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父と一緒に街を歩くとき、高田旭人さんは何歩か後ろを歩くようにしています。
すると、すれ違う人、すれ違う人がいったん通りすぎた後、前を歩く父の顔に気づいて振り向く。父は話しかけられれば、にこやかに対応し、カメラを向けられれば即座におどけたような表情で笑います。そんな姿を間近で見て、旭人さんはつくづく思います。「とても父のようにはなれない」と。
父とはジャパネットたかた創業者・髙田明です。
独特の語り口でテレビ通販番組に出演し続け、全国のお茶の間に愛された名物社長。一代で売上高1500億円超の会社を作り上げたカリスマ経営者。旭人さんはその長男として生まれ、2015年1月、35歳で社長を引き継ぎました。
本書『ジャパネットの経営』は、「東大卒2代目の僕がカリスマ社長の後を継ぎ大事にしてきたこと」という副題を持つ、旭人さんの初の著書です。「父は長嶋茂雄さんのような直感型の天才タイプ。それに対して自分が目指すべき方向性は野村克也さん」——この一言に、旭人さんの経営哲学のすべてが詰まっています。
目次 表示
- 高田旭人さんの基本プロフィール
- 「カリスマ経営者の息子」という制約条件を受け入れて
- 「38対2の多数決」——父との直接対決
- 「父は長嶋茂雄、僕は野村克也」——カリスマなき経営への転換
- 「見つけて、磨いて、伝える」——ジャパネット3つの事業方針
- 「安売り」と「お値打ち」を区別する——価格訴求からの脱却
- 「楽して成果を上げる」——本気の働き方改革
- 「損得ではなく、正しいことをやる」——父から受け継いだ判断軸
- 「長崎スタジアムシティ」——700億円のビジョンへの挑戦
- 高田旭人さんのこだわり
- 高田旭人さんゆかりの地
- 高田旭人さんから学ぶ、3つの教訓
- この記事で語りきれなかった『ジャパネットの経営』の魅力
- まとめ|高田旭人さんが教えてくれること
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高田旭人さんの基本プロフィール
| 氏名 | 高田旭人(たかた あきと) |
| 生年 | 1979年3月12日、長崎県佐世保市生まれ |
| 学歴 | 久留米大学附設中学・高校→東京大学教養学部(数理科学コース) |
| 経歴 | 野村證券(2002年)→アメリカ留学→ジャパネットたかた入社(2004年)→販売推進統括本部長・商品開発推進本部長などを歴任→副社長(2012年)→2015年1月、ジャパネットホールディングス代表取締役社長兼CEO就任 |
| 主な実績 | 社長就任から5年で売上高を約35%増(2019年12月期グループ連結売上高約2070億円・過去最高更新)。働き方改革の先進企業として注目。長崎スタジアムシティプロジェクト(700億円)推進 |
| 著書 | 『ジャパネットの経営』(日経BP) |
「カリスマ経営者の息子」という制約条件を受け入れて
旭人さんが入社した2004年、周囲からの視線はよく分かっていました。「東大卒の2代目か」「ジャパネットを潰すんじゃないだろうな」「お手並み拝見」。腹を割って話してくれるようになった幹部も、当時の本音はそんなところだったと後に明かしています。
「自分がきちんと結果を出せば、いつか自然に一人の経営者として認識されるときが来ると思っています」
この覚悟が、旭人さんの出発点でした。
父・髙田明は長崎県佐世保市でカメラ販売店を創業し、ラジオ通販、テレビ通販へとビジネスを拡大させた人物です。旭人さんが7歳のとき、「社長は『社員数×5倍』の人の生活を背負う。それだけ責任が重い」と話しかけてきた父の言葉を、今も覚えています。取引先への不満も社員の悪口も資金繰りの苦労も、一度も口にしなかった父の姿が、旭人さんの経営者としての原点になっています。
中学から親元を離れた旭人さんは、東大卒業後に野村証券に入り、アメリカ留学を経て25歳でジャパネットに入社しました。「幼い頃から旭人は後継ぎになることを意識していた。両親から頼まれたことは一度もないが、『お父さんの跡を継ぎたい』と自ら宣言した」——そう語られています。
「38対2の多数決」——父との直接対決
旭人さんが副社長になった2012年、ジャパネットはテレビ通販への依存から脱却しなければならない局面にありました。テレビの買い替え特需が消え、売上が伸び悩んでいたのです。
そのとき旭人さんが社員と考えた企画が「ジャパネットチャレンジデー」です。1商品を1日限り、午前0時から翌日の0時まで24時間、特別価格で販売する——テレビ、ラジオ、インターネット、カタログなど全媒体を総動員して1商品を売り尽くす一点集中作戦でした。
しかし父は猛反対しました。「大量の在庫が残ったらどうする。絶対にうまくいくはずがない」。
旭人さんはある会議の席上、出席した社員全員に問いかけます。「明社長はやりたくないと言うけれど、僕はやるべきだと思う。みんなどっち? 手を挙げて」。
全員が旭人さんに賛成するほうへ手を挙げました。
その光景を見て、父は「俺はもう知らん」と会議室を出て行きました。
最終的には「いいから好きにやれ」と父にしぶしぶ認めさせる形でスタートしたチャレンジデーは、大成功を収めます。この企画は今もジャパネットの看板企画として続いています。
「父は長嶋茂雄、僕は野村克也」——カリスマなき経営への転換
旭人さんが社長になって目指したのは、父とはまったく違う経営の形でした。
「自分は父のようにはなれない。みんなの先頭に立つことではないし、みんなを引っ張って何かを成し遂げることでもない。そうではなく、社員一人ひとりが自分の力で何かを達成できるようにすることが自分の役割」
本書『ジャパネットの経営』でこう語る旭人さんは、父をこう表現しています。「父は長嶋茂雄さんのような直感型の天才タイプ。それに対して自分が目指すべき方向性は野村克也さん、といったところではないかと思っています」。
長嶋型の経営はカリスマによる引力で組織が動きます。しかしその引力が失われたとき、組織は止まります。旭人さんが目指したのは「カリスマ一人に頼らない、社員一人ひとりが考えて動く組織」でした。
その確信を得たのは、コールセンターと物流センターの改革を通じてでした。「カリスマ経営者についていくだけの社員より、一人ひとりの社員が考え、自分の意思で動いたほうが何倍も成果が出る」——この仮説の正しさを、現場で証明した体験が旭人さんの経営の軸になっています。
「見つけて、磨いて、伝える」——ジャパネット3つの事業方針
本書『ジャパネットの経営』が丁寧に解説するのは、ジャパネットの事業の仕組みです。
ジャパネットの強さは3つの言葉に集約されます——「見つけて、磨いて、伝える」。
「見つける」とは、生活をより豊かにする商品を発掘し、メーカーと改良を重ねることです。家電の機能を改良する、梱包状態を見直す、説明書を読みやすくする——こうした地道な積み重ねが、ジャパネットにしかできない商品を生み出します。
「磨く」とは、購入後のサービスも含めた全体の体験を高めることです。ジャパネットは「自前主義」という事業方針を掲げ、コールセンター、設置サービス、アフターサービス、物流まで自前で手がけます。コールセンターのスタッフは自社の社員であり、修理対応も社内で行い、そこから得た改善提案が次の商品開発につながる循環を作っています。
「伝える」とは、複数の媒体を駆使して商品の価値を届けることです。テレビ、ラジオ、インターネット、カタログ——「チャネルミックス」と呼ぶこの複数媒体戦略が、チャレンジデーのような企画を可能にしています。
さらにジャパネットが大切にしているのが「厳選集中」という事業方針です。商品ラインナップをごく少数に絞り込むことで、一商品に対して圧倒的な力を集中させる。「テレビという媒体の勢いで売れているわけではなく、こうした地道な取り組みこそ、お客様に支持いただいている」と旭人さんは言います。
「安売り」と「お値打ち」を区別する——価格訴求からの脱却
2018年、ジャパネットは消費者庁から景品表示法に基づく措置命令を受けました。価格表示において問題があったとされたのです。
旭人さんはこの出来事を深く受け止めます。「いつからかジャパネットが価格訴求に走っていた。わざわざ『値引き』をうたう必要がないのに、値引き、値引きと言いすぎていた」。
価格訴求が楽な理由は明快です。「商品の特徴は勉強しないと話せませんが、値引きは金額を言うだけでいい」。
しかしジャパネットが大切にしてきたのは、なぜその価格を実現できたのかという「理由の伝達」です。例えばスティック型掃除機なら、なぜ高機能なのに価格を抑えられたのか——メーカーと交渉し、工場の暇な時期に生産してもらい、直接輸入することで流通コストをカットし、大量発注でコストを下げた。その一つひとつの理由を丁寧に伝えることが、ジャパネットの本来の姿です。
「なぜこの価格にできたのか、どうしてこれを3万円にしたかったのか、こだわりや想いをきちんと伝えていこう」——旭人さんはこの事件以降、制作部門のミーティングにも入り、「ものの良さを伝える」ことに改めて向き合っています。
「カリスマなき経営」への転換という点で共通する経営者もいます。
村上太一|リブセンス創業者が25歳で史上最年少上場を果たした「生きる意味」の経営
「楽して成果を上げる」——本気の働き方改革
旭人さんが社長就任後に力を入れたのが、働き方改革です。「楽して成果を上げる」と言い切るこの姿勢が特徴的です。
まず徹底したのは会議の削減でした。各部署の会議一覧を提出してもらって調べると、1つの部署あたり月に70〜80時間も会議をしていました。「1時間の会議に20人が参加していたら、会社全体で20時間を使っていることになる。この時間が有効に使われていなければあまりにもったいない」。
その結果、毎日の9時〜10時、12時〜14時、18時以降は会議禁止というルールを設けました。「やるべきこと」をやる時間がないのに「やったほうがいいこと」に時間を使っている人が多い——会議の多くは「やったほうがいいこと」の塊だという診断でした。
さらに週2日の残業禁止(水曜・金曜)、連続5日の休暇制度、連続10日の休暇制度、タニタ食堂メニューの社員食堂、社内での健康管理施設——旭人さんは矢継ぎ早に制度を整備します。
採用では自己紹介動画の導入も話題を呼びました。履歴書の書類審査ではなく、スマートフォンで「応募理由」と「最近ワクワクしたこと」を1分間話して送るというものです。「当社が大切にしているのは、表情や意欲、前向きさ。それを確認するために、わざわざ来社してもらわなくてもいいのでは」という発想から生まれた仕組みです。
「損得ではなく、正しいことをやる」——父から受け継いだ判断軸
2011年の東日本大震災のとき、父・髙田明は迷わず行動しました。急遽、チャリティ放送を行い、販売収益と義援金合わせて5億円以上を寄付。当時の売上高1500億円の会社が5億円を拠出するというのは、相当なインパクトのある数字でした。
「損得ではなく、正しいことをやる。そんな父の姿勢は、今も僕にとって大事な指針です」と旭人さんは本書で語っています。
コロナ禍でのクルーズ旅行対応も同様でした。2020年初頭に感染拡大が始まると、催行中止を発表する前にキャンセル料を受け取っていたお客様に全額返金。「そこまでしてくれるのはありがたい」「再開したら連絡してほしい」という声が7割を占めました。
旭人さんの判断基準はシンプルです。「お客様のためになるか、社員のためになるか。この2つの条件が満たされれば、ドリームキラーが何と言おうと、チャレンジします」。
「長崎スタジアムシティ」——700億円のビジョンへの挑戦
本書の終章で旭人さんが語るのは、ジャパネットの第2の柱となる「スポーツ・地域創生事業」です。
客席数2万3000を予定するサッカースタジアムを中心に、アリーナ、オフィス、商業施設などを備えた複合施設「長崎スタジアムシティプロジェクト」——投資額は700億円を超えます。
「長崎にそんなに人は集まらないよ」「会社の規模に対してリスクが高すぎないか」という声も当然あります。旭人さんはそれを「善意あるドリームキラー」と呼びます。その声の多くが「事実」であり「正論」——だからこそ、その声に従うほうが楽だということも分かっています。
しかし旭人さんはこう考えます。「長崎という場所が衰退していく姿を見て、日本中にも同じような自治体があることを考えると、お客様第一で改善を重ねるジャパネットこそがこの課題に本気でチャレンジすべきだ」。
「いい人材がいればとか、もっと資金があればとか、自分ではコントロールしにくい外部要因に文句を言い出せばきりがありません。どんな課題にも解決策は必ずある」——制約条件を言い訳にしないこの姿勢が、700億円の挑戦を決断させました。
高田旭人さんのこだわり
本書『ジャパネットの経営』を通じて、旭人さんという経営者の核心が見えてきます。
「てっぺんで何をしたいのか」を問い続ける——旭人さんが社員によく使う言葉です。目的と手段は階層構造になっており、売上を伸ばすことは手段であり、お客様を幸せにすることが目的。「数字を達成したいがために何かをごまかすとか、煽るようなことをお客様に言うのは間違っている」。最終的な目的に立ち返り続けることが、判断の軸を揺るがせない秘訣です。
「計画を立てる前に手を動かす」——課題が10個あるとき、優先順位を全部決める前にまず「大事だ」と感じた1つに手をつける。「ざっくり眺めて着手する。次にすぐ片づきそうな2つを片づける。3つ片づければ見通しがよくなっている」。壮大な計画を立て始める前に行動する——この姿勢が、社長就任からの5年間で売上35%増という結果につながっています。
「自分ではコントロールできない制約条件を受け入れる」——「社長の息子として生まれたからだ」「恵まれた経営環境で事業を引き継いでいるからだ」と言われることがあっても、それは自分ではどうしようもない制約条件だと旭人さんは割り切ります。「父が築いた経営基盤のおかげで早くからチャレンジできているのはありがたいと思って、その分努力すればいい」。受け入れてから動くというシンプルさが、批判に動じない強さを生んでいます。
高田旭人さんゆかりの地
長崎県佐世保市(ジャパネット本社・生まれ故郷):旭人さんが7歳のときに父が「たかた」を設立した地。通信販売の夜間注文が自宅に転送され、電話が鳴るたびにテレビの音量を下げていた少年時代の記憶が、旭人さんのジャパネット原体験です。本社では毎年クルーズ旅行客の見学ツアーを受け入れており、お客様との距離が近い経営文化の発信地でもあります。
東京(東京オフィス・事業変革の拠点):旭人さんが副社長時代に開設した東京オフィスは、バイヤーを6〜7人から20人に増員し、商品選定の権限を分散させた改革の象徴です。「明社長が今までしてきたことを代わってやるわけじゃない」と宣言した旭人さんが、カリスマ依存からの脱却を実践した場所でもあります。
長崎スタジアムシティ(2024年開業):旭人さんが「ジャパネットの第2の柱」として700億円を投じた複合スタジアム施設。「地域の衰退を見て、ジャパネットこそがこの課題にチャレンジすべきだ」という使命感から生まれた、旭人さんの経営者としての最大の決断です。
高田旭人さんから学ぶ、3つの教訓
1. 「カリスマの後継者」として生き抜く方法——自分の強みで戦う
「父は長嶋、僕は野村」というこの言葉は、自分の限界を認めた上で、自分の強みで戦うことへの宣言です。カリスマに対抗しようとするのではなく、「一人ひとりの社員が考えて動く組織」という別の軸で勝負する。前任者が偉大であればあるほど重要なのは、模倣ではなく自分なりの経営スタイルの確立です。「自分がきちんと結果を出せば、いつか一人の経営者として認識される」という確信を持ち続けることが、2代目経営者の精神的な支柱になります。
2. 「多数決で父に勝つ」——組織全体を動かすリーダーシップ
チャレンジデーで旭人さんが取った行動は、社員全員に問いかけて手を挙げさせるという方法でした。これは単純な多数決ではなく、「社員みんながジャパネットの未来を考えている」という事実を可視化した行為です。「カリスマ経営者についていくだけの社員より、一人ひとりの社員が考え自分の意思で動いたほうが何倍も成果が出る」という仮説を、父との直接対決の場面で実証したことが、その後の組織づくりへの確信になりました。
3. 「損得より正しいことをやる」——危機の時こそ原点に立ち返る
景品表示法の措置命令を受けたとき、旭人さんは単なる再発防止にとどまらず「なぜ価格訴求に流れてしまったか」という本質を問い直しました。コロナ禍のクルーズキャンセルでは、発表前に全額返金を決断しました。「損得ではなく、正しいことをやる」——父から受け継いだこの原則が、ジャパネットがピンチのたびに顧客の信頼を失わない理由です。正しさを基準にすることが、結果的に最も合理的な経営判断になるという逆説を、旭人さんは体現しています。
この記事で語りきれなかった『ジャパネットの経営』の魅力
本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、「父が社長を辞めると宣言した日」の話です。2012年12月、業績が低迷する中で父・髙田明は「来期、過去最高益136億円を更新できなければ社長を辞める」と公言。社内も取引先も騒然とします。2013年、東京オフィスと佐世保本社の「社内ライバル対決」が刺激となって業績が回復し、経常利益154億円と過去最高益を達成。父の「辞める」宣言はいったん白紙になりました。しかし同年末の忘年会で父は「社長を務めるのは長くてあと2年」と別途宣言。その後の話し合いを経て2015年1月に旭人さんへの引き継ぎが実現します。「不安もあったが、期待のほうが大きかったから、旭人に託した」という父の言葉が、この決断に重みを与えます。
二つ目は、「社員との『お悩み相談会』完全採録」です。会議での悩み、管理職になった不安、目的と手段の混同——社員の実際の悩みに旭人さんが直接答えるこの章は、経営者としての人柄が最も出ている部分です。「彼女をつくる」ことを「打席数×成功確率」に分解して説明するなど、数理科学専攻らしいロジカルな思考が随所に現れます。
三つ目は、「自社ジャパネットクイズ」の制度です。会社の取り組みや業績数字に関するクイズを定期的に社員に実施し、上位者には賞品が出る。人事評価には反映しないため、ゲーム感覚で全社員が楽しみながら会社への理解を深めています。強制せずに自発的な学習を引き出すこの仕組みは、「楽して成果を上げる」という旭人さんの経営哲学が組織制度にまで落とし込まれた好例です。
まとめ|高田旭人さんが教えてくれること
カリスマの後継者として会社を任されたとき、誰もが「前任者と自分を比べられる」という重圧を感じます。旭人さんはその重圧から逃げず、かつ模倣もせず、「野村克也型の経営」という自分なりの答えを出しました。
「見つけて、磨いて、伝える」というジャパネットの事業方針は、旭人さんが作ったものではありません。しかし旭人さんはそれを引き継ぎながら、「カリスマが伝えるのではなく、仕組みが伝える」という形に進化させました。
社長就任から9年、売上高はさらに伸び続けています。「父と比べられるのはいつか終わる。自分がきちんと結果を出せば」——その言葉通りの道を、旭人さんは歩んでいます。ぜひ手に取ってみてください。
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参考文献:高田旭人『ジャパネットの経営』(日経BP)
