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2001年、富士フイルムはライバルのコダックの売上を追い越した。40年近くかけて、ようやく追いつき、そして追い越した日。
しかしその翌年から、本当の戦いが始まります。
デジタルカメラの急速な普及が意味するのは、写真フィルムが不要になるということ。富士フイルムの売上の6割、利益の3分の2を占めていたカラーフィルムの市場が、年率20〜30%の勢いで収縮を始めます。10年後には世界総需要がかつての10分の1以下になりました。
「車が売れなくなった自動車メーカーはどうなるのか。鉄が売れなくなった鉄鋼メーカーはどうすればいいのか。我々は、まさにそうした事態——本業消失の危機に直面していた」
社長に就任したばかりの古森重隆さんがこの危機に向き合い、会社を救ったのが「第二の創業」と名付けた経営改革でした。そして2007年、写真フィルム事業が4分の1に激減した中で、富士フイルムは史上最高売上高・営業利益を叩き出します。
本書『魂の経営』は、古森さんが全身全霊を懸けたこの改革の全貌と、リーダーとしての哲学を語り下ろした一冊です。
古森重隆の経営思想を一言で表すと「本業消失を恐れるな、技術の棚卸しで次の戦場を見つけよ」である。フィルム技術を核に化粧品・医療・液晶材料へ転換した富士フイルムの改革は、既存技術の新領域応用という普遍的な経営原則を体現している。
古森重隆さんの基本プロフィール
| 氏名 | 古森重隆(こもり しげたか) |
| 生年 | 1939年9月5日、満州(現中国東北部)奉天市(現瀋陽)生まれ |
| 学歴 | 長崎県立長崎西高校→東京大学経済学部卒業(1963年) |
| 経歴 | 1963年富士写真フイルム入社→主に営業畑→1996年フジフイルムヨーロッパ社長(ドイツ)→2000年代表取締役社長→2003年社長兼CEO→2006年グループ再編によりFUJIFILMホールディングス代表取締役社長兼CEO→2012年代表取締役会長兼CEO→2021年退任・最高顧問→現在も活動中 |
| 主な実績 | 「第二の創業」による本業消失危機からのV字回復。写真フィルム事業の構造改革(世界約5000人削減)。液晶・医療・化粧品・医薬品への事業転換。富山化学工業・Sonosite等の戦略的M&A推進。コダック破綻(2012年)と対照的な成長の継続 |
| 著書 | 『魂の経営』(東洋経済新報社)ほか |
古森重隆とはどのような経営者か——「第二の創業」の全貌
富士フイルムが写真フィルム事業の急激な縮小に直面したとき、古森さんが取った行動は3段階に分かれています。
第一に「技術の棚卸し」。ケミストリー、エレクトロニクス、メカトロニクス、オプティクス、ソフトウェアなど富士フイルムが持つ技術をすべて洗い出し、「成長市場か」「技術はあるか」「競争力を持てるか」の3軸で重点事業分野を選定しました。
第二に「徹底的な構造改革」。世界中で一時は150カ所以上あった現像所の集約、日本・米国・オランダの大規模工場の再編、写真関連部門での世界約5000人の人員削減。「やらなければならないことは断固としてやる」という覚悟で断行しました。
第三に「新たな成長戦略」。フィルム製造で培った技術——ナノ加工技術、コーティング技術、有機合成技術などを化粧品、医薬品、医療機器、液晶用フィルムへと横展開し、積極的なM&Aと組み合わせて新たな事業を作り上げました。
2004年2月に発表した中期経営計画「VISION75」(創立75周年に向けての計画)が、この3段階の青写真でした。
なぜ古森重隆は本業消失という危機をいち早く察知できたのか
古森さんが写真フィルム市場の急縮小に「覚悟」を持てた背景には、長年の現場経験がありました。
産業材料部で印刷関連の営業を担当していた若い頃、製版工程のデジタル化の衝撃を目の当たりにしています。フルカラーの週刊誌の表紙を作るのに数十枚使われていたフィルムが、コンピュータで編集して1枚のフィルムに打ち出すだけで済むようになった——。「将来、デジタル印刷の技術も確立されてフィルムが使われなくなる可能性がある。これは大変なことが起きる」と感じていたのは、この時でした。
さらに1996年からフジフイルムヨーロッパ社長としてドイツに赴任した古森さんは、欧州市場でコダックとの熾烈な競争を指揮しながら、写真フィルム市場の先行きをより鮮明に察知します。
社長就任は2000年——まさに写真フィルムの売上がピークを迎えた年でした。絶頂のときにこそ危機が忍び寄る。古森さんはこの皮肉な一致を強く認識していました。
「心を鬼にして決断するしかない」——なぜリストラを断行したのか
「やらなければいけないことは断固としてやらなければならない」
本書『魂の経営』でこの言葉が最も重く響く場面が、写真関連部門の人員削減の決断です。
当初、古森さんはリストラまではやらなくてもいいのではないか、と考えていました。生産体制の再編、販売体制の改革、購買調達の見直し——そうした施策の積み重ねで乗り越えられるかもしれないと、綿密にシミュレーションを行います。しかし2年が経過したとき、「当初想定していた以上に写真フィルム市場の縮小が進んでいた」という現実が突きつけられます。
古森さんはリストラに着手する腹を決めます。2006年1月、その方針を公表。
「もし会社がつぶれてしまえば、それこそ何も残らない。リストラをするのか、しないのか。会社をつぶすのか、つぶさないのか。何が重要なのかというプライオリティを考えれば、経営者としてやらなければいけないことは明らかだった」
「もちろん私も、本音を言えば、社員を辞めさせたくなかった」——そう正直に書きながら、「心を鬼にして決断するしかない。経営者には、20年、30年先を考えて、いや、もっと先のことをも考えて、会社を生き残らせる責任があるのだ」と続ける。この葛藤の記述が、古森さんの言葉に深みを与えています。
「技術の棚卸し」から生まれたなぜ化粧品と医薬品が富士フイルムの新事業になったのか
「写真フィルムの製造で培った技術が、なぜ化粧品や医薬品に使えるのか?」
多くの人が疑問に思うこの問いへの答えが、本書『魂の経営』に詳しく書かれています。
写真フィルムの主成分は「コラーゲン」です。コラーゲンを扱う技術は、まさに化粧品の核心技術と重なります。さらに、フィルムを光や温度変化から守る「酸化防止技術」は、肌の酸化(老化)を防ぐスキンケア商品に応用できます。また、フィルム表面に1ミクロン以下の精度でさまざまな機能性物質を塗布する「超高精度コーティング技術」は、医薬品の製造や医療用フィルムにそのまま活かせます。
「これほど多くの技術が、新しい事業分野でそのまま使えるとは」——古森さん自身も驚いたといいます。
この発見が「技術の棚卸し」の核心でした。富士フイルムが持つ20万以上の有機化合物の知見、ナノレベルの加工技術、超精密コーティング技術——これらを別の市場で展開することで、ゼロから技術を積み上げる必要がない。他社には真似のできない「参入障壁」が初めから存在していたのです。
医療画像診断装置への参入も同様です。X線写真を解析する画像処理技術、光学レンズ技術、画像データを扱う情報技術——いずれも写真事業で磨いてきた技術でした。
コダックとの比較は、本業消失への対応の明暗を示す好例です。失敗談から学ぶ経営者たちの事例もあります。
「有事に経営者がやるべき四つのこと」——古森流リーダー論の核心とは
本書『魂の経営』の第3章では、「有事に際して経営者がやるべき四つのこと」が整理されています。古森さんの経営哲学が最も体系的に語られる部分です。
①読む:現状と将来の「読み」。今どのような事態に直面しているのか、この先どうなるのかを、限られた時間・限られた情報の中で正確に把握する。写真フィルム市場が10分の1になるという「読み」を早い段階でしたことが、コダックとの明暗を分けました。
②構想する:読みをもとに「どこへ向かうか」「何をすべきか」を考え、具体的な作戦に落とし込む。「VISION75」という中期経営計画の策定がこれにあたります。
③伝える:経営者の意志を組織のすみずみに伝播させ、社員一人ひとりに強い自覚を持たせる。「現状はトヨタにたとえれば自動車がなくなるようなもの」という強烈な言葉で社員に危機感を共有させました。
④実行する:決断したら、やり遂げる。評論家や学者ではないのだから、口で言っているだけでは話にならない。先頭に立ち断固としてやり抜く。
「有事の際は、リーダーは学級委員のように多数決で決めてはいけない」——古森さんはこう言います。戦場では指揮官が即断即決で指示を出す。悠長に民主的に議論をしている場合ではない。しかしその代わり、失敗したら責任を取らなければならない。「リーダーは絶対に失敗するわけにはいかない」——これが古森さんのリーダー観の核心です。
古森重隆さんのこだわりとは?
本書『魂の経営』を通じて、古森さんという経営者の核心が見えてきます。
「負けてたまるか——この一心が原動力」:1939年、満州・奉天で生まれた古森さんは5歳で終戦を体験します。ソ連兵による略奪が横行する中、父から渡された小さな日本刀。「国が戦争に負けたことが、子供心にも悔しくて仕方がなかった」。この原体験が「負けてはならない」という信念の根底にあります。着の身着のまま引き揚げてきた長崎での生活が、「本当の実力をつけなくてはならない」という確信を育てました。
「シナジーのないM&Aはやらない」:積極的なM&Aを推進しながらも、「ただ売上を増やすだけのM&Aなど我々にとって意味はない」という原則を貫きました。双方のシナジーによって他社と差別化できる製品が作れるかどうか——これが古森さんのM&Aにおける唯一の選定基準です。富山化学工業(医薬品)、Sonosite(超音波診断装置)など、すべてこの原則のもとに選ばれています。
「人頼みをする前に、自分は何をしたのか」:若い頃、製品の品質が悪いことを社長に直訴したとき、「しかし君はそのために何をしたのかね」と返されたエピソードが本書に登場します。以来、どんな問題に直面したときも「その問題を解決するために自分は何ができるか」を考えるようになった——この姿勢が、社長として「誰もが反対するような改革」を自ら断行する原動力になりました。
古森重隆さんゆかりの地とは?
ドイツ・デュッセルドルフ(フジフイルムヨーロッパ社長時代):1996年から2000年まで、フジフイルムヨーロッパ社長として欧州市場でコダックとの熾烈な競争を指揮した地。古森さんはここで欧州十数カ国のシェア差を逆転させます。同時に写真フィルム市場の先行きを肌で感じ、「本業消失」の覚悟を持って帰国した、第二の創業の前夜を過ごした場所です。
神奈川県開成町(富士フイルム先進研究所):「第二の創業」を支える研究体制の核として、460億円を投じて建設された先進研究所。約29,500平方メートルの敷地に延べ床面積59,000平方メートルの施設が建ち、千人近い研究者が分野横断で先端研究を進めます。壁のないワンフロア、ガラス張りの会議室、仕切りなしのミーティングスペース——「融知・創新・新たな価値の創造」をポリシーに、古森さんが自ら設計哲学を定めた場所です。
長崎県(引き揚げ後の少年時代):満州から「着の身着のまま」で引き揚げてきた佐世保港。焼け野原の日本で「負けることの惨めさが骨身にしみた」という体験が、その後の古森さんの人生を貫く「絶対に負けてはならない」という哲学の原点です。長崎県立長崎西高校時代から猛勉強し、東大に進んだことも、この「負けたくない」という気持ちの賜物だと古森さんは書いています。
古森重隆さんから学ぶ、3つの教訓とは?
1. 「絶頂のときにこそ危機が忍び寄る」——コダックとの明暗が教えること
コダックの売上を追い越した翌年から、市場そのものが消滅し始めた。この皮肉な歴史が教えるのは、「成功しているからこそ、次の変化に備えよ」という逆説です。富士フイルムが第二の創業に成功したのは、絶好調の時期から「デジタル化の足音」を聞き、技術の棚卸しを始めていたからでした。コダックは「フィルムが売れている間は変わらなくていい」と判断し、2012年に破産しました。同じ脅威に直面しながら、「備えるか・備えないか」だけで明暗が分かれた実例は、あらゆる業種の経営者への警告になっています。
2. 「技術の棚卸しで、別の戦場を見つけよ」——強みは意外なところに眠っている
写真フィルムの技術がなぜ化粧品や医薬品に使えるのか——最初は誰も信じなかった発想が、富士フイルムを総合ヘルスケア企業に変えました。自社の技術を「現在の市場でどう使っているか」ではなく「どんな産業に応用できるか」という視点で棚卸しすることで、既存の事業が急縮小しても次の戦場が見えてくる。「強みは意外なところに眠っている」——このことに気づいた会社と気づかなかった会社で、「第二の創業」を成し遂げられるかどうかが決まります。
3. 「やらなければいけないことは断固としてやれ」——経営者の責任の本質
人員削減を断行する決断は、古森さんにとっても苦しいものでした。しかし「もし会社がつぶれてしまえば何も残らない」というプライオリティの明確化が、躊躇を消しました。「リーダーは失敗するわけにはいかない。失敗したら責任を取らなければならない」——この原則があるからこそ、断固とした決断に正当性が生まれる。やるべきことを知りながらやらないことは、無責任である。古森さんの経営が「魂の経営」と呼ばれるのは、この覚悟の重さにあります。
この記事で語りきれなかった『魂の経営』の魅力とは?
本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、「骨太の楽観主義」という表現です。古森さんは改革の長い闘いを振り返り、「一体どうなるのかという中で、私がずっと信じていたのは、骨太の楽観主義だ」と語っています。根拠なき楽観でも、根拠なき悲観でもなく、「現実をしっかり見た上で、自分たちにはやり遂げられるという確信を持つこと」——この言葉は、本業消失という最大の危機の中で、古森さんを支えていた心の核心を表しています。
二つ目は、「真のライバルはコダックではなく、デジタル技術だった」という認識の変化です。長年のライバルとして追い続けたコダックを追い越した直後、競争相手が人間から技術へと変わった。「戦っている相手が人ではなく技術になったとき、戦略の組み方は根本から変わる」——この転換を遅れずに認識できたことが、富士フイルムが生き残った最大の理由だったと古森さんは振り返ります。
三つ目は、日本人の強みについての考察です。「努力すれば成功するという確信を持っていることが、日本人の一番すごいところだ」という外国人からの評価を紹介しながら、古森さんは「頑張リズムに加えて戦略的な考え方を強化しなければならない」と論じます。日本企業の技術力への揺るぎない自信と、それをグローバル戦略に結びつける必要性——この両面を語る視点が、本書の終盤に込められています。
まとめ|古森重隆さんが教えてくれること
富士フイルムが「第二の創業」を成し遂げ、コダックが破産した——同じ脅威に直面しながら、結末はこれほどまでに違いました。
古森さんが書いた「本業消失の危機」という言葉は、今では多くの業種の経営者の共通語になっています。AI、デジタル、脱炭素——市場の前提が覆る「本業消失」は、誰の業界にも起きうる。そのとき何を読み、何を構想し、何を断行するか。
「絶対に負けられない戦いが——私の全身全霊を懸けた『魂の経営』が始まった」
この一文に込められた覚悟の深さを、本書は500ページにわたって証明し続けています。ぜひ手に取ってみてください。
よくある質問
Q: 古森重隆さんはどうやって写真フィルム市場の縮小を乗り越えたのですか?
A: 古森さんは「技術の棚卸し」という手法で既存技術の新分野への応用可能性を徹底的に洗い出しました。写真フィルム製造で培ったコラーゲン技術・超精密コーティング技術・画像処理技術を化粧品・医薬品・医療機器に横展開し、同時に写真関連部門では世界約5000人の人員削減を断行。この両輪で2007年に史上最高業績を達成しました。
Q: 富士フイルムとコダックの明暗が分かれた理由は何ですか?
A: 最大の違いは「変化への対応の速度と覚悟」です。古森さんは写真フィルム市場が絶頂にあった2000年の社長就任直後から「本業消失」を覚悟し、2004年には中期経営計画「VISION75」で事業構造転換の青写真を発表しました。一方コダックは写真フィルム事業への依存を続け、2012年に米連邦破産法11条の適用を申請します。「真のライバルはコダックではなくデジタル技術だった」という認識の有無が明暗を分けました。
Q: 古森重隆さんのおすすめの著書は何ですか?
A: 本書『魂の経営』(東洋経済新報社)が最も包括的な一冊です。「第二の創業」の全貌からリーダー論・日本論まで語られています。富士フイルムの技術転換にフォーカスした内容としては、フィリップ・コトラーとの共著『NEVER STOP イノベーティブに勝ち抜く経営』もあります。どちらも経営者の転換期の意思決定を深く理解できる一冊です。
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参考文献:古森重隆『魂の経営』(東洋経済新報社)
