ビジネスの教訓や気づきを得られる社長本まとめ

見城徹さん|「憂鬱でなければ、仕事じゃない」幻冬舎を一代で築いた熱狂の編集哲学7選

見城徹さん|幻冬舎代表取締役の編集哲学

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」「圧倒的努力は岩をも通す」「ヒンシュクはカネを出してでも買え」——。

これらは、幻冬舎代表取締役社長・見城徹さんの言葉です。42歳で角川書店を辞め、たった6人で幻冬舎を立ち上げた。創業初年度から尾崎豊、五木寛之、石原慎太郎、村上龍——日本を代表する作家たちの本を次々とミリオンセラーにし、「文芸元年」と呼ばれた。

しかしその道のりは、ひとこと「熱狂」という言葉に凝縮されます。


見城さんは1950年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。少年時代は孤独で、友達がおらず、本だけが唯一の友でした。廣済堂出版に入社1年目で30万部のベストセラーを生み出し、角川書店に移籍後は17年間ダントツで社内売上トップを驀進。42歳で幻冬舎を創業し、以来30年間にわたって日本の出版界に圧倒的な足跡を刻み続けています。

著書『たった一人の熱狂』をもとに、その仕事哲学を7つのポイントで解説します。


見城徹さんの基本プロフィール

項目内容
氏名見城徹(けんじょう とおる)
生年1950年(静岡県清水市)
学歴静岡県立清水東高校→静岡大学人文学部
創業1993年(幻冬舎)、42歳
業種出版業(編集・経営)
趣味トレーニング(週5回・都内5か所のジム)、ゴルフ、麻雀、絵画鑑賞、ワイン
こだわり毎朝5時半起床、365日夜は会食、二次会は原則行かない
座右の言葉「憂鬱でなければ、仕事じゃない」「圧倒的努力は岩をも通す」
ゆかりの地静岡県清水市(故郷)、新宿ゴールデン街(青春の地)、ハワイ・ワイキキ
敬愛する人角川春樹さん(師匠)、中上健次(作家)、村上龍(盟友)

孤独な少年が本に出会った日

見城さんは少年時代、感受性が人より鋭すぎるがゆえに孤立していました。他人に想像力を働かせながら振る舞っているのに、相手は理解してくれない。「誰も僕のことを解ってくれない」という寂しさと切なさを常に抱えていた。

そんな少年に、本だけが友だちでした。ジュール・ヴェルヌ、ドリトル先生、五木寛之、高橋和巳、司馬遼太郎——。飯もトイレの時間も惜しむほど読書に入れ上げた少年時代が、「見城徹」という人格を形成しました。

高校2年生の夏休みに五味川純平の『人間の條件』全6巻を2日間で読み切り、「お前はこのままでいいのか」と頭を殴られたような衝撃を受けたのも、この時代のことです。

本だけが友だちだったから、編集者になったのは必然でした。 「天職と出会いたいなら、自分の内なる声に耳を澄まさなければ駄目だ。自分を痛めながら何かに入れ上げる。生き方の集積が全てを決めるのだ」——これが見城さんの天職論の原点です。


経営哲学①|なぜ仕事に熱狂するのか——死の虚しさを紛らわせるため

「なぜそこまで仕事に熱狂できるのか」という問いに、見城さんは明快に答えます。

「死の虚しさを紛らわせるためだ」と。

7〜8歳の頃から「自分はいつか必ず死ぬのだ」とはっきり自覚していた見城さん。近所のおばさんが亡くなったと聞いた時、一日中泣いたのはおばさんが悲しかったからではない。「自分の命には限りがある」と気づき、虚しくてたまらなくなったからです。

生の虚しさを紛らわせる要素は、①仕事②恋愛③友情④家族⑤金の5つしかない。見城さんはこの5つに熱狂しながら生きてきました。

「スリリングでエキサイティングで、気分がワクワクする仕事をしていたい。労働によって、誰も見たことのない価値を創造する。そんな仕事を常にやっていなければ、僕は気が済まない」

この「死の虚しさを紛らわす」という動機は、一見暗く聞こえますが、実は仕事への熱狂の純粋な源泉です。2億円の宝くじが当たってもすぐリタイアするなど考えられない、と見城さんは言い切ります。


経営哲学②|圧倒的努力——結果が出ない努力に意味はない

「これほどの努力を、人は運と言う」——これが見城さんの口癖です。

ベストセラーが出ると「運がいいですね」と言われる。そんな時、見城さんは「おかげさまで運がいいんですよ」と答えながら心の中で舌打ちする。「俺はあんたの100倍血を流し、努力しているのだ」と。

若い頃、五木寛之さんと仕事をしたくて25通もの手紙を書き続けました。しかも通り一遍の感想ではなく、作家にとって新しい発見と刺激が書き込まれた手紙を。五木さんの新しい原稿が発表されるたびに5日以内に必ず感想を送ると決めた。結果、五木さんから50万部のヒットを引き出しました。

石原慎太郎さんには50本のバラの花束を持参し、さらに『太陽の季節』を目の前で全文暗誦しようとした。石原さんは「わかった。もういい。お前とは仕事をするよ」と言ってくれた。

「できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決する」——これが見城さんの圧倒的努力論です。


経営哲学③|自己検証・自己嫌悪・自己否定なき所に成長なし

「あなたの一番のセールスポイントは何ですか」と聞かれると、見城さんは「自己嫌悪です」と答えます。

「月刊カドカワ」編集長だった頃、見城さんは自分が「駄目になっている」と気づきました。コンサートや芝居を観に行かなくなる。面倒くさい企画に顔を出さなくなる。以前は石原慎太郎の著作を丸暗記し、25通の手紙を書いていた自分が、惰性に流れている。

「自分は駄目になっている」と自覚できる人間こそが成長できる。会食の席で、末席の人に一度も声をかけられなかった時、見城さんは帰りの車の中から自己嫌悪に陥り、ベッドに入っても自己嫌悪は続きます。その苦しみをエネルギーに変えて翌日動くのです。

自己検証・自己嫌悪・自己否定——この3つを常に自分に課し続けることが、60代半ばを過ぎた今も「進化し続ける見城徹」を支えています。

見城さんがこの3つを怠ることは、「生きている価値がない」とすら言い切ります。


経営哲学④|売れない本に価値はない——大衆への誠実さ

「これは売れなかったがいい本だ」という言い訳は絶対にやめようと、見城さんは若い頃から決めていました。

売れる本は良い本だ——これは見城さんの強固な信念です。大衆の欲望を鋭敏にとらえた本だからこそ、多くの読者に支持されてたくさん売れる。大衆は愚かではない。大衆の支持によって数字を弾き出すコンテンツは、おしなべて優れている。愚かなのは、数字を曖昧にして自分の敗北を認めない表現者や出版社の方だ、と。

同じことはテレビの視聴率にも言えます。「視聴率を取らなくても骨太なドキュメンタリーを作るのがオレたちの仕事だ」と居直るテレビマンばかりでは、テレビ局全体が沈没する。まずは売れる本を作って利益を上げる。だからこそ、採算度外視の骨太な作品にも予算を回せる。

「売れることこそ最大の評価である。大衆への誠実さこそが、部数という数字になって返ってくる」——これが見城さんの出版哲学の核心です。


経営哲学⑤|GNO(義理・人情・恩返し)を死守せよ

見城さんが仕事と人間関係において最も重視するのが「GNO」——義理、人情、恩返しです。

矢沢永吉の文庫本『成りあがり』を角川書店に持ってこようとした時、業界の常識では集英社で文庫化するに決まっていた。しかし角川春樹社長との信頼関係を死守すると心に決めていた見城さんは、「わかりました」と即答し正面突破で交渉。結果、100万部のミリオンセラーになりました。

「心に決めた人を裏切るな」——これがGNOの本質です。

盟友・村上龍とは40年以上固い友情を保ってきた。お互いに義理と人情と恩返しを大事にしながら、依存関係に陥らない。「俺は作家としてお前のために原稿を書く。お前も編集者として俺を刺激してくれよな」という精神的な関係で切磋琢磨してきました。

「GNOをごまかしたか、ごまかさなかったかは、自分が一番よく知っている。GNOに生きるのは疲れるが、同時に清々しい」——見城さんはそう語ります。


経営哲学⑥|幻冬舎創業——師匠への義理が起業の動機

「幻冬舎を起業したのは、角川書店を辞めるためだった」と見城さんは言います。

角川春樹社長がコカイン疑惑事件を起こし、逮捕2日前に取締役全員で辞任要求を決議することになりました。春樹さんと文字どおり寝食をともにし、春樹さんに育てられた見城さんも、取締役として辞任に賛成の一票を投じました。

長年世話になった恩師に弓を引きながら、自分だけがのうのうと会社に居座るわけにはいかない。筋を通すために、見城さんは角川書店を辞めることにしました。

「自ら望んで起業したわけではない。角川書店を辞めなければ、僕の中で人間としての筋道が通らなかった。でもその筋を通したおかげで、今の僕がある。起業とはそういうものだ」

20人以上の社員が「一緒に辞めます」と言ったが、5人に絞った。たった6人で幻冬舎は「文芸元年」を宣言し、1994年の創業初年度から圧倒的な結果を出していきます。

「今の自分に否定形のNOを言い続けるために幻冬舎は設立された」——創業時の「闘争宣言」にあるこの言葉が、すべてを物語っています。


経営哲学⑦|「理念なんかいらない」——熱狂と覚悟だけが戦場を生き延びる

「世の中を良くしたい」「社会貢献をしたい」と高邁な理念を口にする起業家に、見城さんは辛辣です。「理念などあと付けで作ったって構わない」と言い切ります。

起業家に理念なんて必要ない。「この仕事なら自分は無我夢中で働ける」という仕事に懸命に取り組む。圧倒的努力を費やし、結果を出す。結果が出た時に初めて「実はあの時、僕はこういう理念を持っていたんですよ」と言うくらいでちょうどいい。

ビジネスは戦争である。武装せず丸腰で「理念のために戦う」と宣言しても、戦場であっという間に潰されてしまう。儲かることは善だ。金を儲けて結果を出した段階で、初めて理念を訥々と口にすればいい。

幻冬舎の経営も同様。金の「入り」と「出」に目を光らせ、できるだけ人を採用しない。この2つのシンプルなルールだけで、創業から少数精鋭の幻冬舎は毎年ミリオンセラーを輩出し続けてきました。


見城さんの失敗談|尾崎豊との仕事

見城さんが「駄目になっていた」と感じていた時期があります。

無期限活動休止と覚醒剤事件で全てを失った尾崎豊と再会した時、見城さんはそれを「駄目になった自分をもう一度叩き直す好機」と捉えました。

「これだけ駄目になってしまった尾崎を復活させるためには、並大抵の努力では足りない。尾崎の再生に、編集者・見城徹の復活をも賭けた」

しかし尾崎は1992年4月に路上で倒れているところを発見され、26歳という若さで亡くなりました。見城さんはその後、この喪失を抱えながら幻冬舎を立ち上げていきます。

尾崎との仕事を通じて再び取り戻した「ひりついた自分」——それが幻冬舎創業の熱狂の源泉でもありました。


見城さんのこだわりグッズ

手帳:1日に10回は広げます。ToDoリスト、感動したセリフ、改善すべき点を書き込み、用事が済んだら赤いボールペンで線を引いて消す。夜はベッドで手帳を広げながら1日を反省し、1時間が経過するほど使い込みます。「1日の終わりは毎日が後悔だ」という見城さんの生き方そのものを体現する道具です。

都内5か所のジム会員証:「3日連続でジムに行けないと、気分がとたんに落ち込んでしまう」というほどのトレーニング中毒。週5回を目標とし、「No pain, No gain(痛みのないところに前進はない)」と独り言を呟きながら自分を鼓舞します。「トレーニングは絶対に裏切らない」——この確信が、仕事への熱狂を支えています。


見城さんゆかりの地

静岡県清水市(現・静岡市清水区):見城さんが生まれ育った故郷。「断じて静岡市清水区ではない」と強くこだわるほど、清水市への愛着は深い。「最後は清水で密かに死に、清水と大好きなハワイのワイキキの海に散骨してもらいたい」と語っています。墓も戒名も葬式も不要と言い切るほど、死生観が鮮明な人です。

東京都新宿・ゴールデン街:20代の頃、中上健次と毎日のように酒を飲み歩いた青春の地。朝まで飲み明かし、作家と編集者の間に生まれる緊張感と信頼関係を身体で学んだ場所。30代には坂本龍一と毎晩のように徹夜で飲んでいたといいます。


見城さんから学ぶ、経営者への3つの教訓

1. 天職は「入れ上げる」ことで見つかる 職を転々としながら漠然と天職を探しても巡り会えない。自分を痛めながら何かに入れ上げる。その生き方の集積が天職を決める。見城さんが編集者になったのは、少年時代に本に入れ上げた必然の結果でした。

2. 自己嫌悪こそが最大のエンジン 地位を得れば得るほど、人間は慢心します。しかし「自分は駄目になっている」と自覚し、自己検証・自己嫌悪・自己否定を続ける者だけが永遠に成長できる。安全地帯でモノを言っても誰の胸も打たない——身を切り血を流してこそ、自分というブランドが確立されます。

3. 結果が出たら即座にゼロに戻せ 大きな成功を収めた時こそ危険。成功に寄りかかっていれば縮小再生産になる。見城さんは大型プロジェクトが終わると、自らゼロの地平に一人で舞い戻ります。「ひりついていたいから」——この言葉が、30年間熱狂し続ける秘密です。


この記事で語りきれなかった見城さんの魅力

著書『たった一人の熱狂』には、まだまだ紹介しきれないエピソードが詰まっています。

たとえば、幻冬舎文庫のキャンペーンのために女優・井上晴美をスキンヘッドにしてオールヌードで撮影した新聞全面広告の話。「ヒンシュクはカネを出してでも買え!」というキャッチコピーとともに話題をさらい、テレビが取り上げた。「悪名は無名に勝る」という哲学の実践です。

また、「癒着」という言葉への独特の愛着。「癒着なしにこの仕事はできない」と言い切る見城さんの、作家・タレント・政財界の重鎮との関係論は、単なる人脈論を超えた深みがあります。

さらに、「一撃必殺のキラーカード」論。キラーカードを握るためには、人の何倍もの努力を積み重ねなければならない——その具体的な体験談として語られる廣済堂出版時代の「公文式算数の秘密」30万部の話は、編集者としての見城さんの原点です。

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まとめ|見城徹さんが教えてくれること

孤独な少年が本に救われ、編集者という天職に殉じ、42歳でゼロから出版社を立ち上げた。

30年後の今も、見城さんは毎日自己嫌悪に陥り、毎朝5時半に起き、週5回ジムで身体を痛めつけ、365日夜は会食し、寝る前に手帳で1日を反省します。

「たった一人の孤独な熱狂——自分の感覚や感動の源泉を信じ、人の100倍も不安に怯えながら、苦痛を糧として仕事をする」

見城さんが教えてくれるのは、仕事の方法論ではありません。「死の虚しさを紛らわせるほど何かに熱狂できているか」という、生き方への根本的な問いです。


参考文献:見城徹『たった一人の熱狂——仕事と人生に効く51の言葉』(幻冬舎文庫、2016年)