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宮脇修一|海洋堂「センム」が語った「好きなこと」だけで生きぬく力の経営哲学

海洋堂顧問・元代表取締役社長・宮脇修一さんの書籍『「好きなこと」だけで生きぬく力』を紹介する記事のアイキャッチ画像

1坪半の模型屋から、世界一のフィギュアメーカーへ。

その歴史の中心にいたのは、「センム」の愛称で知られる宮脇修一さんです。父・宮脇修が1964年に大阪・守口市で開いた模型店「海洋堂」で、修一さんは小学生のころから店番を手伝い、中学を卒業すると迷わず家業に入り、15歳で店長になりました。

先のことを考えたわけではありません。「好きなことができるんだから、これ以外に楽しいことはないやろう」という気持ちで、毎日プラモデルに囲まれた生活を送っていただけでした。

その後、海洋堂は帆船模型ブーム、ガレージキットブーム、チョコエッグによる食玩ブーム、そしてリボルテックによる可動フィギュアブームを次々と引き起こし、世界的なフィギュアメーカーとして知られるようになります。いずれもマーケティングとは無縁の、「誰も思いつかないもの」「自分が好きなもの」を追い求めた結果でした。

本書『「好きなこと」だけで生きぬく力』は、宮脇修一さんが自らの仕事観と人生哲学を語り下ろした一冊です。「好き」という感情がいかに人を強くし、仕事を豊かにするか——その答えが、海洋堂の波瀾万丈の歴史の中にあります。


宮脇修一さんの基本プロフィール

氏名宮脇修一(みやわき しゅういち)
生年1957年7月1日、大阪府生まれ
愛称センム(1985年の株式会社改組時に専務取締役に就任したことに由来)
経歴小学生から父・宮脇修の模型店を手伝い→中学卒業後に海洋堂入社→15歳で店長→1985年専務取締役→2005年代表取締役社長→2020年MSD企業投資との資本業務提携に伴い顧問就任
主な実績フルタ製菓との「チョコエッグ」(3年間で累計1億個超)、可動フィギュア「リボルテック」の開発・ヒット、ワンダーフェスティバル実行委員長として年2回のガレージキットの祭典を主催
所属吉本興業(「宮脇センム」として)、大阪芸術大学キャラクター造形学科教授
著書『「好きなこと」だけで生きぬく力』(WAVE出版)

「ニホンザルが第一弾」——誰も想像しなかった食玩ブームの始まり

チョコエッグという商品をご存じでしょうか。卵形のチョコレートの中に小さなフィギュアが入った食玩で、2000年代初頭に日本中を席巻しました。その火付け役が、フルタ製菓と海洋堂の組み合わせです。

海洋堂がフルタ製菓に話を持ちかけたきっかけは、中国の工場で大量の小さなフィギュアが生産されているのを目にしたことでした。「自分たちなら同じ価格で、もっとクオリティの高いものがつくれるはずだ」——そこから生まれた企画です。

問題は、何のフィギュアを作るかでした。

当時、フィギュアのような商品はキャラクター(版権もの)でないと成功できないというのが業界の常識でした。しかし海洋堂はノンキャラクターで勝負することを選びます。理由は明快です。「キャラクターに頼ってしまえば、どんなにヒットしたところで、成功の理由は海洋堂の造形ではなく、キャラクターの知名度になってしまう」。

テーマとして選んだのは「日本の動物」。そしてチョコエッグの記念すべき第一弾は、なんと「ニホンザル」でした。

「キティちゃんでもドラゴンボールでもなく、ニホンザル」

マーケティングをして消費者のニーズを分析したら、絶対に出てこない答えです。しかし宮脇さんは確信していました。動物オタクの造形師・松村しのぶが作るフィギュアなら売れる、と。

結果、チョコエッグは3年間で累計1億個を超える大ヒット商品になりました。「お菓子のおまけにフィギュア」という市場を切り拓き、大人が食玩を買い集めるという社会現象を起こしたのです。


「ほったらかせば、人は育つ」——無駄飯食いの筆頭が一流になった

チョコエッグの立役者・松村しのぶは、かつて海洋堂で長らく「無駄飯食い」だったと宮脇さんは言います。

海洋堂の造形師たちは、有名な美大を卒業したわけでも、専門的な訓練を受けたわけでもありません。「ただ、好きが高じた者たち」です。コミュニケーション能力はほぼゼロ。損得勘定もできない。リーダーシップもない。「いわゆる『できるビジネスマン』の対極にいるのが彼らだ」と宮脇さんは正直に言います。

しかし彼らには、好きなものへの偏愛と、圧倒的な観察力がありました。

宮脇さんのやり方は「ほったらかす」ことです。造形師に「ああしろ、こうしろ」と細かい指示は出しません。「牧場主のように、いい草を牧場に生やしておく。その草を食べて育って、いい乳を出す者もいれば、食べて寝ているだけの者もいる。でも食べて寝るだけに見えていた者が、3年後、5年後に、ものすごい力を発揮することもある」。

松村しのぶはまさに後者でした。動物オタクとしての眼差しで動物を見続けた彼が作るフィギュアは、「通常の観察力では真似できない」ものでした。ニホンザルが日本中を席巻したのは、その偏愛の産物でした。


「縛り」が新しい市場を生む——リボルテックの誕生

チョコエッグの成功から学んだことがあります。「選択の技術」と「値段に合わせる力」と「納期を守る力」です。コンビニという厳格な流通に対応したことで、これらのノウハウを体得した海洋堂は次の挑戦に向かいます。

可動フィギュア「リボルテック」の開発です。

発売時のキャッチコピーは「新関節×山口式×低価格×毎月発売」。

新関節とはへたらず幅広い可動域を持つ「リボルバージョイント」。山口式とは造形師・山口勝久の独自概念。低価格は2000円を切る価格。毎月発売は毎月15日に2アイテムを出し続けるという宣言。

宮脇さんはこれらを「縛り」と呼んでいます。自分たちにあえて制約を課すことで、お客が「どうしても買いたくなる理由」をつくる。「2000円以下で、かっこいいフィギュアが、毎月買える」という構造です。

第1弾のラインナップは、地味で一般受けしないキャラクター揃いでした。しかし第2弾には「エヴァンゲリオン」の初号機と零号機を据え、確実に売れる商品を組み合わせる。

結果、リボルテックは第1弾から大きな話題となり、大成功を収めます。以後、日本のフィギュア業界に空前の可動フィギュアブームが生まれました。


「好きなことを仕事にする」という哲学を貫いて世界的ブランドを作った経営者は他にもいます。

山井太|スノーピーク創業者が語った「好きなことだけ!」を仕事にする経営哲学


父・宮脇修という「寅さん」——破天荒な原点

宮脇修一さんの経営哲学を語るとき、父・宮脇修の存在を外すことはできません。

海洋堂の創業者・宮脇修(みやわき おさむ)は、うどん屋をやるか模型屋をやるかを棒を倒して決めた人物です。模型屋を始めると、店内にプラモを浮かべる50リットルの巨大水槽を設置し、戦車を走らせるジオラマを作り、全長180メートルのスロットレーシングコースをつくり、自ら開発した工具を持って全国の模型店を巡るキャラバンを決行しました。

「いわゆる普通の経営者とは、まったく違う生き物」と宮脇修一さんは苦笑まじりに語ります。

「お客に『いらっしゃいませ』とか『ありがとうございます』とはいいたくなかったそうで、お客に媚びずとも、向こうからやってくる魅力的な店や商品づくりを目指した」——この姿勢は今の海洋堂にも息づいています。

父について宮脇修一さんはこう言っています。「父は表現者であり、常に自分が主人公。劇場型というか、あとさき考えず、常にいまを大切にするタイプ。たとえてみるならば、父は寅さんみたいなもの。どんなに無茶なことをやっても、寅さんならしかたない、寅さんだから許されるというわけです。まさに天然。情熱的で純粋。誰も真似できない、愛すべき人です」。

父に比べれば自分は「かなりの常識的な経営者」だと言いながら、「好きなことを突き詰め、誰も考えないものを作る」という精神は確かに受け継がれています。


「巻き込む力」で学園祭のノリで仕事する

宮脇修一さんの仕事スタイルの核心は「巻き込むこと」です。

1977年、海洋堂が「ホビー館」という200坪の模型の遊び場を作ったとき、内装工事はほぼ手づくりでした。床張りやペンキ塗りは、常連客の少年たちを呼び集めて総動員。小学生から高校生まで15人ほどに、何百枚というベニヤ板にペンキを塗ってもらいました。もちろんタダ働きで、「こら、おまえ何さぼってんねん!」と怒られながらも、みんなが手伝ってくれました。

2011年の秋葉原への出店のときも同じでした。「みんな集まれ。壁塗りイベントやるで」と声をかけ、社員も社外の人も巻き込んでペンキを塗り合う。「オタクのおっさんたちが集まって、みんなで壁塗り。絵的にはどうかと思いますが、みんな楽しんで労働していました」。

宮脇さんはこの「巻き込む力」について、模型店時代に身についたと言います。常連客が来たら「ヒマならそこの模型磨いていけや」と模型を渡し、器用そうな子には「ちょっとこれ組んでみ」とプラモを渡す。常連客は店のためにアイデアをくれたり手伝ってくれたりする「身内」になっていきました。「そうやって、僕はどんどん身内を増やしていきました。それが進化したものが、いまの海洋堂です」。


「退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」——独占しない、媚びない経営哲学

海洋堂が一般層に広く知られるようになった後も、宮脇修一さんの姿勢は変わりません。

版権の独占契約については、明確に否定します。「独占なんかしたって、目先の利益でしかありません。長い目で見れば、作品のためにも企業のためにも業界のためにも、いいことなんてひとつもない」。後続のメーカーが同じテーマで商品を作ることについては「かかってこいや!」「真似できるもんならしてみい!」と言います。競い合った結果、いいものができて業界が活性化するなら万々歳——という発想です。

取引先に対しても同様です。中国の工場に対して、「下請けとか元請けとか、関係ありません。一緒にモノづくりをしているパートナーです」と言い切ります。無理難題を要求しながら、本気で向き合うことを大切にしました。

本書『「好きなこと」だけで生きぬく力』で印象的なのは、「退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」という章タイトルです。世間の評価に媚びず、業界の常識を省みず、自分たちの「好き」を基準に進み続ける——これが海洋堂の一貫した姿勢です。


同じく「誰も買わないと思うものを作る」発想で独自の市場を切り拓いた経営者もいます。


宮脇修一さんのこだわり

本書『「好きなこと」だけで生きぬく力』を通じて、宮脇さんの哲学の核心が見えてきます。

「捨てない美学・やめない美学」——宮脇さんは古い模型や仕事の書類を捨てません。「古い模型を見て、それが売られていた30年前、40年前の模型屋の雰囲気とか、時代の空気感とか、そういうものを楽しむのが、本当のラグジュアリーだ」と言います。「長く続けることによって、何かしら必ず、自然発生的に起こってくるものがある」——やめずに続けることが、チャンスを呼ぶのだという確信があります。

「5年先はわからん。でも100年・1000年先を考える」——口癖は「5年先のことなんてわからんぞ」。しかし同時に、100年、1000年先のことを考えながら仕事をしています。「たとえ100年後に海洋堂がなくなったとしても、『こんなにすごいフィギュアをつくった会社があった』と研究してくれる人が出てくるかもしれない」。この壮大な視点が、目先の流行に左右されない商品づくりを支えています。

「自分基準の好きを持つ」——「他人や世間のものさしを基準にした評価は、相対的なもの。相手や状況が変われば、価値観などくずれてしまう」。しかしオタクの価値観は「自分が好きなものは絶対に好き! いいと思ったものは絶対にいい!」という絶対的なもので、揺らぐことがない。「これは、生きていくうえで確固たるものさしになります」と宮脇さんは言います。


宮脇修一さんゆかりの地

大阪・守口市(海洋堂の原点):1964年、父・宮脇修が1坪半で開いた模型店の地です。宮脇修一さんが小学生のころから店番をまかされ、中学卒業後に15歳で店長になった場所。常連客の少年たちがたまり場にし、チョコエッグの立役者・松村しのぶをはじめ多くの造形師が生まれた「場」でもあります。

東京・秋葉原(ワンダーフェスティバルとファンとの接点):海洋堂が年2回主催するガレージキットの祭典「ワンダーフェスティバル」の主要な舞台。宮脇さんが実行委員長を務め、全国からファンが集まります。「海洋堂はお客とメーカーが戦友になれる会社」という哲学が凝縮された場所でもあります。

高知・四万十(海洋堂ホビー館):父・宮脇修の故郷である高知県四万十町に開設した「海洋堂ホビー館四万十」。海洋堂の歴史と作品を展示する施設で、修一さんの「捨てない美学」が体現された場所でもあります。父・宮脇修は2023年にこの地に移住し、2025年2月に96歳で生涯を閉じました。


宮脇修一さんから学ぶ、3つの教訓

1. 「好きなものと出会えただけで、かなりのアドバンテージになる」

宮脇さんが本書で繰り返す言葉です。好きなことなら本気になれる、集中できる、工夫ができる、行動を起こせる——これらは戦略でも技術でもなく、「好き」という感情から自然に生まれるものです。「人生を賭けられるくらい好きなことがあるというだけで、人生は間違いなくグレードアップします」という言葉は、チョコエッグのニホンザル、リボルテックの地味なキャラクター第1弾という「好き」を貫いた選択が、どれだけ大きな果実をもたらしたかという事実に裏付けられています。

2. 「ほったらかせば、人は育つ」——才能は管理するものではなく、場を与えるもの

海洋堂の造形師たちは、細かい指示で育てられたのではありません。「いい草を生やした牧場」に集めて、自由にやらせたから育った。松村しのぶがまさにその典型で、「無駄飯食い」だった彼が、動物オタクとしての偏愛を発揮したとき、業界を変えるフィギュアが生まれました。「管理すれば管理するほど、才能は萎縮する」という逆説を、海洋堂の歴史が証明しています。

3. 「非常識が、人の心をつかむ」——マーケティングで出てこない答えが正解になる

「ニホンザル」という答えは、マーケティングからは絶対に出てきません。「世間に迎合するな」「売れ筋なんか狙ったらあかん」というあまのじゃくな姿勢こそが、他の誰も作れないものを生む源泉です。「誰も買わないと思うモノをつくる」——これは無謀ではなく、「本当に好きな人がいれば必ず刺さる」という確信から来ています。チョコエッグの累計1億個という結果が、その確信の正しさを証明しました。


この記事で語りきれなかった『「好きなこと」だけで生きぬく力』の魅力

本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。

一つ目は、「誰もわからない『10点』を追求する」という章です。本書の第2章に登場するこのタイトルが示すように、宮脇さんは大多数の人には伝わらないような細部のこだわりを追い求めます。「わかる人だけわかればいい」という姿勢が、コアなファンの熱狂的な支持につながっています。

二つ目は、「才能を目覚めさせるのに必要なこと」の話です。専門的な教育を受けていない造形師たちが世界トップレベルのフィギュアを作れるようになった背景には、「場の持つエネルギー」があります。海洋堂という「場」がなければ、才能は開花しなかった。「場の設計」が経営者の最も重要な仕事だという考え方が、随所に流れています。

三つ目は、「仲が良くても、なあなあになるな!」という言葉です。海洋堂の社員や取引先は「仲間」であり「身内」ですが、だからこそいい加減な仕事は許さない。「仕事とは『戦う』こと」という厳しさが、温かみのある職場の裏側にあります。

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まとめ|宮脇修一さんが教えてくれること

1坪半の模型屋から始まった海洋堂が、世界に向けてフィギュアを発信し続けているのは、戦略の勝利でも資金力の勝利でもありません。「好き」という感情を50年以上にわたって仕事の中心に置き続けた結果です。

「ニホンザル」がチョコエッグの第1弾になったのも、「ほったらかした」松村しのぶが世界一の動物フィギュアを作ったのも、すべて「好き」という感情がエンジンになっていました。

「好きなものと出会えただけで、かなりのアドバンテージになります」——この言葉は励ましではなく、50年分の実証報告です。

本書『「好きなこと」だけで生きぬく力』は、キャリアや働き方に悩むすべての人に向けて書かれています。ぜひ手に取ってみてください。


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参考文献:宮脇修一『「好きなこと」だけで生きぬく力』(WAVE出版)