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「石坂はこの町から出て行け!」
工場の周りには反対運動の横断幕が何枚も貼られ、取引先のゼネコンからは「二度と持っていかない」と取引停止を告げられ、週刊誌には取材もされないまま書きたいことだけが書かれていく——。
石坂典子さんが父から社長のバトンを受け取ったのは、2002年、30歳のときでした。
前年の1999年、テレビ番組が所沢産の野菜にダイオキシンが含まれていると報道し、埼玉県所沢市周辺の産廃業者への激しいバッシングが始まります。「産廃銀座」と呼ばれていたこの地域で事業を営む石坂産業は、運動の集中砲火を浴び続けました。
「この会社を継ぐのは私しかいない」——憔悴した父の姿を見て、勝手にそう思い込んだのが始まりでした。
社長就任後に断行した改革に「あんたと働きたくない」と社員の4割が辞め、車のフロントガラスが粉々に割られ、文字通り「絶体絶命」の船出でした。
しかし今、東京ドーム3.5個分の敷地の8割は里山です。ゲンジボタルが飛び、ニホンミツバチが棲み、小学生の社会科見学のメッカとなった工場に、中南米・カリブ10か国の大使が見学に訪れます。
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』は、その12年間の全記録です。
石坂典子の経営思想の核心は「脱・産廃屋」——産廃業者らしくない産廃業者を目指すことが、地域から嫌われた会社を愛される会社に変えた。
目次 表示
- 石坂典子さんはどのような人物か(基本プロフィール)
- 「ダイオキシン騒動と大バッシング」——なぜ正しいことをしていた会社が嫌われたのか
- 「50代不良社員との戦い」——なぜ社員の4割が一斉に辞めたのか
- 「産廃会社になぜホタル?」——なぜ「脱・産廃屋」が業界の常識を変えたのか
- 「掃除と3S(整理・整頓・清掃)が会社を変えた」——なぜ10年以上の継続が「文部科学大臣賞」につながったのか
- 「リサイクル化率95%と価格主導権」——なぜ値下げ競争に参加しなかったのか
- 石坂典子さんのこだわりとは?
- 石坂典子さんゆかりの地とは?
- 石坂典子さんから学ぶ、3つの教訓とは?
- この記事で語りきれなかった『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』の魅力とは?
- まとめ|石坂典子さんが教えてくれること
- よくある質問
- 関連記事
石坂典子さんはどのような人物か(基本プロフィール)
| 氏名 | 石坂典子(いしざか のりこ) |
| 出身 | 埼玉県三芳町 |
| 経歴 | 石坂産業に入社、営業・事務を経験→1999年ダイオキシン騒動による大バッシング→2002年30歳で2代目取締役社長就任→「脱・産廃屋」改革を推進→里山再生・工場見学事業を立ち上げ→リサイクル化率95%を実現 |
| 主な実績 | 2008年「さいたま輝き荻野吟子賞」受賞。2014年「掃除大賞」「文部科学大臣賞」ダブル受賞。リサイクル化率95%達成。工場見学受け入れ年間約3万人(経営者・政治家・タレント・小学生まで)。JHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランク「AAA」取得 |
| 著書 | 『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』(ダイヤモンド社) |
「ダイオキシン騒動と大バッシング」——なぜ正しいことをしていた会社が嫌われたのか
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』の出発点は、理不尽な逆境です。
1999年2月、テレビ番組が「所沢産の野菜にダイオキシンが含まれている」と報道します。後日、ダイオキシンが検出されたのは野菜ではなく煎茶であり、濃度も健康に影響を及ぼすほどではなかったことが判明——しかし騒動は収まらず、所沢産はもちろん埼玉県産の農作物全体の販売自粛につながりました。
皮肉なことに、父が創業した石坂産業はその2年前の1997年に、国の法規制を先読みして業界最先端のダイオキシン対策炉をすでに導入済みでした。しかしそれが逆に住民の怒りを増幅させます——「ダイオキシン対策をしていない会社なら反対運動ですぐやめさせられるが、法律に問題のない石坂産業はやめさせられない」という憎悪の集中砲火でした。
「どんなに反対運動をしても焼却をやめさせられそうもない当社への憎悪がますます膨らんだ」——取引先ゼネコンからの一方的な取引停止、住民による埼玉県への許可取消訴訟、週刊誌の的外れな記事——「なぜ真実が伝わらないのか」と叫びたい気持ちを必死で抑え続けました。
「周りはみんな敵なんだ」という孤立感の中で、父は憔悴しきっていました。
「50代不良社員との戦い」——なぜ社員の4割が一斉に辞めたのか
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』の最大の転換点が、社内改革と集団辞職です。
2002年に30歳で社長に就任した石坂さんが目にしたのは、「エロ本が散乱し、ヌードポスターが貼られ、サンダル履きにくわえタバコで出入りする」現場でした。休憩所には6か所のスーパーハウスがあり、5時になると業務時間中にもかかわらず社員たちがテレビを見ながらタバコを吸っています。ひと言スピーチで「私のモットーは楽してがっぽり儲けることです」と平気で言う50代もいました。
「社員から好かれることが目標ではない」と腹を括り、石坂さんは改革を次々と断行します。休憩所6か所を1か所に統廃合、仕事中のタバコ禁止、ヘルメット着用義務化、二日酔いでの出社禁止、挨拶の徹底——。
就任直後、自分の車のフロントガラスが粉々に割れました。「小石が飛んできたに違いない」と自分に言い聞かせようとしながら、「もしかしたら社員が叩いたのかも」という不安を打ち消せない——それが当時の状況でした。
「ふざけんな!」「あんたと働きたくない」——結果、社員の4割が去りました。
しかし石坂さんは止まりません。「たとえ全社員を敵に回しても、会社をつぶさないことが私の役目」——この一点で覚悟を決めていたからです。
「徹底した現場改革・人材改革で組織を根本から変えた」経営者の事例は他にもあります。
「産廃会社になぜホタル?」——なぜ「脱・産廃屋」が業界の常識を変えたのか
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』の核心が「脱・産廃屋」という発想の転換です。
「人は知らないもの、わからないものに対し不安を感じる。その不安が反対運動につながる」——この気づきから、工場見学の受け入れが始まります。産廃処理の現場をそのまま見せ、説明することで「意外と大切な仕事をしているのね」という反応が生まれました。
さらに2003年、「石坂サティアン」と揶揄された工場周辺に花木園(里山公園)を造ります。ジャングルのような暗い雑木林を整備して明るい里山にしたところ、初めて地域の人から「すてきな里山公園だね」という言葉が返ってきました——地域から認められた最初のひと言でした。
以来、里山は拡張を続け、東京ドーム3.5個分の敷地の8割が里山になりました。きれいな水にしか棲まないゲンジボタルが飛び、絶滅危惧種のニホンミツバチが棲みつき、最終的にJHEP(ハビタット評価認証制度)の最高ランク「AAA」を取得します。
「産廃屋なのにホタル? ニホンミツバチ?」という違和感が、人を呼ぶ最大の磁力になりました。経営者、政治家、タレント、そして小学生の社会科見学——人が来ることで工場の実態が伝わり、取引先が戻ってきます。「見えないブランド」が育っていきました。
「掃除と3S(整理・整頓・清掃)が会社を変えた」——なぜ10年以上の継続が「文部科学大臣賞」につながったのか
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』で繰り返し語られる習慣が「3S(整理・整頓・清掃)」の徹底です。
毎日「巡回指導報告書」を作り、毎月業務レポートを作り、地域のゴミ集めのボランティアを続けること10年以上——この積み重ねが、日本そうじ協会の今村理事長の目に止まりました。「御社はこれからもっともっとよくなる。日本中に認知される会社になる」という言葉通り、2014年に「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞します。
表彰式で社員たちは泣いていました。「社長、やりました!」——12年前とは別の会社になっていました。
「社員は私の誇りです」——かつてヌードグラビアを散乱させ、サンダル履きで仕事をしていた社員たちが、訪れたお客様から「社員の方たちが深々と挨拶してくれて驚いた」と言われるほどに変わりました。
鍵山秀三郎さんの「凡事徹底」と同じように、掃除という地道な行為を続けることが、組織の空気を根本から変えていきます。
鍵山秀三郎|イエローハット創業者が語った「凡事徹底」掃除哲学と地道積上の経営
「リサイクル化率95%と価格主導権」——なぜ値下げ競争に参加しなかったのか
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』後半のビジネスモデル論の核心が「価格評価から価値評価へ」です。
産廃業界では「廃棄物処理単価は安ければ安いほどいい」という常識があります。石坂さんはこれを「変えたかった」と言い切ります。時期とタイミングを見ながら少しずつ処理単価を値上げし続けた結果、ライバルが少ない「不燃系廃棄物処理」というニッチ市場で価格主導権を握ります。
「父のメッセージは『技術を貫く』ことだった」——ダイオキシン対策炉に始まり、40億円を投じた新型プラント、他社が扱えない廃棄物を処理できる技術開発——そのたびにトラブルが続き、スムーズに動くまでに3年を要した機械もありましたが、技術から逃げなかった。
現在、搬入された建設廃棄物の減量化・リサイクル化率は95%——廃棄物を処理して終わりではなく、リサイクルして資材として販売するという2つの収入源を持つビジネスモデルが確立されました。「埋め立てをしない」という使命が、技術開発の方向性を一貫させています。
石坂典子さんのこだわりとは?
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』を通じて、石坂さんという経営者の核心が見えてきます。
「一人ひとりの社員に直接声をかける」:くじけそうになっている社員を見つけたとき、石坂さんは現場に行って「あんたは絶対に辞めさせないからね!一緒にいい会社にしていこう!」と直接声をかけます。「あなたは会社にとって大切な存在だ」と伝えることで、社員が自発的に動き始めると石坂さんは言います。アンケートで社員の声を吸い上げ、できることから一つひとつ改善していく——この地道な姿勢が「社員が辞めない会社」を作りました。
「適材適所を見つける」:工場見学の案内スタッフとして配属したところコミュニケーションが苦手だとわかった女性社員を、事務仕事に転換したところ「イキイキと仕事をするようになった」というエピソードが本書に登場します。「どんな仕事が合うか」を観察し続けることが、石坂さんの人材活用の基本姿勢です。
「ものを大切にする文化」:「会社で使っている道具も『会社のもの』ではなく『自分のもの』だと思ってほしい」という言葉に、石坂さんの経営観が凝縮されています。産廃業者として「捨てられるものを活かす」仕事をしているからこそ、ものへの敬意が組織文化の土台になっています。
石坂典子さんゆかりの地とは?
埼玉県三芳町・くぬぎ山(変革の場所):かつて「産廃銀座」「石坂サティアン」と呼ばれた場所が、今や里山・ホタル・ニホンミツバチのある「工場見学のメッカ」になりました。「嫌われた場所を愛される場所にする」という12年間の格闘の舞台です。東京ドーム3.5個分の敷地の8割が里山という光景が、「脱・産廃屋」の哲学を視覚化しています。
父との対話の場所(転換点):「お父さん、どうしてこの会社をつくったの?」——憔悴した父と2人で話した社長室が、石坂さんの人生を変えた場所です。中学を卒業して魚屋の見習いから始め、タクシーの運転手を経て「夢の島」でゴミを埋め立てる仕事から「リサイクルの時代が来る」という確信で会社を興した父の話を聞いた瞬間、「この会社を継ぐのは私しかいない」という決意が生まれました。
表彰式の会場(証明の場所):2014年、「掃除大賞」「文部科学大臣賞」をダブル受賞した表彰式。社員5人と一緒に臨んだ式で「社長、やりました!」と泣く社員たちを見て、「本当にあんたたちのおかげだよ」と思わず声をかけた場所——「自分たちの取り組みが評価された」という社員の喜びが、12年間の改革の正しさを証明しました。
石坂典子さんから学ぶ、3つの教訓とは?
1. 「理不尽な逆境でも技術と使命から逃げるな」——続けていれば、必ず伝わる日が来る
正しいことをしていても嫌われ、法律に問題がないのに排除され、真実が伝わらない——この理不尽な状況に、石坂さんは「産廃業者らしくない産廃業者になること」で応えました。逃げるのでも戦うのでもなく、「正しいことを正しいまま見せ続ける」という姿勢が、10年以上かけて地域の信頼を取り戻しました。継続することの力を、石坂さんの12年間が証明しています。
2. 「社員の4割が辞めても改革をやめるな」——人に好かれることと正しくあることは別問題だ
「理解してもらおう」「仲よく改革しよう」という気持ちはさらさらなかった——この覚悟が改革を貫かせました。社員に好かれることを優先すれば、改革は「みんなが納得する範囲」で止まります。「たとえ全社員を敵に回しても、会社をつぶさないこと」という一点に目的を絞ることで、反発を受けながらも前に進み続けることができました。
3. 「嫌われた理由を解決すれば、それが最大の強みになる」——逆境の本質を問い直せ
「知らないから怖い」「わからないから嫌い」——地域住民が産廃業者を嫌っていた本当の理由を理解したとき、石坂さんは「工場見学で見せる」という解決策を見つけました。嫌われていた理由が「産廃銀座の産廃業者」という暗いイメージなら、「里山・ホタル・ニホンミツバチ」のある産廃業者になればいい。ネガティブな出発点が、唯一無二のブランドになりました。
この記事で語りきれなかった『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』の魅力とは?
本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、「JHEP最高ランクAAAの取得」の経緯です。里山の整備を進める中で「木を伐採して森林破壊をしている」という新たな批判が来ます。しかし石坂さんは「すべての人の言い分を取り入れることは不可能」と判断し、第三者機関であるJHEPによる科学的な認証取得に踏み切ります。生物多様性の観点から「最高ランクAAA」を取得したことで、里山の価値が客観的に証明されました。
二つ目は、「命のビザをつないだ大迫辰雄」のエピソードです。本書の第1章に登場する、石坂産業の先輩社員・大迫辰雄が第二次大戦中にユダヤ人116名の命をつないだという史実が語られます。「一つの会社には、知られざる歴史が必ずある」——この発見が「永続企業にする」というミッションに新たな意味を加えました。
三つ目は、「代表権のない10年間」という学びです。「取締役社長」として動きながら「代表取締役会長」の父が最終責任を持つという10年間を「好きなことにチャレンジできる貴重な期間だった」と振り返る石坂さんの言葉。「代表権を持つと連帯保証のサインをするという重責で眠れなくなる」という経験を経て、「これほど父がありがたかったことはない」という感謝に変わります。
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まとめ|石坂典子さんが教えてくれること
「嫌われた会社が愛される会社になる」——この言葉は、きれいごとではありません。
ダイオキシン騒動による大バッシング、社員の4割離脱、四面楚歌の中で「脱・産廃屋」という逆張りの哲学を貫いた12年間の実録が、本書には詰まっています。
「正しいことを正しいまま見せ続ける」「知ってもらうことで誤解は解ける」「地道な継続が唯一無二のブランドになる」——石坂さんの経営哲学は、業種を問わず、逆境に立つすべての経営者・後継者へのエールです。
本書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』をぜひ手に取ってみてください。
よくある質問
Q: 石坂産業はどんな会社ですか?
A: 埼玉県三芳町に本社を置く建設系産業廃棄物の処理・リサイクル会社です。搬入された廃棄物の95%を減量化・リサイクルし、残り5%以下しか埋め立てしません。東京ドーム3.5個分の敷地の8割が里山で、ゲンジボタルや絶滅危惧種のニホンミツバチが棲んでいます。年間約3万人が工場見学に訪れ、小学生の社会科見学から政治家・経営者まで幅広く受け入れています。
Q: なぜ産廃会社に里山やホタルがいるのですか?
A: 「知らないから怖い、わからないから嫌い」という地域住民の不安を解消するため、工場を開放して見てもらう必要があったからです。工場見学を受け入れるために環境を整備し、「産廃業者らしくない産廃業者」を目指した結果、里山・ホタル・ニホンミツバチという独自の景観が生まれました。生物多様性の観点でJHEP最高ランク「AAA」を取得しており、科学的にも認められた里山環境です。
Q: 石坂典子さんが2代目として成功した理由は何ですか?
A: 「社員に好かれることより会社をつぶさないこと」という一点に覚悟を定めたことです。就任直後に社員の4割が離脱する中でも改革を止めなかった。また、地域に嫌われた本当の理由(「産廃業者の実態を知らないから不安」)を正確に理解したことで、工場見学・里山整備という的確な解決策を打てました。10年以上の継続が「文部科学大臣賞」受賞という形で結実しています。
関連記事
→ 「現場改革・人材改革で組織を根本から変えた」経営者
→ 「地道な積み上げと掃除の継続で業界に革命を起こした」経営者
→ 経営者たちが経験した逆境と立て直しのパターン
参考文献:石坂典子『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!——2代目女性社長の号泣戦記』(ダイヤモンド社)
