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「いつも私は去年の自分が恥ずかしい。10年前の自分など、他人と思うようにしないとうまく生きていけない」
これは、DeNA創業者・南場智子さんが著書の冒頭に記した言葉です。
1999年、マッキンゼーのコンサルタントとして絶好調だった36歳の南場さんは、ある会食でのたった一言に「熱病」にかかり、すべてを捨てて起業を決意します。しかし待っていたのは「失敗のフルコース」でした。
開発会社がコードを1行も書いていなかった。出資金が入らなかった。社員がどんどん辞めていった。「もしかして、あなたバカですか」と特許事務所の先生に言われた。
それでも南場さんは前のめりになり続け、DeNAを年商数千億円の企業に育て上げました。著書『不格好経営 チームDeNAの挑戦』をもとに、その起業哲学を7つのポイントで解説します。
目次 表示
- 南場智子さんの基本プロフィール
- 厳格な父と、自分で決めない子ども時代
- 経営哲学①|熱病——「自分でやれば」の一言が人生を変えた
- 経営哲学②|コードゼロ事件——「掘った穴が大きいほど面白いステージになる」
- 経営哲学③|不格好でいい——コンサルタントと事業リーダーは別物
- 経営哲学④|人が育つ組織——「任せる」の一言に尽きる
- 経営哲学⑤|採用に命がけ——競争力の源泉は「人材の質」
- 経営哲学⑥|2011年の退任——家族への優先順位の切り替え
- 経営哲学⑦|苦境こそ前のめりに——「禍転じて福となす」の実践
- 南場さんの失敗談|信國さんへの後悔
- 南場さんのこだわりグッズ
- 南場さんゆかりの地
- 南場さんから学ぶ、経営者への3つの教訓
- この記事で語りきれなかった南場さんの魅力
- まとめ|南場智子さんが教えてくれること
南場智子さんの基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 南場智子(なんば ともこ) |
| 生年 | 1962年(新潟県) |
| 学歴 | 津田塾大学→ハーバード・ビジネス・スクール(MBA) |
| 創業 | 1999年(DeNA)、36歳 |
| 社長退任 | 2011年(夫の闘病のため) |
| 業種 | インターネット・モバイルサービス(ゲーム・EC・スポーツ) |
| 趣味 | ドラム(社内バンド活動)、ゴルフ、数学(社内の数学博士に個人授業) |
| 信条 | 「苦境ほど素晴らしい立ち直りを魅せる格好のステージ」 |
| ゆかりの地 | 新潟県(故郷)、渋谷・代々木公園近く(創業の地)、シリコンバレー |
厳格な父と、自分で決めない子ども時代
南場さんの父は、身長182センチ・体重100キロ超の威圧感ある人物でした。すべての重要な意思決定は父が行い、理由の説明もなく、覆ることもない。「お父さんは偉大で常に正しい」と教育されて育った南場さんは、自分で考えて判断するという経験をほとんどしないまま成長しました。
大学進学も父が「女に教育は必要ない。新潟大学に行きなさい」と決める。初めて反旗を翻した南場さんはボストンバッグに服を詰め、出口に立ちはだかった父に体当たりし、背中が流血する事態になりました。
しかし母の「根回し」により、津田塾大学への進学が認められます。さらにアメリカ留学では、遠く離れてはじめて父に手紙を書き始め、「もしかして面白い人かもしれない」と気づいていきます。
この経験から南場さんは後に、「自分で考えて判断する」ことの大切さをDeNAの組織文化の核心に置くことになります。
経営哲学①|熱病——「自分でやれば」の一言が人生を変えた
1999年1月、マッキンゼーのコンサルタントだった南場さんは、ソネット(ソニー系プロバイダー)の山本泉二社長との会食で、ネットオークション事業を熱っぽく語っていました。
するとひょんな一言が返ってきます。「そんなに熱っぽく語るなら、自分でやったらどうだ」。
もちろん社長は軽い気持ちで言った言葉でした。しかし南場さんの頭の中で「!」が音を立てて鳴りました。人の事業に横から口を出すコンサルティングという職業にどっぷり浸かっていた自分は、「自分でやる」という選択肢の存在に気づいてもいなかったのです。
「その瞬間、熱病にかかった」
それまで「コンサルタントとして成功した私が経営者だったらもっとうまくできる」という「愚かなおごり」を持っていた南場さんは、この言葉で全てが変わります。マッキンゼー同僚の川田と渡辺(ナベ)を口説き落とし、1999年3月、渋谷の代々木公園近くにある20平米のアパートでDeNAを設立しました。
「言うのとやるのは大違いということを、年収数千万円のコンサルタントだけがうっかりする。これはもはや滑稽といえる」——後に南場さんはそう書いています。
経営哲学②|コードゼロ事件——「掘った穴が大きいほど面白いステージになる」
DeNA最大のトラウマと南場さんが呼ぶ事件が、創業から数ヵ月後に起きました。
開発が完了したはずの日に、実際はコードが1行も書かれていないことが発覚したのです。依頼していたシステム会社が、開発を進めているように報告しながら、実際には何も作っていなかった。しかもヤフーはすでに1ヵ月前にネットオークションを始めています。
「ないの?本当にないの?」と南場さんと川田はうわ言のように繰り返しました。手が小刻みに震え、パソコンすら立ち上げられない。
深夜に帰宅した南場さんは夫に「システム詐欺にあった」とつぶやきました。すると夫はむっくり起き上がり、3つのことを言いました。
- 諦めるな。その予算規模なら天才が3人いれば1ヵ月でできる
- 関係者に、ありのままの事実を速やかに伝えること。決して過小に伝えるな
- 「システム詐欺」という言葉をやめろ。社長が最大の責任者、加害者だ
これだけ言うとまたひっくり返って寝てしまいました。
翌朝7時から南場さんは関係者に電話をかけ続けます。「システムがありません。やり直しです」と正直に伝えた。誰もが離れていくと覚悟しましたが、驚いたことに一社も離れなかった。
ベンチャーキャピタルのNTVPから届いたメールにはこう書かれていました。「掘った穴が大きいほど面白いステージになる。見事に立ち直る様を魅せようじゃないか」。
「ちょっと―」と声をあげて皆を呼んだ南場さん。気持ち悪いほど前向きな集団が4時間後に生まれました。これがDeNAの社風の原点です。
経営哲学③|不格好でいい——コンサルタントと事業リーダーは別物
南場さんがマッキンゼーで10年以上コンサルタントをしていたことは、経営者になってから大きな「UnLearn(学習消去)」を強いられることになりました。
コンサルタントは「するべきです」と言う人。事業リーダーは「します」とやる人。この違いは極端に大きいのに、「将来起業したいのでまずコンサルタントで勉強する」という考え方が巷にはびこっている。「ゴルフでトーナメントプロになりたいからまずレッスンプロになろうというのと同じくらいトンチンカンだ」と南場さんは言い切ります。
とりわけ苦労したのは、「継続討議にしない」ことでした。
コンサルタントは情報を集める。しかし事業では「不完全な情報に基づく迅速な意思決定が、充実した情報に基づくゆっくりとした意思決定に数段勝る」ことを身をもって学びました。本当に重要な情報は当事者になって初めて手に入る。やりはじめる前にねちねちと情報の精度を上げるのは、あるレベルを超えると圧倒的に無意味なのです。
「事業リーダーにとって、『正しい選択肢を選ぶ』ことと同等以上に『選んだ選択肢を正しくする』ことが重要だ」——これが南場さんの経営の核心です。
経営哲学④|人が育つ組織——「任せる」の一言に尽きる
「なぜDeNAの人材は育つのか」という問いへの南場さんの答えは、実にシンプルです。「任せる、という一言に尽きる」。
人は人によって育てられるのではなく、仕事で育つ。しかも簡単な成功ではなく、失敗を重ね、のたうちまわって七転八倒したあげくの成功なら大きなジャンプとなる。
だからDeNAでは、その人物が精一杯頑張ってできるかできないか、ギリギリの仕事を思い切って任せることにしています。入社数週間の守屋さんにグローバル市場を対象とするサムスン電子との戦略的提携を任せ、25歳のエンジニアに企業間の共同プラットフォーム開発を一手に任せた例もあります。
「ギリギリな仕事を任せれば失敗するリスクもある。でも人が育たないリスクはとらない。DeNAはそういう選択をしている」
南場さんが高く評価する優秀な人材の共通点は「素直だけど頑固」。アドバイスには素直に耳を傾けて徹底的に実行するが、結論については自分の判断を持ち続ける。人におもねらず、仕事に対するオーナーシップと思考の独立性を自然に持ち合わせている。
経営哲学⑤|採用に命がけ——競争力の源泉は「人材の質」
「DeNAの競争力の源泉は何ですか」と問われると、南場さんは即答します。「間違いなく人材の質です」。
人材の質を最高レベルに保つためには、①最高の人材を採用し、②育ち、③実力のある人材が輝き、④だから辞めない——この4つを満たすことが必要です。
社長時代、年間約30回の新卒向け会社説明会をすべて自分で行いました。社長退任後の現在も「一番大事な仕事」として採用に取り組み続けています。
採用時に大切にしたのは、「経営課題の前に階層なし」というフラットな組織文化です。管理職かメンバーかは上下関係ではなく役割の違い。「誰が言ったかではなく何を言ったか」を重視し、人ではなく「コト」に意識を集中する組織をつくりました。
「社長についていきます」と言う人には全力で断る。自分を誰かに従属させるより、コトに向き合ってほしいからです。
経営哲学⑥|2011年の退任——家族への優先順位の切り替え
2011年、南場さんは突然社長を退任します。12年かけて育て上げた会社の頂点から。
理由はシンプルでした。夫が癌になったのです。「たったふたり家族の相棒が病気になり、自分の優先順位が社業から家族に切り替わってしまった」。
「頭のなかが半分以上家族のことになってしまったら続行は不可能」と判断した南場さんは、その後2年間で人生初めての経験をたくさんします。病院の廊下、待合室、闘病の現場で出会った人々から、これまで接点のなかった世界を知りました。
「今年も家族で桜が見られてよかった」という喜びを、心から感じられるようになった。同じ桜なのに、だから開花が待ち遠しくわくわくできる——これを「拾い物」と呼んでいます。
「仕事を最優先に馬車馬のように突っ走ってきた私は、他の生き方について左脳で理解はしても、どこか遠い対処すべき課題のような捉え方をしていた。自分自身の優先順位がバッシャンと家庭に切り替わってしまったのは驚きだった」
その後、夫の病は回復。南場さんはDeNAに復帰し、今もその成長を支え続けています。
経営哲学⑦|苦境こそ前のめりに——「禍転じて福となす」の実践
南場さんが苦しいときに意識することは2つです。
ひとつは、「とんでもない苦境ほど、素晴らしい立ち直り方を魅せる格好のステージだと思って張り切ること」。
もうひとつは、「必ず後から振り返って、あれがあってよかったね、と言える大きなプラスアルファの拾い物をしようと考えること」。
コードゼロ事件も、資金繰りの危機も、住民反対運動も、公取の立ち入り検査も、すべてのどん底が「拾い物」につながっています。
「命をとられるわけじゃないんだから。たかがビジネス。おおらかにやってやれ」
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で「苦しいときほど前のめりになる人」と紹介された南場さん。その前のめりの背景にあるのは楽観ではなく、苦境の先に必ず拾い物があるという確信です。
南場さんの失敗談|信國さんへの後悔
南場さんが最も長く苦しんだ後悔の話が、謝辞の中に記されています。
創業時にリクルートからのサービス設計を指導してくれた信國乾一郎さん。DeNA立ち上げに欠かせない人物でしたが、ある出来事で関係が壊れます。
信國さんがDeNAに「貸した」エース人材が、後にリクルートを退職してDeNAに転職してしまったのです。「6時間にわたって問いただされたが、私は本人の意思だとずっと言い張った」。
誘っていないと言い張ったことが、何十年も自分を苦しめ続けます。南場さんは「55歳になったら話しにいこう」と決めていました。
しかし信國さんは2009年、南場さんが55歳になる前に48歳でこの世を去りました。
「ごめんなさいとありがとうが天国の信國さんに届きますようにと願う」——本書のこのくだりは、経営書でありながら深い人間の物語になっています。
南場さんのこだわりグッズ
ドラムセット:DeNAの社内バンドに入るためにドラムを習い始めました。一度バンドを解散(実はメンバーから外された)後も地道に基礎練習を続け、復帰。現社長のDeNA就任前、アルバイトとして入社しモバオクやモバゲーをつくった川崎さんが師匠です。「途中飾りを入れてもたついても戻りが早くなった」と褒められた一言が嬉しかったといいます。
リーマン予想の参考書:DeNA新卒入社の数学博士に「比喩を使わずリーマン予想を教えてくれ」と頼み込み、月1回の個人授業を始めました。「頭のなかで?△×が点滅する」くらい難しいが「最高に面白かった」と振り返ります。わからないまま納得したふりをすることを嫌う性格が表れています。
南場さんゆかりの地
新潟県:南場さんが生まれ育った故郷。厳格な父との思い出が詰まった場所。大学入学後に父に初めて手紙を書き、ハワイで一週間一緒に旅して「面白い人かもしれない」と気づいた逸話は、本書の中でも温かく描かれています。夫の癌が再発した際に新潟でのベイスターズ応援試合に参加し、新幹線で泣き続けた場面も印象的です。
東京都渋谷区・代々木公園近く:1999年3月、20平米のアパートでDeNAが産声を上げた創業の地。男子トイレを共有し、掃除は我慢くらべに負けていつも南場さんがやっていたという場所です。後に世界的企業となるDeNAの原点がここにあります。
南場さんから学ぶ、経営者への3つの教訓
1. 言うのとやるのは全く別物——今すぐ現場に飛び込め コンサルタントとして10年以上「するべき」を言い続けた南場さんが、「します」の一歩を踏み出した時、経営の困難さを初めて知りました。情報が揃うまで待つのではなく、不完全でも決めて動く。選んだ選択肢を正しくすることが、正しい選択肢を選ぶことと同等以上に重要です。
2. 失敗を血や肉にする——苦境ほど拾い物がある DeNAの歴史は「失敗のフルコース」でした。しかしその一つひとつが後のDeNAの強さになっています。苦境は逃げるものではなく、前のめりになって「拾い物をする場所」として捉えること——これがDeNAというチームを育てた思想の核心です。
3. 採用と任せることに命をかける 社長退任後も最重要業務として採用に取り組み続ける南場さんのこだわりは明確です。人材の質が競争力の源泉。そして採用した人を本当に「任せる」勇気がなければ、人は育たない。論理ではなく勇気が必要なこの「信じて任せる」を実践できたかどうかが、組織の強さを決めるのです。
この記事で語りきれなかった南場さんの魅力
著書『不格好経営』には、まだまだ紹介しきれないエピソードが詰まっています。
たとえばビッダーズ立ち上げ時、「大前研一に電話で15分間罵倒される権利」をオークションにかけたところ、7万数千円で落札されたという話。南場さんが「自分がマッキンゼー時代にもらった罵倒はいったいいくらになるのだろう」と考えてしまう場面は思わず笑ってしまいます。
また、モバゲーのCMをめぐる社内バトル、公正取引委員会との交渉、プロ野球横浜DeNAベイスターズ参入の舞台裏など、経営の修羅場が次々と描かれます。
さらに「激やせラリー」と呼ばれた創業期の資金繰り危機。ヤフオクとの差が縮まるどころか果てしなく開いていく中で、何度も倒産寸前まで追い詰められながら生き延びた経緯は、ベンチャー経営のリアルを余すところなく伝えています。
📚 不格好経営 チームDeNAの挑戦(日本経済新聞出版社)を読んでみる
まとめ|南場智子さんが教えてくれること
マッキンゼーで順風満帆だった36歳が、「熱病」にかかって全てを捨てて起業した。失敗のフルコースを経験し、不格好に前のめりになり続けて、DeNAを世界規模の企業に育てた。そして12年後に夫の闘病で社長を退任し、それすらも「拾い物」に変えた。
「命をとられるわけじゃないんだから。苦境ほど素晴らしい立ち直りを魅せる格好のステージだ」
南場さんが教えてくれるのは、完璧に準備してから始めるということの幻想を捨てること。不格好でいい。失敗だらけでいい。それでも前のめりになり続ける人間が、最後に大きなものをつくるのです。
参考文献:南場智子『不格好経営 チームDeNAの挑戦』(日本経済新聞出版社、2013年)

