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家入一真さん|元ひきこもりがペパボを創業した「こんな僕でも社長になれた」の起業哲学7選

家入一真さん|paperboy&co.創業者の起業哲学

鏡の前で笑顔の練習をしていた少年が、「ナウでヤングなレンタルサーバー」で業界最多ユーザーを獲得した——。

これは、paperboy&co.(ペパボ)創業者・家入一真さんの話です。

1978年、福岡県宗像市の貧乏な家に生まれた家入さんは、中学でのいじめをきっかけに孤立し、高校入学後はほぼ登校せず、体育祭の日には校舎の窓から逃亡。高校を中退して押入れを改造した自室にひきこもり、近所の人から「死んでいるのでは」と通報されるほどの生活を送りました。

その後、新聞配達で社会復帰し、ネットで出会った女子高生と結婚、妻の妊娠をきっかけに24歳で起業。「ロリポップ!」レンタルサーバーはユーザー数業界最多を達成し、GMOインターネットと資本提携を結ぶに至ります。

著書『こんな僕でも社長になれた』をもとに、その起業哲学を7つのポイントで解説します。


家入一真さんの基本プロフィール

項目内容
氏名家入一真(いえいり かずま)
生年1978年(福岡県宗像市)
学歴高校中退(大学進学は2度断念)
創業2001年頃(合資会社マダメ企画)、23〜24歳
主な事業レンタルサーバー「ロリポップ!」、ドメイン「ムームードメイン」
社名の由来paperboy=新聞配達員(ひきこもり脱出の原点への敬意)
趣味・関心プログラミング、絵、詩、山田かまち
座右の哲学「人生は塊魂みたいなもの」
ゆかりの地福岡県宗像市(故郷)、福岡市天神(創業地)、東京・渋谷(GMO本社)

貧しくても豊かだった子ども時代

家入さんの家は傾きかけたボロ屋で、シロアリが大黒柱を食い尽くしていました。洋服は従兄弟のお下がり、自転車はゴミ捨て場から拾ってきた壊れたもの。お風呂は夏しか毎日入らず、脱衣所もなく居間でスッポンポンになって飛び込むのが当たり前でした。

しかし父さんはその自転車を綺麗に修理して「何色が好きか」と聞いてくれ、好みの色に塗り直してくれた。母さんは毎晩絵本を読んでくれ、同じ本を後ろから逆さに読んでもらっては腹を抱えて笑っていた。

小学5年生のとき、家入さんは5ヵ月間おこづかいを一円も使わずに貯金して母さんのバッグをプレゼントしました。安物のひどいデザインでしたが、母さんは涙を流して喜び、長い間使い続けてくれた。

「お金がなくても、知恵と工夫と家族のコミュニケーションがあった。今思えば、ああしよう、こうしようと話し合いながらの毎日は、何にも代えがたく楽しかった」

この原点が、後の家入さんのスタートアップ精神を形づくっています。


経営哲学①|ひきこもりという「原点」——逃げ続けた先に見えたもの

中学2年生のとき、何気ない冗談が友人の怒りを買い、あっという間にクラス全員から孤立しました。「おはよう」と言う相手がいない。昼休みにドッジボールをする仲間がいない。名前を呼んでくれる人がいない。

家入さんは鏡の前で毎日「笑顔の練習」を始めます。以前の自分はどんな顔で笑っていたか。目は、頬は、眉はどんな形だったか——意識すればするほど不自然になる、ひどい悪循環の中にいました。

高校に入学し「今度こそやり直そう」と思ったものの、1年半のブランクは深すぎた。登校拒否になり、制服を着て「行ってきます」と家を出て、そのまま裏庭の物置に30分潜伏するという方法で誤魔化していました。

体育祭の日、父が朝からビデオカメラを点検し、母が重箱に豪勢な弁当を詰めている光景を見て「休めない」と思った家入さんは、会場の体育祭の途中でトイレの窓から脱走し、上履きのまま校舎のフェンスをよじ登り、電車に乗って見知らぬ無人駅まで逃げました。

泣きながら田んぼ道を歩いた。大量の鼻血をジャージで拭いた。「なんで逃げちゃったんだろう」と後悔した。夕方ようやく家に帰ると、居間で母さんが泣いていた。テーブルの上には風呂敷で包まれたままの重箱があった。

高校は出席日数不足で退学。押入れを改造した自室に閉じこもり、近所から「死んでいるのでは」と警察に通報されるほどの生活が始まりました。

しかし家入さんは後に、この「逃げ続けた時代」を原点と捉えることになります。「逃げるのは必ずしも悪いことじゃない。逃げた先で、自分だけのものを見つけることができる」——これがペパボの根底にある哲学です。


経営哲学②|パソコンと「繋がり」——ひきこもりの中で見つけた天職

押入れ改造の自室で家入さんが没頭したのは、父が買ってくれた中古パソコンとプログラミングでした。

「プログラミングは、マニュアルがあって、法則があって、完成形がある。学校とか友達とか、複雑で答えのないものにずっと悩まされてきた僕にとって、心の底から楽しかった」

作ったスクリーンセーバーが雑誌に掲載され、そのデータを見知らぬ人がダウンロードして改造して公開する——それを見て、家入さんは「震撼した」と言っています。言葉はないけれど、そこには紛れもないコミュニケーションがある。

パソコン通信の電子掲示板に「はじめまして、カズマです」と書き込んだら、数時間後に返事が届いていた。見ず知らずの人たちが、無条件に受け入れてくれている。久々に家族以外の誰かと言葉を交わした、そのことが少しだけ自信になりました。

インターネットという「顔の見えない場所」が、人と繋がれない少年に居場所を与えた。後にレンタルサーバーで「個人がウェブを持てる場所」を作ろうと思ったのは、このときの原体験からきています。


経営哲学③|山田かまちとの出会い——「逃げる」ことを肯定した天才少年

ひきこもり中の家入さんに、母が無理やり連れて行った個展がありました。17歳でエレキギターに感電して亡くなった天才少年、山田かまちの作品展です。

最初は「絵が上手い?詩が上手い?ふうん」程度だった家入さんは、展示を見るうちに魂を揺さぶられます。山田かまちの詩にあった「逃げる逃げる僕は逃げて飛び続ける」という言葉——それは、体育祭から逃げ、学校から逃げ続けた自分そのものでした。

本書の冒頭には山田かまちのこの詩が引用されています。逃げることへの後ろめたさを抱えていた家入さんが、「逃げることは弱さではなく、飛び続けることだ」と感じた瞬間でした。

山田かまちに触れてから、家入さんは絵を描き、詩を書き始めます。「画家になりたい」という夢が生まれ、芸術大学の受験を決意。大検を取得し、新聞配達のアルバイトをしながら2年間、夢を追いかけました。

ただし——藝大の受験は2度とも試験会場にたどり着けませんでした。1度目は東京の地理がわからず迷子に。2度目は前夜に見知らぬ街をうろつきすぎて、試験当日の午前11時に目が覚めました。


経営哲学④|女子高生との結婚——「ナウでヤングなサーバー」の誕生秘話

就職先のシステム会社でプログラマーとして働きながら、家入さんはネットのメール友達募集サイトで一人の女子高生・アキコさんと出会います。

最初のメールは「芸術の話をしましょう。坊主」というシンプルすぎる文面。返ってきた返事も「お名前から察するに坊主頭でいらっしゃるのですか。アキコ」という堅い一文。普通の女子高生とは明らかに違う。

バリカンのこだわりについて真剣に聞いてくる。数学的なアッカーマン関数のことかと確認してくる。そんな予測不能な返事を繰り返すアキコさんに、家入さんはいつしか一日中メールを心待ちにするようになりました。

半年後、初めて博多駅で会った日、家入さんはコーラを一気に飲み干し、がむしゃらにチョコレートパフェをかっこみながら、滝のように汗をかいていたといいます。

同棲、入籍、そして妻の妊娠——22歳の家入さんは「子供の誕生の瞬間を一番近くで見ていたい」と思ったとき、起業を決意しました。

「今あるレンタルサーバーはほとんど全部、男向けの味も素っ気もないものばかり。これからは若い女の子がどんどんホームページを作るようになる。だから、もっと女の子が使いたくなる、ナウでヤングなレンタルサーバーを始めたら絶対いける」

これが「ロリポップ!」の原点でした。


経営哲学⑤|マダメ企画からペパボへ——社名に込めた「原点」

最初のサービス名は「塩鯖サーバー」。波の上で飛び跳ねる鯖のイラストを自分で描いて「ポップじゃない?」とアキコさんに見せたところ、「本当にそう思うん?」と冷たい目で見られて即却下。

次に考えた「ロリポップ!」と「ロリポおじさん」というキャラクターを持っていくと、アキコさんはしばらく無言のあと「確かに、ポップだ(ロリポップだし)」と認定。こうして「ナウでヤングなレンタルサーバー・ロリポップ!」が誕生しました。

会社名は妻が「マダメ企画にしよう」と提案。理由は当時二人で運営していたギャグサイト「マダムAを捜せ」から取ったからでしたが、家入さんは「……他に、いい案はないかな」とやんわり却下できず、そのまま「合資会社マダメ企画」が誕生します。

その後、ユーザー数が急増し会社を改組する際、家入さんは新しい社名をこう発表しました。

「ペーパーボーイ&コー。ペーパーボーイは新聞配達員という意味で、僕は会社を起こす前に2年間、新聞配達員をやっていました。それまでは学校も行かないで、ほとんど家の中にひきこもって……友達なんて一人もいなかったし、人の目を見られなかったから買い物もろくにできなかった。鏡を見て、笑顔を作る練習なんかしてた。だから、新聞配達員としての経験は、今思えば、いろんな意味で、今の僕の原点になったと思うんです」

「ペパボ」という愛称と共に、この社名にはひきこもりから社会に復帰した原点への感謝が込められています。


経営哲学⑥|ユーザーへの感謝——「いい会社」を作る唯一の方法

ロリポップ!は、アフィリエイト報酬率を業界標準の3〜5%に対して50%に設定するという、当時では考えられない大胆な施策を打ちました。

「自分たちの知らないところで、ロリポップ!を友達に紹介してくれている、神様のようなユーザーがいる。そのことが何より嬉しかった。学校の教室で、通学途中の電車の中で、『オススメのレンタルサーバーがあるよ』なんて会話を、今日もどこかで若い女性たちが交わしてくれているのかと思うと、こんなにもサーバー屋冥利に尽きることはないと思った」

採用方針も独特でした。高校中退で、資格も学歴もない家入さんは「もし社長になるにも書類審査が必要だとすれば、まず間違いなく不合格になってしまう。履歴書だけでその人のことをちゃんと知るのは不可能だ」と考えました。

だから面接では、できるだけ長い時間をかけて話をする。有名大学を出た人も、大手企業に勤めていた人も、自己アピールと入社して何をしたいかを見るだけ——「考え方が会社のカラーと合わない人でなければ、履歴書だけではまず落とさない」というスタンスでした。

「みんなが、ペパボの一員であることを誇れるような会社にしたい」——この思いが採用でも、サービスでも、一貫した家入さんの姿勢でした。


経営哲学⑦|GMOとの出会い——「人」こそ最大の財産

ロリポップ!が業界最多ユーザー数を突破した頃、GMOインターネット(当時グローバルメディアオンライン)、某L社、N社の3社から立て続けに買収・出資の打診がありました。

GMO代表・熊谷正寿さんとの面会で、家入さんは思いがけず親近感を覚えます。高校中退、若くして結婚、苦労して起業——熊谷さんも全く同じ経歴でした。

「そんなわけで……失礼かもしれませんが、家入社長を、どうしても他人とは思えないんです」と熊谷さんは言った。

最終的に家入さんはGMOとの資本提携を選びました。理由はシンプルです。

「ペパボにとって最も大切なことは、会社を大きくすることよりも、より安定したサービスを運営して、ユーザーを満足させられること。そしてその結果、スタッフ全員が、ちゃんとご飯を食べていけること——それだけだと思った」

資本提携の発表当日、社員への説明で家入さんは言いました。「みんな……どうかな」。拍手が沸き起こりました。

発表を知った中学時代の友人から届いたメール——方言だらけの他愛ない文章に、家入さんは少し泣いたといいます。

「気がつくと、笑い合える仲間が、話し相手が、理解してほしかった相手が、こんなにも僕の周りに溢れていた。僕にとって最も大切なもの、それは普段まるで意識しないほど自然に僕の周りにいてくれる、たくさんの『人』だったのだ」


家入さんの失敗談|あんこおばちゃんの頭にあんこを落とした

新聞配達と並行して製菓工場でアルバイトをしていた家入さん。「あんこ係」として巨大なかくはん機にこしあんを投入する仕事でしたが、何度教わっても上達できず、指導係のおばちゃんから毎日こっぴどく叱られていました。

ある日、かくはん機の上でひっくり返したはずのあんこが、なぜかしゃがんでいたおばちゃんの頭に落ちてしまった。

「ボトッ、鈍い音とともに、全身あんこまみれになるおばちゃん」

謝り続ける家入さんでしたが、あまりのパニックから笑いがこみ上げてくる。「すみません、すみません、す……ぷっ」。抑えれば抑えるほど笑えてくる。

その後、「しばらくお休みを取ってください、また来てもらうときはこちらから連絡します」という通達を受け、10年以上経った今も連絡はないといいます。「……関係者の皆さん、僕は、待ってます」。


家入さんのこだわりグッズ

山田かまちの画集:17歳でエレキギターに感電して亡くなった天才少年・山田かまちの作品は、ひきこもりの家入さんに「逃げることは飛び続けること」という哲学を与えました。押入れの自室で絵を描き詩を書くきっかけをつくったこの少年は、本書の扉に「逃げる逃げる僕は逃げて飛びつづける——山田かまち」という言葉で引用されています。

父が買ってくれた中古パソコン:40MB/HDDのハードディスク、1MBのメモリという当時でも貧弱な中古パソコンでしたが、これが家入さんの人生を変えました。プログラミング入門書を穴が空くほど読み込み、恐怖面スクリーンセーバーを作り雑誌に掲載され、パソコン通信で初めて人と繋がる体験をした——すべてはこの一台から始まりました。


家入さんゆかりの地

福岡県宗像市:家入さんが生まれ育った海と山に囲まれた田舎町。傾きかけたボロ屋、ゴミ捨て場から拾って色を塗り直した自転車、毎月1回のファミレス外食——貧しくても楽しかった子ども時代の舞台です。その後、高校中退からひきこもり、新聞配達まで、家入さんの原点がすべてこの地にあります。

福岡市天神・大名エリア:ペパボの創業地。天神の蟹料理屋で「ペーパーボーイ&コーに社名を変えます」と発表した日の光景は本書の中で鮮やかに描かれています。「ペパボ」という愛称はその場で健太郎が提案し、誰からともなく拍手が沸き起こりました。


家入さんから学ぶ、経営者への3つの教訓

1. 「逃げること」は弱さではない 体育祭から逃げ、学校から逃げ、会社から逃げ続けた家入さんは、山田かまちの「逃げる逃げる僕は逃げて飛び続ける」という詩に救われました。逃げた先に押入れの自室があり、プログラミングがあり、パソコン通信があり、起業のきっかけがありました。逃げることで守られた「自分だけの世界」から、全てが始まったのです。

2. 自分の「弱さ」が最強の差別化になる 高校中退で、資格も学歴もなく、面接でどもり、滝のように汗をかく——そんな家入さんだからこそ、「履歴書だけでは人はわからない」という採用方針が生まれ、「弱い人間でもインターネットがあれば繋がれる」という思想でロリポップ!を作りました。弱さを隠すより、それを事業の哲学に昇華することが、ペパボを独自の存在にしました。

3. 人生は「塊魂」みたいなもの 家入さんは人生をゲーム「塊魂」に例えます。自分が思った方向に転がれるとは限らない。大きなものにぶつかってボーンと跳ね返される。でも、そこでまた色んなものを巻き込みながら転がっていく。「あっちに行って、あれを巻き込みたい」という意図通りには進まないけれど、気づけば意外なものを巻き込んで、気づけば大きな塊になっている——これが家入さんの人生哲学です。


この記事で語りきれなかった家入さんの魅力

著書『こんな僕でも社長になれた』には、まだまだ紹介しきれないエピソードが詰まっています。

たとえば藝大受験の「試験当日の午前11時に目が覚めた」という衝撃の場面。前夜、受験を翌日に控えながら渋谷の街を深夜まで彷徨い、24時間営業のジーンズ屋に深夜12時まで入り浸っていた。試験会場には永遠にたどり着けなかった国技館——この自滅ぶりも含めて家入さんの「不格好さ」が愛おしい。

また「先行者ドットコム」という、中国の二足歩行ロボットをネタにしたポータルサイトで連日1万ヒットを記録した話。ロリポップ!の前に手がけたこの「祭り乗っかり」の精神も、後の事業に繋がっています。

そして「ご近所さんを探せ」サイトで知り合った社員第2号・健太郎との出会い。親不孝通りでアフロヘアのキャッチと見間違えた瞬間の動揺から、吉野家でつゆだくを待ちながらマフラーが全く同じお揃いだったことに気づいて無言ではずした——この友情の描写が本書の中でも特に温かい。

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まとめ|家入一真さんが教えてくれること

鏡の前で笑顔の練習をしていた少年が、社長になった。体育祭の会場の窓から逃げた少年が、業界最多ユーザーのサービスを作った。

家入さんが証明したのは「完璧な人間だけが起業できる」という神話の嘘です。

高校中退でいい。ひきこもっていてもいい。失敗だらけでいい。逃げ続けてもいい。人生は塊魂みたいに、自分が思った方向に転がれなくても、ぶつかりながら色んなものを巻き込んで、大きくなっていく。

「こんな僕でも社長になれた」——この言葉は謙遜ではなく、すべての人への問いかけです。「こんな僕でも」ということは、あなたにもできる、ということだから。


参考文献:家入一真『新装版 こんな僕でも社長になれた』(イースト・プレス)