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井上慎一|「本気じゃなければ楽しくない」Peachを日本初LCCに育てた「おもろいやりくり」の経営哲学

Peach Aviation株式会社代表取締役CEO・井上慎一さんの書籍『Peachのやりくり』を紹介する記事のアイキャッチ画像

2011年。ANAから「LCCを作れ。3年で飛ばせ」と言われた時、井上慎一さんはこう思ったそうです。

「僕のキャリアは終わった」

LCCが何かも知らなかった。航空業界の常識から言えば、格安路線は「格が低い」もの。関西空港は当時、閑散としていた。成功するイメージが持てなかった。

しかし開き直りが、すべてを変えます。「どうせやるなら坂本竜馬のように前のめりになって生き様を見せよう」——そう決めた井上さんは、世界初のLCCカンファレンスでライアンエアー創業会長に直談判し、アドバイザーを引き受けてもらいます。その創業会長が後にメディアに語った言葉が印象的です。「なぜPeachのアドバイザーになったか? 井上が誰よりも必死だったから」。

2012年3月、Peachが就航しました。

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』は、「コストダウン」ではなく「おもろいやりくり」で生産性を上げ続けたPeachの経営哲学を、井上さん自ら語った一冊です。


井上慎一の経営思想を一言で表すと「『格安』ではなく『低コスト』であり、コストダウンの掛け声ではなく『これおもろいんちゃう?』という発想で社員が自ら動く仕組みを作ることだ」。ANAと真逆を行くことで誰もやっていない価値を生み出し、日本の航空史上最速のペースで路線を展開した原動力がここにある。


井上慎一さんはどのような人物か(基本プロフィール)

氏名井上慎一(いのうえ しんいち)
生年1958年、神奈川県生まれ
学歴早稲田大学法学部卒業(1982年)→北京大学留学
経歴三菱重工業入社→1990年ANA入社→北京支店ディレクター→2008年アジア戦略室長→2010年LCC共同事業準備室長→2011年A&F Aviation(現Peach Aviation)設立・代表取締役CEO就任→2020年ANA専務執行役員→2022年ANA代表取締役社長(現職)
主な実績日本初の本格的LCCとしてPeachを設立・就航(2012年)。日本の航空史上最速ペースで路線展開。2017年夏に累計搭乗者数2000万人突破(日本で6人に1人がPeachを利用)。連続式耐空証明を日本の航空会社として最速取得
著書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』(東洋経済新報社)

「格安」ではなく「低コスト」——なぜPeachの本質はコストダウンではないのか

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』の冒頭で、井上さんはこう問いかけます。

「LCCを日本語に訳すと何ですか?」

多くの人が「格安航空会社」と答えます。しかし井上さんの答えは違います——「低コスト航空会社」。

「格安」は商品の値段を指す言葉です。しかし「低コスト」は、商品やサービスを生み出すためのコストを指す言葉です。この違いが、Peachの経営哲学の核心にあります。

「安い運賃での運航はあくまで結果です。試行錯誤を重ねながら仕組みやり方を変え、生産性を上げて、低コストで運営することで、結果的に低運賃を実現する」

「コストダウンを!」と社長が声を張り上げても、社員は進んでやらない。「お金をかけるな」「ムダなことはするな」では、士気も規模もどんどん縮んでいく——これはネガティブ思考から出発しているからです。

だからこそ井上さんが大切にしてきた言葉が「やりくり」です。いまもっている資源を、あっちに行かせたりこっちに来させたりと工夫して、最大限に有効活用する。「コストダウンを」と言うよりも「やりくり」で生産性を上げていくほうが、仕事の「おもろさ」があるし、成功したときの喜びも大きい——この発想の転換が、Peachを支えています。


「ANAと真逆を行け」——なぜPeachは「ほかの会社がやっていないこと」を基準にしたのか

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』を通じて繰り返されるのが「ほかの会社や人がやっていないこと」という基準です。

「ANAや競合他社がすでにやっていることは最初から考えなくていい。真逆でいこう」——井上さんは社員にこう公言しています。

社名の「ピーチ」もその産物です。社内だけで500個は挙がった社名候補を見渡して、「どれもどこかで聞いたようなもの」と感じた井上さんは「他社と違った印象を与える名前にする」「アジアの人に覚えやすく、聞くだけで幸せになるような名前にする」という条件を設定します。その結果生まれたのが「ピーチ」でした。中華圏では「楽桃航空」と表記され、アジアのお客様に大好評です。

「機内でクルマを販売する」という前代未聞の企画も同じ発想から生まれました。フォルクスワーゲングループジャパンとコラボレーションし、ピンク色の「ザ・ビートル」を機内で販売したのです。これも「ほかの会社がまだやっていない企画だからこそやろうと決めた」ものです。

なぜ「ほかの会社や人がやっていないこと」にこだわるのか。答えは率直です——「小規模のLCC新参者であるPeachが勝つには、誰もしていないようなことをして注目を浴び、Peachを好きになってもらうしか道はなかったから」。


「段ボール製チェックイン機」——なぜ「自分たちでやっちゃえ」が最大の武器になるのか

Peachの仕事哲学で最も印象的なのが「自分たちでやっちゃえ」という思想です。

各空港のセルフ搭乗券受け取り機「チェックイン機」。普通の航空会社なら外注して設置する機器です。しかしPeachでは、イノベーション本部長の前野純さんが「自分たちで設置させてください。自分たちでやるほうが早そうなので」と申し出て、実際に各空港で設置していきました。

さらに2代目チェックイン機では「段ボール製にしよう」という提案が出ます。段ボールは緩衝の役目を果たすので梱包が不要になる。コストもスポンジ製や木製より格段に安い。「段ボールの神」として知られる職人さんに協力を仰ぎ、2015年10月に段ボール製のチェックイン機が関西空港でお披露目になりました。

なぜ「自分たちでやっちゃえ」が重要なのか、前野さんの言葉が本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』に記されています。

「開発や設置の作業を委託するということは、お金を払って作業の責任を持ってもらうことになる。でも、何か問題が起きたら、結局、責任をとらないといけないのは私たち自身です。自分たちで開発も設置もするほうが、課題が生じたら自分たちでリカバリーできる。自分たちでやるほうが結局は安心やねん! コストもかからないし、現場のことにも詳しくなれますしね」

「自分たちでやるほうが安心」という逆転の発想が、Peachの低コスト経営の本質を表しています。


「驚きがお客様の心をつかむ」——なぜ片道250円と日帰り韓国旅行がPeachを有名にしたのか

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』で井上さんが強調するのは「期待を超える驚き」の力です。

2011年12月、初就航3か月前の運賃発表会。「LCCならこのくらいだろう」という期待どおりの運賃では、インパクトを与えられない——そう考えた井上さんは、長距離バスでもなかなか実現できない運賃を打ち出します。

「関西空港—福岡空港3780円から!」 「関西空港—新千歳空港4780円から!」

さらに5000席限定で「片道250円!」という運賃も発表しました。大きな反響を呼び、就航前のPeachの存在感を一気にアピールすることができました。

「海外旅行の日帰り弾丸スペシャル」もこの発想から生まれました。「韓国に日帰り旅行しました」という女性に出会ったことがきっかけで検討を始め、需要があると確認した上で「往復7400円」という運賃設定で販売を開始。「大阪から韓国に日帰り旅行できる」という驚きが口コミで広がりました。

「相手の期待していることに確実に応えることは大切です。でも、そこから上の『期待を超えた驚き』をともなうことをしてさしあげることが、相手の心をぐっとつかむカギです」


同じく「誰もやっていないことへの挑戦で市場を開拓した」経営者の事例は他にもあります。


「社長室をつくらない」——なぜフラットなコミュニケーションが低コスト経営を支えるのか

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』の第4章に書かれているのが、井上さんが実践してきた「職場環境のやりくり」です。

Peachには社長室がありません。井上さんには「社長が座るデスク」はありますが、そこに座りっぱなしということはなく、時間があれば職場内をふらふら歩き回り、社員と話をします。

「社長室をつくらず、社長が職場を歩き回ることには、複数の意味があります。一つは『上司が部下に積極的に話しかける』雰囲気をつくり出すこと。もう一つは『そういえば案件』を掘り起こせること」

「社長室にいる社長に会いに行くのは大ごと。でも、すぐそこにいれば話しやすい。コミュニケーションの機会が増えます」

座席もフリーアドレスにし、チームや部署を超えた直接対話を促進します。人と人が話し合い、情報交換や知識の共有が活発になる——「それがイノベーションの種が生まれやすい環境づくりに直結する」と井上さんは言います。

部署名の遊び心も同じ思想から来ています。広報担当の部署名は「よなよなエール広め隊」ならぬ「Peach広め隊」、人事・総務は「ヤッホー盛り上げ隊」……いや、Peachの場合は「チェックインカウンタースタッフが笑顔でお客様を迎えるチーム」という名称が象徴するように、役割を一言で表す名前が社員の使命感を育てます。


「仕事のシンプルさがイノベーションを生む」——なぜ段ボールから次の発想が生まれるのか

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』で井上さんが繰り返し強調するのが「シンプルさ」の重要性です。

「シンプルな機能から、イノベーションスパイラルは生まれる」

段ボール製チェックイン機の例が典型です。このチェックイン機には「お客様が搭乗券を発券する機能」しかありません。座席変更などほかの機能は持たせない——シンプルな発想です。機能を絞り込んだことで、コストが下がり、自分たちで製造・設置できるようになり、問題が起きたとき自分たちでリカバリーできるようになる。

「仕事のやり方や仕組みがシンプルであることの利点は本当に多い。まず、心理的ハードルが下がる。次に、素早い対応ができる。そして、大きな組織になるほど、シンプルさによって組織全体への負担や影響を小さく済ませることができる」

Peachが「連続式耐空証明」を日本の航空会社として最速で取得できたのも、整備体制をシンプルかつ高水準に保ってきた結果です。同一機種での運航統一、迅速な不具合対応、自主的な保守規程の整備——これらが「安全性向上と効率性向上の両立」を実現しました。「一見対立するように見えることが、実は同時に達成できる」という逆説が、Peachの経営のあちこちに現れています。


井上慎一さんのこだわりとは?

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』を通じて、井上さんという経営者の核心が見えてきます。

「業務の1〜2割はイノベーションのために」:経営学者の米倉誠一郎先生から学んだ「イノベーションは非連続から起きる」という教えを胸に、Peachには「イノベーション部門」という専任部署を設けています。「8〜9割はオペレーションをこなす。でも1〜2割はイノベーションに費やす」という資源配分。費用対効果で測りにくいものに投資し続けることが、次の飛躍を生み出す土台になります。

「コスト削減ではなく力のバランスを整える」:目標達成につながる各分野の力の発揮ぶりに「バラツキ」がないかを常に見渡す——これが井上さんの経営管理の核心です。プロモーションに力を入れても運航便数が少なければお客様を逃す。「きれいな円」を保ちながら、その円を大きくしていく。一点突破ではなく、バランスを保ちながら全体を成長させる発想です。

「ビーストたれ、敵を倒せ」:ライアンエアーの創業会長パトリック・マーフィーさんから受けた教え——「事業を成功させるためには、敵を倒すビーストになれ。社員の人生を預かっていることを忘れるな」。この言葉がPeachの緊張感を維持してきました。毎年8月には社員全員を御巣鷹山に連れて行く。安全への真剣さと、仕事の「おもろさ」が両立している。それがPeachです。


井上慎一さんゆかりの地とは?

大阪・関西国際空港(Peachの拠点):Peachが就航した2012年、関西空港は閑散としていました。しかし現在はランチをするにも行列ができ、大阪市内や神戸からのバスも電車も常に満席状態です。「Peachが就航したことで就航地が変わる」——この現象が関西空港で最初に起きた場所です。「空飛ぶ電車」という井上さんのビジョンが、関西空港を中心に実現していきました。

シンガポール(転換点となったLCCカンファレンス):2008年、世界で初めてのLCCカンファレンスが開催された場所。ライアンエアーの創業会長に「ANAの者なのですが」などとは声をかけられる状況ではなく、お手洗いに行く隙を狙って必死に話しかけた井上さん。「これを逃したら終わりだという必死さに胸を打たれた」という言葉を後に聞いたこのカンファレンスが、Peachを生む転換点になりました。

東京・御巣鷹山(安全の原点):毎年8月、Peachの社員全員を連れて行く場所。1985年の日航機墜落事故の現場に足を運ぶことで、「安全第一」の意味を社員一人ひとりが自分事として理解する。「しびれるような緊張感」を維持すること——これが「おもろい」仕事と矛盾なく共存できるPeachの根幹です。


井上慎一さんから学ぶ、3つの教訓とは?

1. 「格安ではなく低コスト」——言葉の定義を変えると、戦略が変わる

「格安」と「低コスト」は似ているようで根本的に違います。「格安」を目指せばコストを削る消極策になる。「低コスト」を目指せば生産性を上げる積極策になる。この言葉の違いを組織全体で共有することで、社員の姿勢が変わります。「コストダウンを!」より「やりくりでおもろく生産性を上げよう!」のほうが、人は自ら動く——言葉が組織文化を作ります。

2. 「ANAと真逆を行け」——弱者の戦略は「誰もやっていないこと」にある

資金も知名度も歴史もないLCCの新参者が、大手の模倣をしても勝てない。「ほかの会社や人がまだやっていないこと」を前提に発想を始めることで、独自性のある企画が生まれやすくなります。段ボールのチェックイン機も、機内でのクルマ販売も、日帰り海外旅行も——「誰もやっていない」という前提が、アイデアを既存の枠の外に連れ出します。

3. 「自分たちでやっちゃえ」——委託は安心の幻想、自分でやる方が本当の安心

「外注したから安心」という考えは幻想です。何か問題が起きれば、結局責任を取るのは自分たち。ならば最初から自分たちでやることで、コストを抑えつつ課題への対応力を高める——この「自分たちでやっちゃえ」の精神は、社員の現場力と当事者意識を育てます。「自分たちでやることのおもろさ」を社員が感じている会社は、外部依存の高い会社より強い。


この記事で語りきれなかった『Peachのやりくり』の魅力とは?

本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。

一つ目は、客室乗務員の募集広告費が25万円しかなかったという創業期のエピソードです。雑誌や新聞には出せない。そこで「うちわをつくって配ろう」というアイデアが生まれます。夏に関西空港で「スチュワーデスになりませんか」と書いたうちわを配ると、話題になってマスメディアが取り上げてくれた——「コストゼロで企画を考えると、かえってヒットする独自の企画が生まれる」という教訓の好例です。

二つ目は、体重計を使った手荷物計測器です。空港で見かけるPeachの手荷物計測器——実は自分たちが体重計を改造して作ったものです。既製品を購入するより安く、問題が起きても自分たちで対処できる。「自分たちでやっちゃえ」の精神がここにも貫かれています。

三つ目は、「スピーチはウルトラマンのカラータイマー」という伝え方の哲学です。会議やプレゼンで長々と話すのではなく、ウルトラマンが戦える時間(3分)のように、コンパクトに伝えることを社員に求める。「究極的には五七五の俳句・川柳ぐらいにぱっと伝えるほうが、3分の挨拶より相手に伝わる」——シンプルさを仕事の基本に据える井上さんらしい表現です。

📚 [「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり(東洋経済新報社)を読んでみる]


まとめ|井上慎一さんが教えてくれること

「本気じゃなければ楽しくない。楽しくなければ仕事じゃない」——本書の表紙に掲げられたこの言葉が、Peachという会社のすべてを表しています。

「格安航空会社」ではなく「低コスト航空会社」。コストダウンではなく「やりくり」。委託ではなく「自分たちでやっちゃえ」。ANAの模倣ではなく「真逆を行く」——これらはすべて、言葉と発想の転換から始まった革命です。

本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』は、Peachの経営哲学を全6章で紹介した実践書です。航空業界の人だけでなく、中小企業・スタートアップの経営者や、組織の改善を考えるすべての人に届く内容です。ぜひ手に取ってみてください。


よくある質問

Q: PeachはなぜLCCなのに高い品質を維持できるのですか?
A: 「格安」ではなく「低コスト」を追求しているからです。安全面には一切妥協せず、整備体制の強化や連続式耐空証明の取得など「攻めの安全管理」を続けています。安全性を高めることが効率性向上にもつながるという逆説的な発想が、品質と低コストの両立を可能にしています。

Q: 井上慎一さんの「やりくり」とは具体的にどういう意味ですか?
A: 「遣る(物事をうまくなしとげる)」と「繰る(なにかを送り動かして移動させる)」を合わせた言葉で、いまもっている資源を最大限に有効活用することを指します。コストを「削る」発想ではなく、創意工夫で生産性を「上げる」発想です。段ボール製チェックイン機や体重計の手荷物計測器など、「おもろいやりくり」の実例が本書に多数紹介されています。

Q: 井上慎一さんのおすすめの著書は何ですか?
A: 本書『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』(東洋経済新報社)がPeachの経営哲学を包括的に語る唯一の著書です。「発想のやりくり」「習慣のやりくり」「サービスのやりくり」「働き方のやりくり」「信頼のやりくり」「リーダーのやりくり」の6章構成で、経営からリーダーシップまで幅広く語られています。


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参考文献:井上慎一『「おもろい」働き方で社員も会社も急上昇する Peachのやりくり』(東洋経済新報社)