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雨あがりの空き地に、一台のトラックが止まりました。荷台からベニヤ板を降ろし、日用雑貨を並べようとした男のまわりに、チラシを握りしめた主婦たちがすでに列をつくって待っています。値札をつける時間などありません。「これ、なんぼ?」と急かされた男の口から、思わず出た言葉がありました。「100円でいい」。
この、ほとんど投げやりな一言が、のちに世界26の国と地域へ広がる巨大チェーンの出発点になるとは、本人さえ想像していませんでした。男の名は、矢野博丈。100円ショップ・ダイソー(大創産業)をたった一代で築き上げた創業者です。
この記事は、ノンフィクション作家・大下英治が矢野本人や創業社員に取材して描いた伝記『百円の男 ダイソー矢野博丈』(さくら舎)をもとに、夜逃げ・火事・倒産寸前をくぐり抜けた男が、なぜ「儲けよう」という考えを手放したのかを読み解いていきます。
矢野博丈の経営を一言で表すなら「恵まれない幸せ」です。うまくいかない前提で先の怖さばかりを読み、だからこそ人一倍働き、客が驚くほど質の高いものを100円で売り続けた逆境突破の商人でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 矢野博丈(やの ひろたけ) |
| 本名 | 栗原五郎(のち妻の姓「矢野」に改姓、姓名判断で「博丈」に改名) |
| 生年 | 1943年(昭和18年) |
| 出身 | 中国・北京生まれ、戦後に広島県(現・東広島市)へ引き揚げ |
| 学歴 | 中央大学理工学部二部を卒業 |
| 会社 | 株式会社大創産業(100円ショップ「ダイソー」) |
| 創業・法人化 | 1972年に「矢野商店」を創業、1977年に大創産業として法人化 |
| 主な歩み | 移動販売から常設店へ転換し、100円ショップを全国・世界へ展開 |
| 著書(本記事の底本) | 大下英治『百円の男 ダイソー矢野博丈』(さくら舎、2017年) |
なお本書は、矢野本人ではなく作家・大下英治が第三者として書いた伝記です。この記事でも、矢野自身の発言や回想は「矢野は〜と語りました」、著者・大下の記述や評価は「本書は〜と描いています」と、できるかぎり区別しながら紹介していきます。
なぜ矢野博丈は、うまくいくたびに「潰れる」とつぶやいたのか
矢野を語るうえで欠かせないのが、口ぐせのように繰り返した「ダイソーは潰れる、潰れる」という言葉です。年商が数百億円を超えても、この不安が消えることはありませんでした。
そのルーツは、生い立ちにあると本書は描いています。矢野の父・基は「医は仁術」を地でいく医者でしたが、祖父が親戚の借金の保証人となって没落し、戦後の農地改革でさらに家は傾きました。医者の家でありながら、自宅に風呂もない。父は近所の目を避け、銭湯が閉まる間際の午前三時ごろにこっそり湯へ通っていたといいます。その姿を見て、幼い矢野は「うちは、貧乏なんだな」としみじみ思ったと回想しています。
矢野は語ります。「没落した家に育ったから、絶えず将来の不安を考える癖がついた。商売でも、先の怖さばかりを読む」。そしてこう続けます。「自分が病気をもって体が弱い人が先を恐れる力があるのと同じで、先を畏れる力がすごくある」。
一見、後ろ向きな性格です。しかし本書は、この「怖がる力」こそが矢野の武器だったと描いています。将来を恐れるからこそ質素を貫き、インフレや不況が来ても倒れない身軽さを保つ。「恵まれた瞬間に力がどんどん落ちていく」と矢野は考えていました。恵まれない立場のほうが頑張れる——それが、彼の言う「恵まれない幸せ」でした。
矢野が好んだ言葉は、「恵まれない幸せ」「しかたがない」「分相応」「自己否定」。本書はこれを、いわゆる負け犬の言葉が大好きだった、と記しています。掌に「ワシはダメだよ」と書いてみせることさえありました。矢野は「自己否定」という言葉をとりわけ好み、よく口にしました。
ある記者は、そんな矢野に「不幸という服が体に張りついた億万長者」というあだ名をつけたと本書は紹介しています。成功しても不安を脱げない——その独特の人物像が、いかにも矢野らしいのです。ではその「ダメな男」は、どうやって商売の世界へたどり着いたのでしょうか。
夜逃げ、木賃宿、そして妻のひとこと
大学卒業後の矢野は、まっすぐ成功へ向かったわけではありませんでした。むしろ、その道のりは転落の連続だったと本書は描いています。
きっかけは、妻・勝代の実家が営む広島・尾道の魚問屋「魚光」を継いだことでした。養殖業は虫が湧き、ブリなどは毎日10万円分も死んでいく。初任給が2万円ほどの時代です。矢野がねじり鉢巻きでいくら働いても業績は戻らず、2年ほどで銀行の融資も止まりました。実家の父や兄たちから用立ててもらった借金は、700万円ほどに膨らんでいました。
義父はなお「あと1000万円借りてくれ」と養殖の続行を求めます。漁師たちからは「命とられるよ」と忠告されました。矢野はついに決心し、妻に打ち明けます。「ワシは、逃げるど」。
昭和45年の年の暮れ、矢野は妻と2歳半の長男を連れ、家財道具をトラックに積んで尾道を離れました。夜逃げ同然でした。途中で泊まった福山の木賃宿は、玄関に現場作業員の地下足袋ばかりが並ぶ粗末な宿。「ここまで、ワシは落ちてしまったか」と矢野は落胆します。
ところが、ふすまで仕切られただけの部屋で、妻の勝代がはしゃぐように言いました。「いい部屋じゃねえ。よかったねえ」 おどおどしていた長男の顔がほっとほどけ、矢野自身も、誰よりも高ぶっていた心が静まったといいます。
本書は、この妻の一言を「妻が人生で発したなかで、矢野がもっとも嬉しかった言葉」だと紹介しています。借金を背負い、破れかぶれになっていた男に希望を灯したのは、経営戦略ではなく、家族の何気ないひとことでした。矢野はのちに「女房と子どもがいたからこそ、借金を返そうと必死になれた」と振り返っています。この妻・勝代は、のちにダイソーの仕入れ責任者・専務として、経営の屋台骨を支えることになります。
「安もの買いの銭失い」——客の一言が、仕入れの哲学を変えた
東京へ出た矢野は、百科事典のセールスマンで挫折し、ちり紙交換で一度は水を得ます。やがて広島に戻り、大阪の業者から譲り受けた地盤で移動販売を始めました。昭和47年、屋号「矢野商店」の誕生です。
商品を全部100円で売るようになったのは、前述のとおり、値づけが追いつかず口をついて出た一言がきっかけでした。ただ、100円均一は上限が決まっているぶん、値上げができません。折しも石油ショックで原価が上がり、商売は楽ではありませんでした。
そんなある日、店先で商品を眺めていた客のひとりが、仲間に向かってこう言い放ちました。「ここでこんなもの買っても『安もの買いの銭失い』だ。帰ろう」。そして、みんなを連れて去っていったのです。
この言葉が、矢野には何より堪えました。妻にも「今日も三回いわれた」と泣き言をこぼしています。しかし、彼の心には悔しさの炎が燃え上がりました。「ちくしょう!どうせ儲からんのだし、いいもん売ってやる!」。
ここから、矢野の仕入れが変わります。利益を度外視し、原価を思いきり上げたのです。 原価70円で抑えるべきところを80円まで、時には98円のものを100円で売りました。すると、客の目つきが変わりました。「わっ、これも100円!これも100円!」——驚きの声が上がるたび、矢野の励みになっていったといいます。
矢野は語ります。「自分の儲けを考えていたら、商売なんてできん。ワシは、客が驚く姿が見たかったんじゃ」。本書はこの転換を、ダイソーが「安かろう悪かろう」から抜け出し、他社と決定的に差がつく原点として描いています。のちに矢野は、「100円というハンディが、結果的に商品の品質向上につながった」とも語りました。制約こそが、工夫を生むというわけです。
こうした「安くていいもの」で低価格の常識を塗り替えた歩みは、家具の世界で製造小売を貫いた似鳥昭雄さんのニトリの物語とも響き合います。本書には、ほかにも矢野の商人としての機微が数多く描かれています。
火事と倒産寸前——それでも「潰れなければいい」
矢野の商売は、順風満帆とは無縁でした。本書は、彼を襲った二つの大きな危機を丁寧に描いています。
一つめは、火事です。自宅兼事務所にしていた家が、放火に巻き込まれて全焼しました。トラックも商品もすべて焼け、矢野は積み上げてきた財産を一瞬で失います。しかも損害保険には入っておらず、一円も戻りません。ひと月ほど寝込むほどの打撃でした。
ところが矢野は、のちにこの火事を「悪縁を焼き捨てる火事」だったと受けとめます。兄たちが200万円ずつ見舞金を持ってきてくれたことで心を立て直し、それまで飛び込めなかった大手スーパー・イズミへ営業に向かったのです。結果、3日間で330万円を売り上げる大記録を出しました。矢野は「火事のおかげでツキがまわってきた」と語っています。
二つめは、倒産寸前の危機です。昭和58年、任せていた東京営業所の社員たちが造反し、別会社をつくろうと画策しました。矢野は妻とともに説得に向かいますが聞き入れられず、「今度こそ、潰れる」と絶望します。倒産の恐怖から、一週間ほど焦げ茶色のような小便が出て、眠れぬ夜に「死」ばかりを考えたと本書は記しています。
かろうじて数人が残り、倒産は免れました。この経験から、矢野は一つの結論にたどり着きます。「会社を大きくしよう、儲けようと大それた考えではいけん。会社は、ただ潰れなければいい。生きられればええじゃないか」。
矢野はバイヤーたちに、こう言い続けました。「ワシら能力がないんじゃけえ。儲けようなんて大それたこと思うな。売れればええんじゃ」。本書は、この徹底した謙抑の哲学が、火事や倒産寸前という「大きな悲しみ、苦しさ、辛さの中から生まれた」と描いています。そして矢野は、会社を大きくすることより「夫婦ふたりで一番売るトラック」という身近な目標を選んだと語りました。粗利を追う道ではなく、目の前の客に喜んでもらう道を、彼はコツコツと選び続けたのです。
「わざわざ100均」——常設店への転換を決めた店長のひとこと
移動販売で評判を広げた矢野に、転機が訪れます。舞台は、大手スーパー・ダイエーとユニーでした。
はじめ、矢野はダイエーの店内を借りて商売をしていました。ところが、中内㓛オーナーから「催事場が汚くなる」として100円均一の催事中止を告げられます。6割もの商品を卸していた相手からの通告は、大打撃でした。
そこで矢野が閃いたのが、「ダイエーの客が流れるところに店を出せばいい」という発想でした。ダイエーの近くに100円ショップを構える——これが、常設店舗による100円ショップの始まりだったと本書は描いています。移動販売から店舗へ。時代の変わり目を、矢野はいち早く越えていきました。
もう一つ、矢野の背中を押した出来事があります。愛知のユニー江南店で、4階全体を借りて店を出さないかと誘われたときのことです。矢野は「4階まで客は来ない」と何度も断りました。しかし取引を止めると言われ、しかたなく出店します。
3カ月後、店長のほうから機嫌よく「お世話になっています」と声をかけられ、矢野は驚きました。理由を尋ねると、店長はこう言ったのです。「おたくの100円均一は『わざわざ100均』だ。一階で同じ商売をやっていても、お客さんはわざわざ四階まで上がっていく」。
広い売り場で、他の店はすべて引きあげ、残っていたのは矢野の100円均一だけでした。矢野は思います。「よい商品を置いておけば、固定でも売れるんじゃないか」。「お客様第一主義」が結局は自分に跳ね返ってくる——この確信が、身に染みた瞬間でした。移動販売から常設店へ、そしてチェーンへ。ダイソーの飛躍は、ここから加速していきます。
同じく低価格で流通の常識を覆した経営者としては、ディスカウントストアのドン・キホーテを築いた安田隆夫さんの物語も、あわせて読むと時代の空気がより立体的に見えてきます。
「仕入れは格闘技」——目がクッと変わる瞬間
ダイソーの安さと質を支えたのは、矢野の仕入れへの執念でした。矢野の口ぐせは「仕入れは格闘技じゃ」。高校時代、方言をバカにされた悔しさからボクシングに熱中し、東京オリンピックのバンタム級強化選手にも選ばれた——その闘志が、商談の場に持ち込まれていたと本書は描いています。
普段はユーモアたっぷりで、まわりを笑わせてばかりの矢野。しかし、仕入れの交渉になると別人になりました。ある友人は、本書のなかでこう証言しています。「僕はこの人のね、目がクッと変わったときを見たことがある。全然本人、意識していませんよ。仕入れのときですよ」。
商談で矢野が相手に求めたのは、値引きの駆け引きではありませんでした。彼が嫌ったのは、売り手の「甘え」です。「儲けようとして値段を出すな!駆け引きなしで価格を出せ」と怒鳴ったこともありました。もち込まれた商品に少しでも作り手の論理が透けて見えると、矢野は静かに、しかし鋭く指摘したといいます。「ええものをつくるというのは、自分のためにつくるんじゃない、そこをよう勘違いしたらいかん」。
この姿勢は、ダイソーの商品づくりの根幹になりました。取扱商品は約7万点、そのうち雑貨の自社開発商品は約99%。毎月300〜500もの新商品を投入し、「お客様が飽きるスピードとの闘い」を続けます。矢野は語りました。「これを100円で売っているのか、とお客様が驚いてくれるような商品を売ることができたから、いまがある」。
矢野が社員に伝え続けたのは、「100円で五〇円儲かる商品と、一円しか儲からない商品があったら、一円しか儲からない商品をたくさん売れ」という視点でした。客が本当に喜ぶ商品は、放っておいても飛ぶように売れる。結局、そのほうが多くの利益をもたらす——利益は、追うものではなく、客の喜びの後からついてくるものだと考えていたのです。小売の常識を問い直し続けた点では、コンビニの世界に革新を持ち込んだ鈴木敏文さんの経営とも通じるものがあります。
世界のダイソーへ——「潰れる」と言い続けた男の逆説
会社を大きくすることに興味はない、と語り続けた矢野。しかしダイソーは、本人の意図を超えて、破竹の勢いで拡大していきました。本書は、その皮肉ともいえる成長を克明に追っています。
平成に入り、ダイソーは全国へ店舗網を広げます。長引く不況のなか、フランチャイズを望む電話が一日に何十本もかかってきました。予定地を見る間もなく出店を決める「みず店(見ず店)」という言葉が横行するほどでした。関西学院大学を出て入社した渡辺有和という若手が、入社2年目にして未開の地・四国を任され、偶然見つけた空き店舗で連日150万円以上を売り上げる——そんな成功が各地で積み重なっていきました。
海外初進出は、台湾でした。きっかけは、直木賞作家で実業家の邱永漢による熱心な誘致です。矢野は「海外で成功するはずがない」と何度も断りましたが、押し切られる形で平成13年、台北と桃園に出店します。当初は苦戦し、黒字化まで7年もかかりましたが、やがて韓国、シンガポール、そしてアメリカへと広がっていきました。
本書には、この海外展開のなかで矢野が繰り返した信条が描かれています。それは、現場を離れないことでした。矢野にとって、100円ショップの仕事は倉庫での作業がもっとも大切なもの。社員とともに商品を搬入し、そこで商品を覚えていく——それが商売の土台だと考えていました。矢野は語ります。「現場が嫌いで、帳簿が好きなだけでは、100円ショップの経営はできません」。数字だけを見て倉庫に来ようとしない現地の経営陣に、彼はもどかしさを感じたと本書は記しています。中国では好立地でしか売れず苦戦し、担当者が「原点に戻らなくてはダメだ」と痛感する場面もありました。派手な戦略より、地道な現場主義。それが世界へ出ても変わらない矢野の芯でした。
本書によれば、ダイソーは海外26の国と地域に約1800店舗を展開する「世界のダイソー」へと成長しました。それでも矢野は、テレビの取材でこう語り続けていたのです。「船で心地よくおりている、でも本当は先に滝がある。大きな滝つぼがある。そこへ落ちる運命にあるわけですね、企業っていうのは」。
不安を手放さないからこそ、質素を貫き、いざというときに備えて借りられる資金は借り尽くす。「潰れる」と言い続けた男が、結果として潰れない会社をつくった——この逆説こそ、本書がもっとも鮮やかに描く矢野博丈の姿です。本書には、ここで紹介しきれなかった海外での苦戦と再起のドラマが、まだ数多く収められています。
矢野博丈のこだわりとは?
経営の話が続きましたが、ここで少し、矢野博丈という人そのものに目を向けてみましょう。本書には、その人柄がにじむ習慣や小道具が描かれています。
一つは、100円のいたずらグッズを手放さないことです。矢野は懇親パーティーの席で、背広のポケットから小さなピストル型のおもちゃを取り出し、相手に握らせて引き金を引かせます。すると指にピリッと電気が走る仕掛け。「悪いことしちゃいけん、というわけです。これもウチの商品で、100円です」と、にやりとしてみせる。柄が伸びるスプーンで遠くのイチゴをすくい取ってみせることもありました。人を笑わせたいという欲望が人一倍強く、それは冗談好きだった父の姿から抱いたものだと本書は記しています。
もう一つは、社員に水をかける朝の儀式です。矢野は社員が出社する前に本社前で待ち構え、据えられた大きな水瓶の水を柄杓ですくって「おはよう!」と振りかけました。ただし、心得たもので、水がかかりそうでかからないぎりぎりを狙う。社長然として威張ることのない、愛嬌のある光景でした。
さらに、飲みに行くときの姿にも人柄がにじみます。金に苦労しなくなってからも、同級生との飲み会には市電や軽自動車で現れました。「見栄と無駄はしない」——旧友たちは、それが矢野の哲学だと見ていました。持ち物や振る舞いの一つひとつに、恵まれない時代を忘れない矢野らしさが刻まれています。
矢野博丈ゆかりの地とは?
矢野博丈の足跡は、いくつかの土地に残されています。本書の世界をより深く感じたい方のために、ゆかりの地を紹介します。
まず、少年時代を過ごした広島県の福富町・久芳村(現・東広島市)。戦後に北京から引き揚げた一家が身を寄せた土地で、祖母とふたりの田舎暮らしや、方言をからかわれてボクシングに打ち込んだ日々が、後の「仕入れは格闘技」という信条の淵源になりました。(地図で見る)
次に、ダイソーの本拠地となった広島県東広島市西条。「矢野商店」が拠点を構え、大創産業として法人化し、社長宅の庭に建つ4〜6畳のプレハブ小屋を本社に商売を広げていった、まさに創業の地です。(地図で見る)
そして、夫婦での夜逃げの起点となった広島県尾道市。妻の実家の魚問屋を継いで倒れかけ、700万円の借金を背負ってここを離れた挫折が、のちの矢野の「怖がる力」を育てました。しまなみ海道の走るこの地は、専務を退いた妻・勝代が晩年を過ごした場所でもあります。(地図で見る)
土地をたどると、引き揚げ者の子として貧しさを知り、尾道で挫折し、西条で這い上がった、一人の商人の軌跡が立体的に見えてきます。では、その軌跡から私たちは何を学べるのでしょうか。
矢野博丈から学ぶ3つの教訓とは?
『百円の男 ダイソー矢野博丈』が現代の私たちに伝えるものを、ここでは3つに絞ってお伝えします。
一つめは、制約は、言い訳ではなく工夫の入り口だということです。「100円」という上限は、本来なら値上げもできない足かせでした。しかし矢野は、その制約のなかで原価を極限まで上げ、大量発注でコストを下げ、自社開発で質を磨きました。矢野自身が「100円というハンディが、結果的に品質向上につながった」と語ったように、逃げ場のなさこそが、他社の追随を許さない商品力を生んだのです。
二つめは、儲けを追わず、客の驚きを追うということです。「安もの買いの銭失い」の一言に発奮し、利益を度外視して原価を上げた矢野。彼が見たかったのは決算書の数字ではなく、「これも100円!」と驚く客の顔でした。一円しか儲からない商品を数多く売れという教えの通り、利益は客の喜びの後からついてきました。目的と結果を取り違えない順番に、商売の芯があります。
三つめは、うまくいっているときこそ、怖がれということです。矢野は年商が数百億円を超えても「潰れる、潰れる」と言い続けました。それは弱気ではなく、質素を守り、いざに備え、慢心を戒めるための「怖がる力」でした。恵まれた瞬間に力が落ちると知る者だけが、逆境の時代を倒れずに越えていける——「恵まれない幸せ」という逆説が、その核心にあります。
これらの教訓は、ほんの入り口にすぎません。『百円の男 ダイソー矢野博丈』には、ここでは紹介しきれなかった矢野の闘いが、まだまだ詰まっています。
この記事で語りきれなかった『百円の男 ダイソー矢野博丈』の魅力
矢野博丈の歩みをたどってきましたが、本書の魅力はこれだけではありません。記事では触れられなかった、印象深い3つの内容を紹介します。
一つめは、創業社員たちが語る「厳しくて優しい社長」の素顔です。かつて「日本一怒る社長」を自任し、机を叩き、時に胸倉をつかんで叱った矢野。しかし、叱ったあとには必ず手土産を持たせ、風邪の社員には消化によいものを差し入れる。バイクの大怪我で入社を諦めかけた青年を「それでもいいよ」と迎え入れた逸話など、社員の肉声が本書には満ちています。
二つめは、尽きることのないアイデア商品の開発現場です。竹に見えてじつは割れないメラミンの器、床に落としても壊れない紙粘土、ハロウィンの血のりのついた小道具——矢野が案内する本社の開発室のにぎやかさは、ダイソーの商品力の源泉そのものです。980円だった毛玉取り機を100円にした執念も描かれています。
三つめは、息子・靖二が担う「新たなるダイソー」への挑戦です。スーパー・イズミで16年間バイヤーを務めた次男が、数字に甘い社風の改革や、都市部・海外へのさらなる展開に挑む姿は、創業者から次世代へと引き継がれる経営のバトンを感じさせます。
これらのエピソードは、ぜひ本書で味わってみてください。
まとめ
矢野博丈は、夜逃げ・火事・倒産寸前という度重なる逆境を潜り抜け、「安くていいもの」だけを武器に、100円ショップを世界へ広げた創業者でした。
「100円でいい」という思わぬ一言から始まり、「安もの買いの銭失い」の悔しさで仕入れを変え、「潰れる」と怖がり続けたからこそ倒れなかった。その軌跡は、恵まれない立場を嘆くのではなく、そこから頑張る力に変えよ、と静かに語りかけてきます。
年商が世界規模になってもなお、矢野が「ワシは、人生でうまくいったことがひとつもない」と笑いながら働き続けた事実は、成功の本当の姿について静かな示唆を与えてくれます。作家・大下英治が丹念に描いた『百円の男 ダイソー矢野博丈』は、逆境をエネルギーに変えるための一冊です。
よくある質問(FAQ)
Q. 矢野博丈とはどんな人物ですか?
A. 100円ショップ・ダイソー(大創産業)の創業者です。1943年に北京で生まれ、戦後に広島へ引き揚げました。魚問屋の倒産で夜逃げを経験したのち、移動販売から「矢野商店」を興し、全部100円で売る商売を確立。安くて質の高い商品づくりで、ダイソーを世界26の国と地域へ広げました。2024年に亡くなっています。
Q. 「ダイソー」や「大創産業」という社名の由来は何ですか?
A. 本書によれば、社名は占い師の助言で決められました。工事会社と間違われがちだった「矢野商店」から、画数のよい「大創(だいそう)」を選び、1977年に株式会社大創産業として法人化します。「大きく創る」という夢を込めた名で、店舗ブランド「ダイソー」もここに由来しています。
Q. 『百円の男 ダイソー矢野博丈』はどんな本ですか?
A. ノンフィクション作家・大下英治が、矢野本人や創業社員に取材して書いた伝記です。生い立ちの貧しさ、夜逃げや火事、100円均一が生まれた瞬間、仕入れへの執念、世界進出までを、本人の肉声と周囲の証言で描いています。第三者による評伝のため、事実の裏づけを重ねた読みごたえのある一冊です。
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参考文献
大下英治『百円の男 ダイソー矢野博丈』(さくら舎、2017年)
