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父親は一度も家業の話をしなかった。
中川政七商店が1716年創業の老舗だということは「なんとなく知っていた」程度。弁護士を志して挫折し、富士通に就職した中川淳さんに、家業を継ぐ気などさらさらありませんでした。
ところが入社2年で転職を考え始めたとき、「高いポジションが欲しいなら、実家の商売があるじゃないか」という考えが頭をよぎります。「社長の息子というだけでポジションをもらえる」と甘く考えた——と本書にはその正直な動機が書かれています。
2002年、中川政七商店に入社。しかし現実は甘くありませんでした。第2事業部の「ビジネスとしての仕組みのなさ」に驚いた中川さんは、父に直訴して部署を移り、そこからの6年間でブランディング・流通・組織・コミュニケーション・もの作りのすべてを一から設計し直します。
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』は、その実践の記録です。
中川淳の経営思想の核心は「経営とはデザインである」。
商品だけでなく、流通・組織・コミュニケーション・もの作りの仕組みすべてを意図的に設計することで、老舗は現代ブランドに生まれ変わる。
目次 表示
- 中川淳さんはどのような人物か(基本プロフィール)
- 「経営者として私にできることはブランドという下駄を履かせること」——なぜデザインができない経営者がブランドに執着するのか
- 「大ヒット商品を生み出してはいけない」——なぜ中小企業にとってヒット商品は危険なのか
- 「卸から小売りへ」——なぜ流通の設計を変えることがブランドの命運を分けるのか
- 「粋更の挫折と復活」——コンセプトなきブランドはなぜ売れなかったのか
- 「社員に諦めてはいけない」——なぜ人の問題は経営者の問題なのか
- 「広告にお金をかけない」——なぜブランドは広告より設計で決まるのか
- 中川淳さんのこだわりとは?
- 中川淳さんゆかりの地とは?
- 中川淳さんから学ぶ、3つの教訓とは?
- この記事で語りきれなかった『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』の魅力とは?
- まとめ|中川淳さんが教えてくれること
- よくある質問
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中川淳さんはどのような人物か(基本プロフィール)
| 氏名 | 中川淳(なかがわ じゅん) |
| 出身 | 奈良県 |
| 学歴 | 大学卒業後、一時司法試験を志すも断念 |
| 経歴 | 2000年富士通入社(サーバー運用管理の営業)→2002年中川政七商店入社→第2事業部を担当しすべてを改革→2008年2月十三代目代表取締役社長就任 |
| 主な実績 | 新ブランド「粋更(きさら)」を表参道ヒルズに出店。卸中心から直営小売りへの転換。新卒採用の確立。「ブラスプロジェクト」(日本の伝統工芸メーカーとのコンサル事業)立ち上げ。直営店既存店21カ月連続前年実績クリア |
| 著書 | 『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』(日経BP社) |
「経営者として私にできることはブランドという下駄を履かせること」——なぜデザインができない経営者がブランドに執着するのか
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』の第1章で、中川さんはブランドへの執着の原点を正直に語ります。
「私はデザイナーではないから」——これがブランドにこだわる理由のひとつです。
商品が売れるかどうかはデザインに左右される部分が大きく、デザインを決めるのはデザイナーです。「会社の売り上げはつまりデザイナーにかかっている。もしこれがすべてなら、優秀なデザイナーが経営者となるべきだ。でもそれでは私は経営者としてあまりにも無力だ」
そこで中川さんが気づいたのが、消費者はデザインだけで商品を選んでいないという事実です。「例えば電化製品を買うときいつもソニーの商品を真っ先に検討しているな、と気づいた。競合する商品と同じ売り場に並んでも最初から優位を生み出しているもの、それこそがブランドだ」
経営者として自分にできることは、「ブランドという下駄をすべての商品に履かせること」——この確信が、中川さんの経営の全体方針を貫いています。
重要なのは「ブランドはデザイナーだけで作るものではない」という発想です。商品・販売員の所作・店舗のインテリア・ディスプレイ・価格・営業方針・流通政策・製造体制・広報・人事・法務・財務まで、会社の機能すべてがブランドイメージを形作るタッチポイントです。「これらすべてをある一定の方向にコントロールして初めて本当の意味でブランドとなりうる」
「大ヒット商品を生み出してはいけない」——なぜ中小企業にとってヒット商品は危険なのか
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』の中で、最も逆説的な主張が「大ヒット商品は危険だ」という警告です。
ある町工場がクッションの新素材を開発し、売上高が1億円から数十億円に急成長した。しかしその翌年に売り上げが急落し、その翌々年に倒産——この話が中川さんの「大きな教訓」になっています。
「中小企業が大ヒット商品を生み出すと、そのインパクトは大企業におけるそれよりも相対的に大きい。設備投資や人員増強など何らかの拡大政策を伴う。翌年には前年の売上実績が重くのしかかる。ヒット期間が長ければ長いほど、ピーク時からの売り上げの落ち幅は当然大きくなる」
だから中川さんが目指すのは、「毎年少しずつ確実に成長するブランド」です。特定商品の当たり外れで一喜一憂するのではなく、ブランドの価値を年々高めていくことで、個々の商品のリスクをブランドカで吸収する。「いつも考えているのは、『どうすればブランド価値が上がるか』だ」という言葉に、この哲学が凝縮されています。
「卸から小売りへ」——なぜ流通の設計を変えることがブランドの命運を分けるのか
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』の第2章は、流通の設計を変えることの重要性を語ります。
中川さんが入社した当時、中川政七商店の第2事業部は主に卸売りで商品を販売していました。問屋を通じて小売店に商品を届ける仕組みです。
しかしこの方法には致命的な弱点があります。「メーカーが商品の背景を顧客に伝えることができない」という問題です。
「商品の背景とは、産地情報・素材情報・使用法などの狭義の情報に加え、作り手の情報や開発者の思いやコンセプト、開発の裏話など広義の情報を意味する。消費者はインターネットを駆使してこれらの情報を求めている」
卸売りでは、自社の商品がどこで、誰に、どのように売られているかを把握できません。顧客に直接メッセージを届けることもできない。これでは「ブランドという下駄を履かせる」ことは不可能です。
だから中川さんは直営店の展開に舵を切ります。「小売りに求められるキーワードは二つ——『商品の背景』と『価値観の時代』だ。セレクトショップとは、メーカーとしての自社の価値観を消費者に伝えていく役割を担っている」
出店交渉の場で「キーマンの奥さんに商品を使ってもらうように仕向けてみては」という実践的なアドバイスも本書には登場します。「将を射るにはまず馬を射よ——奥さんが馬という意味ではないのであしからず」というユーモアを交えながら。
「卸売り中心から直販・直営への転換で業界の常識を覆した」経営者の事例は他にもあります。
「粋更の挫折と復活」——コンセプトなきブランドはなぜ売れなかったのか
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』の第7章は、新ブランド「粋更(きさら)」の誕生から挫折、そして復活までの実録です。
「これはいける!」というひらめきだけでスタートした粋更は、最初の見本市でバイヤーから「実績がないこと」と「イメージがつかめないこと」を指摘されます。営業に行っても「商品のテイストや特徴は説明できるが、もっと根っこの部分が伝えられない。何を伝えていいのかもわからない」——ブランドコンセプトが固まっていなかったのです。
転換点は、外部デザイナー「シナト」との出会いでした。遊中川の新店舗インテリアデザインの仕事で、彼らが見せた仕事に衝撃を受けます。「什器の形やデザインを決めるとき、そのすべてに何らかの理屈付けがなされていた。ゲート型の什器を説明するのに稲荷神社の鳥居の写真を見せられる。こういうのがコンセプトワークだと初めて知った」
シナトと組んで行ったのは、「粋更とは何者か?」を問う作業でした。各自が「粋更らしい」と思うビジュアルを持ち寄り「これは粋更っぽい、いや違う」というディスカッションを繰り返す。その過程で生まれたキーワードが「新しい日本のカタチ」——コンセプトが言語化されたとき、ブランドはようやく動き出しました。
「デザイナーは感性的に高い位置にいる。まずメーカーの高さまで下りてきてもらいたい」——デザイナーとのパートナーシップの本質を語るこの言葉が、粋更復活の核心です。
「社員に諦めてはいけない」——なぜ人の問題は経営者の問題なのか
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』の第5章で語られる組織論は、中川さんの経営者観の核心を表しています。
「仕事における能力がどんなに低い人でも、その人が100パーセントの力を出せば、一定レベル以上の仕事ができると思っている」
「一定以上のレベルに届かないのは、社員をその気にさせて100パーセントの力を引き出せていない経営者側の問題だ」
この確信から、中川さんは2006年に人事制度を大きく改めます。評価面談の導入、諸手当廃止と年俸制への変更、社内公募制の導入——いずれも目新しい制度ではありませんが、「社員が評価されているかどうかわからない状態を放置する」悪循環を断ち切るための改革です。
「諦めるくらいなら、一人で仕事をした方がよい。でも一人でやるより、みんなでやった方が、うれしいことも悲しいことも辛いことも楽しいことも共有できる。それが何よりの喜びだ」
また新卒採用についても、穴埋め採用から計画採用へと転換します。「ブランド力のある会社は、売り手市場でも業種や規模を問わず人気が高い」——人材採用はブランド力の問題でもあるという視点が、採用改革の背景にあります。
「広告にお金をかけない」——なぜブランドは広告より設計で決まるのか
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』でコミュニケーション戦略として語られるのが、「広告にお金をかけない」という方針です。
「コアデザインは社内でやる」というのが原則で、外部に頼る基準は明確です——専門性が著しく高い(または低い)業務であること、業務量が安定していないこと、事業競争力のコアな部分ではないこと。この三条件に当てはまらない限り、自前でやる。
粋更の店舗では常時、伝統工芸関連の書籍を扱い、「本モノ展」という企画展を開催しています。「商品とそれに関する書籍を並べてディスプレイする企画展は毎回好評を博している。これは書籍の売り上げが目的ではなく、消費者の新たな関心と知的好奇心に応える」
この発想は「商品の背景を伝える」というブランディングの本質と一致しています。広告費をかけて商品を押し売りするのではなく、店舗というタッチポイントを通じて、なぜ・どのように・誰によって作られたかを顧客に伝える。「メーカーは商品の背景に一番詳しいのはメーカー自身だ」という強みを活かす戦略です。
中川淳さんのこだわりとは?
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』を通じて、中川さんという経営者の核心が見えてきます。
「日本の伝統工芸の復活」:粋更が目指すのは「日本の伝統工芸や伝統的な素材をベースに、今の生活に過不足なく入っていける機能とデザインを持った製品」を作ることです。ブラスプロジェクトでは、創業400年の吉野本葛の老舗・黒川本家とのコラボで「鹿の葛菓子」を、奈良の筆メーカー・あかしやとのコラボで「筆ペン」を開発——「伝統工芸を守る」ではなく「伝統工芸を現代の生活に溶け込ませる」という発想が核心です。
「自前主義」:「基本的に自前主義なので、できる限り外部の力を借りたくはない」と本書に書かれています。しかし外部のプロと仕事をする副産物として「社内の刺激になる」ことも認識しており、一時的に外部を頼ってもノウハウが社内に蓄積されたら自前に切り替えていく。新卒採用も1年だけ外部に手伝ってもらい、2年目から自前に切り替えました。
「愚痴を言い合って頭の回転を止めるより、全力で頭を回して問題解決している方がずっと楽しい」:中小企業の社長が集まると人材の問題でぼやき合うことが多い、と中川さんは指摘します。しかし「諦めたらそれ以上進まない」——経営者の仕事は「どうすればみんなをその気にさせられるかを考え抜くこと」であり、それ自体が楽しい仕事だという姿勢が本書を貫いています。
中川淳さんゆかりの地とは?
奈良県(本社・創業の地):1716年(享保元年)に初代・中屋喜兵衛が奈良晒(ならざらし)という高級麻織物の問屋業を興した場所。「奈良の小さな会社」という本書のタイトルが示すように、地方の老舗メーカーが東京の一等地に打って出るというコントラストが、中川さんの改革の出発点です。
表参道ヒルズ(夢の実現の場所):粋更(きさら)の旗艦店が出店した場所。出店当初は「目立たない所で決していい場所とは言えなかった」が、内装デザイナー・小泉誠さんとの協働で「素材感のあるさまざまな商品が並び、人がたまりやすいコーナー」が生まれました。奈良の老舗が東京の最先端商業施設に出店するまでの道のりが本書のタイトルになっています。
富士通(転換点の場所):「わずか2年間ではあったが、社会人としての基礎と会社というものがいかなるものかを学べた。ITサービス業における生産性の意識——いかに自分が動かずに売り上げを最大化するか——が強くなった」と本書にあります。大企業での経験が、中川政七商店に持ち込んだ「仕組みで考える」視点の原点になっています。
中川淳さんから学ぶ、3つの教訓とは?
1. 「ブランドという下駄を商品に履かせろ」——デザイナーでない経営者が担うべき仕事がある
デザインは得意でない、ヒット商品を生み出す才能も怪しい——そう自覚した経営者が「自分に何ができるか」を考え抜いた結果が「ブランドの設計」でした。商品・流通・組織・コミュニケーション・もの作りのすべてを一定の方向に揃えることで、ブランドという文脈が生まれる。これは経営者だけに可能な仕事です。「経営とはデザインである」という言葉の意味がここにあります。
2. 「コンセプトなきブランドは何も伝えられない」——言語化できていないものは存在しないに等しい
粋更の挫折の原因は、商品の質でも価格でもなく「コンセプトが言語化できていなかったこと」でした。営業に行って商品の特徴は説明できても、「なぜこのブランドが存在するのか」が語れない。言語化して初めて、チームで共有できる。共有されて初めて、外に発信できる。ブランディングはコンセプトの言語化から始まるという原則は、あらゆる規模の企業に通じます。
3. 「大ヒット商品を目指すな、ブランドを積み上げろ」——持続可能な成長には「下駄」が必要だ
大ヒットは危険——中小企業がヒット商品に依存すると、翌年の高い実績が首を絞めます。それよりも毎年少しずつブランド価値を高め、個々の商品のリスクをブランドカで吸収する設計の方が持続可能です。「いつも考えているのはどうすればブランド価値が上がるか」というこの発想は、短期の利益より長期の資産を作ることを優先する経営観です。
この記事で語りきれなかった『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』の魅力とは?
本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、「ブラスプロジェクト」の話です。自社のブランディング改革で得たノウハウを、他の伝統工芸メーカーに提供するコンサルティング事業として立ち上げた取り組みです。「日本の伝統工芸の復活に向けて、一社だけが良くなるのではなく業界全体を底上げする」という視点が、宮治勇輔さんの「農家のこせがれネットワーク」や村岡浩司さんの「九州ブランドのムーブメント」と同じ発想を持っています。
二つ目は、「対談編」の含蓄ある議論です。デザインディレクター・西澤明洋氏、デザイナー・小泉誠氏、コンセプター・坂井直樹氏との対談が収録されており、メーカーとデザイナーの関係論が深く掘り下げられています。「デザイナーはまずメーカーの高さまで下りてきてほしい」「メーカーがデザイナーに求めるのはデザインだけではない」という対話が、ものづくりの現場でのコラボレーションの本質を語っています。
三つ目は、「父・十二代から学んだ言葉」の重みです。「何をやるにせよ、人より少しでも先んじることが大切だ」「常に一歩先、二歩先のことを考えなさい」「自分で選べないような状況だけは作るな」——これらの言葉が中川淳さんの今の価値観を形作ったと本書にあります。「家業の話を一切しなかった父から受け取った数少ない言葉」が、改革者の土台になっているという逆説が印象的です。
📚 [奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり(日経BP社)を読んでみる]
まとめ|中川淳さんが教えてくれること
「経営とはデザインである」——この言葉は、アートやクリエイティブの話ではありません。
ブランドという方向性を決め、それに向かってすべての仕組みを意図的に設計し直す——流通をデザインし、組織をデザインし、コミュニケーションをデザインし、もの作りをデザインする。この全体設計こそが経営者の仕事だ、という意味です。
本書『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』は、1716年創業の老舗という重厚な歴史を背景に持ちながら、富士通出身の若い経営者が「なぜこれをやるのか」を徹底的に問い直した改革の記録です。
老舗であること、地方の中小企業であること——これらはハンディキャップではなく、正しく設計すれば「ブランドという下駄」になる。ぜひ手に取ってみてください。
よくある質問
Q: 中川政七商店はどんな会社ですか? A: 1716年(享保元年)創業、奈良県に本社を置く老舗メーカーです。初代・中屋喜兵衛が奈良晒(ならざらし)という高級麻織物の問屋業を興したことに始まります。現在は茶道具全般の企画・製造・卸と、麻生地を使った生活雑貨の企画・製造・卸・小売りの二事業を展開しています。「遊中川」「粋更」などのブランドを直営店で展開し、近年は他の伝統工芸メーカーへのコンサルティング「ブラスプロジェクト」も行っています。
Q: 「粋更(きさら)」とはどんなブランドですか? A: 中川淳さんが立ち上げた、日本の伝統工芸や伝統的な素材をベースに現代の生活に溶け込む機能とデザインを持つ製品を展開するブランドです。「新しい日本のカタチ」をコンセプトに、全国の伝統工芸・素材のメーカーと協働して商品を開発し、表参道ヒルズに出店しています。
Q: なぜ中小企業にブランディングが必要なのですか? A: 中川さんは「ブランド論は大企業のためだけの考えではなく、中小企業にこそ必要な考え方だ。規模が小さい分、方向性を一つに定めやすい」と述べています。また人材採用の問題も実はブランド力の低さが原因であることが多く、優秀な人を採用するためにもブランディングは不可欠です。インターネットが普及した現代では、企業規模を超えてブランドの輝きを社会に伝えることが容易になっています。
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参考文献:中川淳(中川政七商店十三代)『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』(日経BP社)
