマインドを語ります。①おもてなしの心、②自責の精神(他責にしない)、③チャレンジ・スピリット、④ポジティブシンキング(楽観は意志に属する)、⑤執着心——「1%でも可能性があれば、そこに焦点を当てて進めばよい。それは100回繰り返せば成功するということ」。松下幸之助の言葉「執着心なきものは困難から考え、執着心あるものは可能性から考える」を引きながら語る執着心への言及が特に印象的です。

「量を追えば、いずれ質もついてくる」:第7章の重要な経営論です。先に質を追った場合、後から量がついてくることはほとんどない。しかし先に量を追い、PDCAを高速で回し続けることで、いずれ量質ともに高い水準になる——この確信が、店舗展開・媒体リリース・著名人写真収集すべての行動に一貫しています。

「立地3条件」:直販店舗の出店基準として佐田さんが確立した3つの条件があります。①大手紳士服チェーン(洋服の青山など)の近くにあること、②運転免許センターや交通量の多い場所など認知度の高い場所であること、③駐車場が使えること——この基準を外した店舗が苦戦し、基準を満たした店舗が成功した経験の積み重ねから生まれた実践知です。


佐田展隆さんゆかりの地とは?

東京・神田(オーダースーツSADA東京1号店):工場直販の小売一号店として、2012年の再再建後に出店した神田ショールーム。現在は神田・秋葉原ショールームとして全店トップの年間売上1億円超を記録する旗艦店です。何もないところから始めた直販事業の原点であり、「勝負の1号店」として本書に詳しく記されています。

宮城県大崎市(宮城工場):1967年に建設された能登の縫製工場。東日本大震災で被災し、売上の3分の1が消えた。しかしこの危機が佐田さんの2度目の社長復帰を引き起こし、工場直販への完全転換という決断を促します。100年の歴史を持つ佐田の製造技術の砦であり続けています。

一橋大学体育会スキー部(精神の原点):父と同じ一橋大学に浪人して入学した佐田さんは、入学式当日にスキー部に勧誘され入部。ノルディック複合(スキージャンプ+クロスカントリー)に挑戦します。右手首を粉砕骨折するも復帰し、大学3年生で主将に任命。「期待されると応えないといけない」という性格と、諦めない精神力は、このスキー部での体験から培われています。


佐田展隆さんから学ぶ、3つの教訓とは?

1. 「迷ったら茨の道を行け」——一番難しいやり方が正解である

祖父・茂司が孫の展隆に語り続けた言葉が本書のタイトルです。複数の選択肢があるとき、もっとも難しいやり方が正解である——赤字受注を切る、金融機関に正直に相談する、工場直販という前例のない転換に踏み切る、スーツで富士山に登る。佐田さんの経営の転換点は常に「楽でない道」でした。楽な道を選べば短期的には楽になるが、本質的な問題は先送りされる。この逆説が「茨の道」という教訓の核心です。

2. 「売っても赤字じゃ意味がない」——数字の見えていないコストが会社を殺す

「着数を取れ」という至上命題のもとで積み重なった赤字受注が、24億円の負債の遠因でした。売上が伸びていても、実態は4割が赤字——この構造を正確に把握し、断ち切る勇気を持つことが再建の第一歩でした。「売っても赤字じゃ意味がない」というシンプルな原則は、事業の本質を言い当てています。成長しているつもりで穴が広がっているケースは多い。数字を正確に見ることが、経営の最初の義務です。

3. 「出足と手数、PDCAを高速で回せ」——継続した行動量が信頼を生む

ニュースリリースを300回送り続けてメディア露出を得た。著名人に断られ続けながら写真を300人分集めた。スーツで山に登り続けて知名度を高めた——どれも特別なテクニックではなく、「PDCAを回し続ける執着心」だけで実現したことです。「一番悪いのは何もしないこと」——この確信が、あらゆる場面での「出足の速さ」と「手数の多さ」を生み出しています。


この記事で語りきれなかった『迷ったら茨の道を行け』の魅力とは?

本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。

一つ目は、祖父・茂司の創業者精神です。終戦を満州で迎え、朝鮮半島を南下して逃げ帰り、秋葉原でラジオ修理から始め、やがてスーツ生地の卸売りに転換し、縫製の工場生産という当時は前代未聞の事業を始めた茂司。その卓越した時代の読み方と行動力——「スーツを着る時代が来る」と確信して尾州ウールの仕入れルートを押さえた話は、佐田家4代のDNAを示すエピソードです。

二つ目は、「部長クラスからの辞表」のエピソードです。赤字受注を切る方針転換に反発した幹部が相次いで辞表を提出します。若い社長が打ち出した変化に、ベテランがどう反応したか——組織変革の現実的な痛みが正直に記されています。それでも佐田さんが方針を曲げなかった理由と、その後の組織への影響が詳述されています。

三つ目は、「ベガルタ仙台へのスーツ提供」が生んだ連鎖です。Jリーグクラブへのスーツ提供から始まった「プロスポーツチームへのサプライ実績」が、信頼構築の重要な布石になります。今では15チームを超えるプロチームへの提供実績が、「本物のフルオーダー」を証明するブランドエビデンスになっています。

📚 [迷ったら茨の道を行け(ダイヤモンド社)を読んでみる]


まとめ|佐田展隆さんが教えてくれること

負債24億円の家業に29歳で飛び込み、半年で黒字化、しかし会社を手放し、震災で再び呼び戻され、工場直販への転換を成し遂げる——「迷ったら茨の道を行け」という祖父の言葉は、佐田さん自身が茨の道を歩み続けた人生の実証報告です。

「1%でも可能性があれば、そこに焦点を当てて進めばよい。それは100回繰り返せば成功するということだ」

本書『迷ったら茨の道を行け』は、事業承継の苦労を包み隠さず書いた一冊です。華やかな成功譚ではなく、泥臭い現実とその中で選んだ判断の記録——だからこそ、経営者にも後継者にも、働くすべての人に届く言葉が詰まっています。ぜひ手に取ってみてください。


よくある質問

Q: 佐田展隆さんはどうやって負債24億円の会社を建て直したのですか?
A: まず全売上の4割を占めた赤字受注を切り、北京・宮城2工場の役割分担を明確にして入社半年で黒字化。しかし巨大な有利子負債は中小企業再生支援協議会を活用した「私的再生」で金融機関に債権放棄を求めることで解決しました。2度目の再建では工場直販の小売業への完全転換という業態変革が決定打になりました。

Q: オーダースーツSADAはなぜフルオーダーを低価格で提供できるのですか?
A: 生地仕入れ・縫製・小売りまでを自社で一貫して行う製造小売業(SPA)の形態で中間マージンを極小化し、国内外2工場で製造コストを最適化しています。また、CAD(立体設計システム)を活用したマシーンメイドのフルオーダー技術が、職人の手仕事に匹敵する精度を保ちながら大量生産を可能にしています。

Q: 佐田展隆さんのおすすめの著書は何ですか?
A: 本書『迷ったら茨の道を行け』(ダイヤモンド社)が、事業承継から2度のV字回復までを包括的に語る最も詳細な一冊です。倒産危機の実態・中小企業再生支援の活用・工場直販への転換・広報戦略まで具体的に書かれており、中小企業経営者・後継者・事業再生に関心のある方に特におすすめします。


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参考文献:佐田展隆『迷ったら茨の道を行け 紳士服業界に旋風を巻き起こすオーダースーツSADAの挑戦』(ダイヤモンド社)