この記事には広告を含む場合があります。
記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
2020年4月、新型コロナウイルスの猛威が世界へと広がり始めたころ、ツインバードの役員が東京・霞が関の厚生労働省を訪れました。
「これは大変なことが起きているぞ……私たちの『ディープフリーザー』がワクチン運搬庫としてコロナ対策に貢献できるに違いない」
ディープフリーザーとは、持ち運びできるコンパクトな冷凍庫です。マイナス40度の超低温まで精密に温度制御できながら、軽くて運びやすい。その核心技術は、ツインバードが1990年代後半から20年以上にわたって研究開発を続けてきた「フリー・ピストン・スターリング・クーラー(FPSC)」——ヘリウムガスをピストンで圧縮・膨張させて冷却するという最先端の冷凍エンジンです。
新型コロナワクチンの保管・運搬には、超低温での精密な温度管理が必要でした。ツインバードのディープフリーザーはその条件を満たす数少ない製品でした。国内での活用にとどまらず、東ティモールやモザンビークなどにも届けられ、陰ながら多くの人の命を救うことになりました。
新潟県燕三条の下請けメッキ工場から出発し、年商100億円を超える家電メーカーへ——。
本書『ツインバードのものづくり』は、その3代目社長・野水重明さんが、成長の軌跡と経営哲学を語り下ろした一冊です。「地方の中小企業でも世界で売れる商品を開発できる」という確信が、このスターリング冷凍機の物語によって証明されました。
目次 表示
- 野水重明さんの基本プロフィール
- 下請けメッキ工場から家電メーカーへ——3つの転換の物語
- 5期連続赤字、12億円の大赤字——それでも取引先は「大丈夫だよ」と言ってくれた
- 「コールセンターと開発部門を同じフロアに置く」——お客さまの声が製品になるまで
- 「リスクを冒さないことが最大のリスク」——20年投資し続けたスターリング冷凍機
- 燕三条という「町全体が工場」——100年来のエコシステム
- 「大手は巨大戦艦、ツインバードはジェットボート」——中小企業の強みを哲学にする
- 「心にささるものだけを。」——10年かけてたどり着いたブランドプロミス
- 野水重明さんのこだわり
- 野水重明さんゆかりの地
- 野水重明さんから学ぶ、3つの教訓
- この記事で語りきれなかった『ツインバードのものづくり』の魅力
- まとめ|野水重明さんが教えてくれること
- 関連記事
野水重明さんの基本プロフィール
| 氏名 | 野水重明(のみず のぶあき) |
| 役職 | 株式会社ツインバード 代表取締役社長 |
| 学歴 | 大学院で工学の博士号取得 |
| 経歴 | 大学院卒業後ツインバード入社→香港駐在→東京営業所で営業本部長→2011年(平成23年)3代目社長として事業承継 |
| 創業 | 1951年(昭和26年)、祖父が新潟県燕三条地域でメッキ加工業として創業 |
| 主な実績 | 下請け体質からの脱却、FPSC(スターリング冷凍機)事業の推進、新型コロナワクチン運搬庫の開発・供給、「心にささるものだけを。」ブランドプロミスの策定、国内製造回帰の断行 |
| 著書 | 『ツインバードのものづくり』(プレジデント社) |
下請けメッキ工場から家電メーカーへ——3つの転換の物語
ツインバードの歴史は、3つの大きな転換で成り立っています。
最初の転換は1962年(昭和37年)。野水さんの祖父が始めたメッキ加工の下請け業を、自社製品の開発へと切り替えたことです。「発注元の企業の業績をダイレクトに受けてしまう」という下請けの構造的な弱さに気づき、思い切って脱却を決断しました。はじめて手がけた自社製品はフライパン。冠婚葬祭用のギフト向け金属トレーには1000万枚以上を売り上げたヒット商品も生まれました。
2つ目の転換は、家電製品への参入です。冠婚葬祭用ギフト商品を取り扱う取引先から「毎年同じものだとお客さまが飽きてしまうので、家電製品をつくってほしい」という要望が届きます。家電の経験はゼロでしたが、苦労の末に卓上照明を開発。それが入り口となり、防水ラジオ、多機能ランタン、そして家庭用コンセントから電源を取る一般的な家電製品へと事業を広げていきました。
3つ目の転換が、野水さん自身が担った事業承継後の変革です。中国への生産委託が9割にまで膨らんでいた体制を、国内製造中心へと回帰させ、「製品開発とユーザーコミュニケーションの両輪を回して差別化を図る」戦略へと転換します。
本書『ツインバードのものづくり』が描くのは、この3つの転換と、燕三条という土地が持つ底力の物語です。
5期連続赤字、12億円の大赤字——それでも取引先は「大丈夫だよ」と言ってくれた
野水さんが事業を承継する前、ツインバードは経営の危機にありました。2006年度までの5期連続最終赤字。スターリング冷凍機事業への先行投資の減損処理を含め、最終年には12億円の大赤字を計上します。
金融機関からの追加融資が受けられなくなり、運転資金が干上がっていきました。
当時、東京営業所で営業本部長を務めていた野水さんの主な仕事は、大赤字の決算書をカバンに入れて取引先を回り、事情を説明することでした。「相当なお叱りを受けるだろうな」と覚悟しながら訪問すると、取引先の経営者たちはこう言いました。
「野水くんのところには長年お世話になっているから。会社は良いときもあれば、悪いときもあるんだから、全然大丈夫だよ」
取引を止めると言ってきた会社は1社もありませんでした。
「もしも取引先が同じような決算書を持ってきたら、自分は『大丈夫』と言えるだろうか。今でも自信はありません。本当に取引先には感謝しています」——野水さんは本書でそう振り返っています。
この危機をキャッシュ捻出と必死の信用維持で乗り越えた経験が、野水さんの経営の根幹にある「人への信頼」の源となっています。
こうした逆境からの立て直しは、野水さんだけの話ではありません。他の経営者の事例もあわせて見ることで、より深く理解が深まります。
「コールセンターと開発部門を同じフロアに置く」——お客さまの声が製品になるまで
ツインバードの製品開発の出発点は、すべてお客さまの声です。
本社内のコールセンターと企画開発部門は、同じフロアの隣同士に置かれています。1日300件のお客さまの声が、その日のうちに開発部門にフィードバックされる仕組みです。
全社員約300人のうち、企画・開発スタッフは約70人——全体の約20%を占めます。家電メーカーとしては驚くべき比率で、一般的に10%でも「開発に力を入れている会社」とされる業界で、その2倍の体制をとっています。
さらに特徴的なのは、企画・開発スタッフが定期的に家電量販店の店頭に立って販売応援をすることです。「お客さまの生の声を企画・開発にダイレクトにフィードバックできる貴重な機会」として、開発者自らが現場に立ちます。
野水さんが本書で語る重要な観察があります。「店頭でお客さまの予算が上がることはない。2万円のご予算で来た方が、3万円の商品を買われることはまずありません。こうしたお客さまの行動の傾向も、店頭に立つとわかるようになります」。
「金の卵」はコールセンターから生まれる——野水さんがそう言うのは、量販店や見本市などの現場で集めたお客さまの不満や要望が、次のヒット商品の種になっているからです。
「リスクを冒さないことが最大のリスク」——20年投資し続けたスターリング冷凍機
ツインバードが業界で「リアル下町ロケット」と呼ばれる理由は、スターリング冷凍機にあります。
この技術への投資を始めたのは1990年代後半。宇宙開発にも使われる精密な冷却技術で、コンプレッサーを使う一般的な冷凍機とは根本的に異なる仕組みです。しかし、商業化まで20年以上かかりました。その間、会計上の減損処理が5期連続赤字の一因にもなりました。
「リスクを冒さないことが最大のリスクだ」——野水さんはそう言います。
2020年の新型コロナウイルス禍で、この20年間の投資が一気に花開きます。マイナス40度の超低温と持ち運びやすさを両立したディープフリーザーが、ワクチン運搬庫として世界中で求められたのです。1万台を4カ月で納品するという前代未聞の受注にも、燕三条地域の協力企業との連携で応えました。
「地方の中小企業でも世界で売れる商品を開発できることを証明した」——野水さんはこの出来事をそう位置づけています。
同じく「誰も真似できない技術に20年投資する」という信念で独自の世界を切り開いた経営者もいます。
燕三条という「町全体が工場」——100年来のエコシステム
ツインバードのものづくりを語るとき、燕三条という地域は切り離せません。
江戸時代の和釘づくりから始まり、金属加工の町として発展してきた燕三条地域。スプーンやフォーク、包丁といった精密で小さなものをつくる技術が世界水準で集積しています。「燕三条でつくれないものはない」と豪語する人がいるほどです。
野水さんの祖父は、東京・五反田で丁稚奉公した後、太平洋戦争の疎開で新潟に戻り、終戦後にメッキ屋を始めました。当時、新潟県内でも有数の腕を持つメッキ屋として認められていたといいます。
本書『ツインバードのものづくり』で野水さんが繰り返すのは、協力企業を「下請け企業」と呼ばないということです。
「ツインバードもかつては下請け企業だったので気持ちがわかるのですが、どちらが上とか下とかの上下関係は必要ないのです」
プレス加工はA社、表面研磨はB社、金属材料はC商事——役割分担が代々引き継がれ、お父さんやおじいさんの代から顔を知り合っている関係が、100年以上のエコシステムを形成しています。「だから裏切れません。父親や祖父の顔に泥を塗れません」という言葉が、この関係の本質を表しています。
ツインバードはApple製品の金属ボディ研磨で世界的に認められた企業とも取引があります。FPSC用の部品製造には常時20〜30社の協力企業が関わっています。「町中が工場」という感覚で、資本関係のない信頼だけで動く燕三条のものづくりが、ツインバードの競争力の源泉です。
「大手は巨大戦艦、ツインバードはジェットボート」——中小企業の強みを哲学にする
本書『ツインバードのものづくり』で野水さんが鋭く分析するのは、なぜ大手家電メーカーが苦境に立たされているかという問いです。
大手は巨大工場と中央研究所を持ち、膨大な固定費を抱えています。工場が撤退すれば政治問題になるほど地域経済を担い、一度走り出したら止まれない。「巨大戦艦は急には曲がれない」のです。
「これに対して、ツインバードはジェットボートです。自分たちで舵を切れます。自分たちで推進エンジンを持っています。世の中の先を見通しながら、タイムリーに、スピーディーに、外部環境の変化に適応していく力がツインバードは強い」
中央研究所はない。巨大工場もない。だから固定費が低く、自由度が高い。燕三条地域の協力企業が町全体で工場の役割を担うから、資本を使わずに機動力を持てる。「なんでもつくっちゃうぜ」「任せとけよ」という心意気でしなやかに変化に対応できる——これが野水さんの描くツインバードの強みの構造です。
「近年は『多様性の時代』『個の時代』といわれます。もしかすると、時代のほうが燕三条地域、そしてツインバードのものづくりに後から付いてきたのかもしれません」という言葉に、野水さんの確信の深さが見えます。
「心にささるものだけを。」——10年かけてたどり着いたブランドプロミス
事業承継から10年間、野水さんが解けなかった問いがありました。自分たちの会社の存在意義はなんなのか。社員たちと考え抜き、大手広告会社の協力も得て、試行錯誤を重ねた末に生まれたブランドプロミスが、この一文です。
「心にささるものだけを。」
大量生産・大量販売の時代から、精神的に豊かな生活を求める時代へ——お客さまの「不」やニーズを徹底的に理解して、絞り込んだ機能と美しいデザインで解決策を提供する。本当に暮らしを豊かにするものだけをお届けする、という宣言です。
このリブランディングには、ロゴを変えることも含まれていました。70年間使い続けてきたスカイブルーのロゴを、ツバメの羽の色でもある「普遍の黒」に変更。書体も刷新しました。「海外に出ても当たり負けしない力強さ」を表現したというアートディレクターの言葉に、野水さんは最初ピンと来なかったものの、説明を聞いて納得したといいます。
ブランドプロミスの策定と並行して、野水さんは社員一人ひとりとの対話に徹しました。課単位の4〜10人グループと2時間ずつ話し合い、中期経営計画の本質を説明し、質問に答え続けました。「社長が1000本ノックを受けた」と本書に記されています。
野水重明さんのこだわり
本書『ツインバードのものづくり』を通じて、野水さんという経営者の核心が浮かびあがります。
「下請け企業というのは存在しない」——ツインバードと協力企業は「信頼できるビジネスパートナー」であり、上下関係はない。これは単なるきれいごとではなく、ツインバード自身がかつて下請けだった経験と、100年以上のエコシステムを支えてきた燕三条の文化への敬意から来ています。「値切ってはいけない」「下請け企業だと思って接するな」——これが代々受け継がれてきた言葉です。
「1人じゃないよ、課題解決はみんなでやっていこう」——開発スタッフが重圧に打ち勝てる理由として野水さんが挙げるのは、部門を超えたチームワークです。課長が解決できない課題は本部長へ、本部長でも無理なら社長へ。「社長に上がってきた課題で解決できないものはない」という言葉には、経営者としての覚悟が込められています。
「アフターコロナへ積極チャレンジ」——本書のおわりには、「1000回はうなされた悪夢」「挫折と克服の繰り返し」という章タイトルが並びます。事業承継の苦労を正直に語りながら、「社長の会社」から「私たちの会社」へという変革を描く姿勢に、野水さんの経営の誠実さが表れています。
野水重明さんゆかりの地
新潟県燕三条(ツインバード本社・創業の地):江戸時代の和釘づくりから続く金属加工の町。「日本一社長が多い町」ともいわれ、ツインバードはこの地域の協力企業と一体となってものづくりを続けています。野水さんの祖父が1951年にメッキ屋として創業した場所であり、スターリング冷凍機という世界的な技術が育まれた土地でもあります。
東京・日本橋(ゲートオフィス):ツインバードが東京に持つ自社ビル。広報の拠点として機能し、メディアやパートナー企業との接点になっています。「こだわりのビルと製品が人を呼び寄せる」とされるこの拠点は、地方メーカーが東京に発信力を持つための戦略的な投資でもありました。
東ティモール・モザンビークなど(スターリング冷凍機の届いた地):JICAの無償資金支援プログラムに採用されたツインバードのスターリング冷凍機は、新型コロナワクチンの運搬庫として、アフリカや東南アジアの開発途上国にも届けられました。新潟の燕三条からつくられた製品が、地球の裏側で命をつないでいます。
野水重明さんから学ぶ、3つの教訓
1. 「リスクを冒さないことが最大のリスク」——20年の投資が実を結ぶまで待てるか
スターリング冷凍機への投資は、会計上の減損として5期連続赤字の一因になりました。それでも投資を続けたからこそ、コロナ禍というまさかの場面で世界から必要とされる製品になりました。「リスクを冒さないことが最大のリスク」という言葉は、短期の数字を優先する経営への静かな警告です。信念を持って長期投資を続けることの難しさと重要さを、ツインバードのスターリング冷凍機の20年が証明しています。
2. 「大手にできないことを、中小企業はできる」——自分たちの強みを哲学にせよ
大手は巨大戦艦で急には曲がれない。ツインバードはジェットボートで舵を自分で切れる。この比喩は単なる自慰ではなく、明確な戦略の裏付けがあります。固定費を低く保ち、燕三条の協力企業をエコシステムとして活用し、開発スタッフ20%という体制でお客さまの声に素早く応える——自分たちの規模と立地を強みとして設計した経営モデルが、大手が苦境に立つ時代に輝きを増しています。
3. 「お客さまと私たちは常に一対の鳥でありたい」——ブランドの本質は関係性にある
ツインバード(Twinbird)という社名は、「一対の鳥」を意味します。お客さまと共に飛ぶ存在でありたいという創業以来の思いが、「心にささるものだけを。」というブランドプロミスに結実しました。10年かけて言語化したこのプロミスは、コールセンターとお客さまの声、開発スタッフの熱意、燕三条の職人魂——すべてをつなぐ言葉です。ブランドとは広告ではなく、日々の行動の積み重ねだということを、ツインバードの歴史は示しています。
この記事で語りきれなかった『ツインバードのものづくり』の魅力
本書には、まだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、「ブランパンメーカー」の共創開発の話です。糖質を気にしながらパンが食べたいという野水さん自身の悩みが起点となり、福岡の製粉会社との共創で「ブランパン専用モード搭載のホームベーカリー」が誕生しました。「お客さまを起点にする」という哲学が、社長自身の「不」から始まる製品開発として体現された事例です。
二つ目は、「なんのためらいもなく社外に解を求める」というオープンイノベーションの姿勢です。東京大学の教授、コーヒー界のレジェンド、製粉会社、大手広告会社——ツインバードは自社内に技術やノウハウがなければ謙虚に外部に求めます。「変なプライドは私たちにはありません。最優先にしているのはお客さまの『不』の解消。それに比べれば、自社内に技術があるかどうかはものの数ではありません」という言葉に、この哲学の本質があります。
三つ目は、「若手の失敗に『ナイスチャレンジ!』と言える会社」という組織文化の話です。開発スタッフがチャレンジを恐れずにいられる理由として、失敗を責めずに次への糧にする文化が挙げられています。デザイナーとエンジニアがしのぎを削りながら、「美しい」製品と「機能する」製品を同時に実現しようとする醍醐味——そこにツインバードの開発現場の熱量があります。
📚 [ツインバードのものづくり(プレジデント社)を読んでみる]
まとめ|野水重明さんが教えてくれること
新潟県燕三条の下請けメッキ工場が、コロナワクチンを世界に届ける冷凍機をつくるメーカーになるまで70年。
その道のりには、5期連続赤字があり、20年間の先行投資があり、取引先が「大丈夫だよ」と言ってくれた夜がありました。
野水さんがこの本で語るのは、製品開発の技術論ではありません。「心にささるものだけを。」という、お客さまとの約束の重さ。協力企業を「下請け」と呼ばない姿勢。燕三条という地域への誇りと感謝。そして、中小企業であることを言い訳にせず、むしろ強みとして哲学に変える姿勢です。
「今の時代は地方の中小企業でもグローバルに活躍できる可能性が大いにある」——この一言に、野水さんのものづくりへの確信が凝縮されています。ぜひ手に取ってみてください。
関連記事
→ 同じく「技術への長期投資」で前例のないものを作り続けた創業者
→ 「お客さまの声を起点にした製品開発」を徹底した経営者
→ 多くの成功者に共通する挫折と立て直しのパターン
参考文献:野水重明『ツインバードのものづくり』(プレジデント社)
