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「こんなものは売れないだろう」
それが、役員のほぼ全員の正直な感想でした。
2007年。キングジムの開発会議に出てきた提案は、テキスト入力だけに特化した小型端末でした。インターネットにはつながらない。メールの送受信もできない。音楽も聴けない。iPhoneが登場しようとしているタイミングで、文章を打つことしかできない機械を出す——その判断を、役員たちは理解できませんでした。
ところが、社外取締役の大学教授が口を開きました。
「これ、いいんじゃないかな。自分はこういう商品を待っていた」
教授は論文や著書の執筆のために、新幹線の移動中にノートパソコンを開いていました。重く、かさばり、電池は短い。文章を書くためだけにパソコンを持ち歩くことへのストレスを、ずっと抱えていたのです。「もし、こんな商品があれば、いくら出しても買う」とまで言いました。
その一言を聞いて、キングジム社長の宮本彰さんは「なるほど」と思いました。
「ひとりでも欲しいというなら、商品化してみよう」
宮本さんはGOサインを出しました。
2008年10月、「ポメラ」が発表されます。翌日にはヤフー検索トップ10入り。発売から3週間で初回ロットが完売。その後、累計30万台以上を売り上げるヒット商品に育ちました。
本書『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』は、「テプラ」「ポメラ」「ショットノート」など時代を席巻した文具を次々と生み出してきたキングジムの商品哲学を、宮本さん自らが語った一冊です。「なぜ売れるかどうかわからない商品をGOにするのか」「なぜ万人受けを狙わないのか」——その問いへの答えが、ここに詰まっています。
目次 表示
- 宮本彰さんの基本プロフィール
- 「切抜式人名簿」から始まった会社——創業者の遺伝子
- 「テプラ」が来るまでの10年——暗黒の時代を知っているから前に進める
- 「ポメラニアン」が生まれた日——ネット口コミが起こした革命
- 「10打数1安打」を目標に——失敗を糧にする思考法
- 「枯れた技術」を使いこなす——自前開発しないのがキングジム流
- 「サクセスストーリーを描けるか」——GOとNOを分ける唯一の基準
- 宮本彰さんのこだわり
- 宮本彰さんゆかりの地
- 宮本彰さんから学ぶ、3つの教訓
- この記事で語りきれなかった『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』の魅力
- まとめ|宮本彰さんが教えてくれること
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宮本彰さんの基本プロフィール
| 氏名 | 宮本彰(みやもと あきら) |
| 役職 | キングジム株式会社 代表取締役社長 |
| 入社 | 1977年 |
| 出自 | 創業者・宮本英太郎の孫にあたる。キングジムは1927年に英太郎が「切抜式人名簿」を発明したことに始まる |
| 主な実績 | テプラ(1988年発売)、ポメラ(2008年)、ショットノート(2011年)など電子文具の連続ヒットを実現。開発部門の平均年齢33歳、約40名の若い組織でオリジナリティあふれる文具を生み出し続ける |
| 著書 | 『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』(河出書房新社) |
「切抜式人名簿」から始まった会社——創業者の遺伝子
キングジムが「堅い老舗メーカー」から「ユニークな電子文具メーカー」に変わったように見えるのは、表面だけです。宮本さんは本書でこう語っています。「本当は、創業時代の精神が脈々と息づいているのです」。
創業者の宮本英太郎——宮本さんの祖父——は、和歌山生まれで大阪の材木商に丁稚奉公に出た人物でした。いつも「こうしたらもっと便利になるのではないか」を考え続ける、いわゆる「町の発明家」でした。
ある日、英太郎は材木商の顧客名簿をめくりながら考えます。「得意先から送られてくる葉書や封筒の住所と社名が、ほとんど同じ大きさだ。その部分を切り取って台紙に差し込めば、名簿になるのではないか。書き写す必要もなく、並べ替えも簡単だ」——こうして「切抜式人名簿」が誕生しました。
大福帳に書き付けて保存していた時代に、まさに画期的な発明でした。得意先がこぞって欲しがり、英太郎は材木商をやめて文房具の製造販売を始めます。それが1927年、キングジムの始まりです。
「独創的な商品を開発し、新たな文化の創造をもって社会に貢献する」——この経営理念は、創業から100年近く変わっていません。パイプ式ファイルも、両開きファイルも、世界で最初に発明したのはキングジムです。「堅い文具メーカー」に見えていたのは、その革新性が見えていなかっただけでした。
「テプラ」が来るまでの10年——暗黒の時代を知っているから前に進める
宮本さんが1977年に入社したとき、キングジムはまだ「キングファイル」のメーカーでした。社長は「次の柱が欲しい」と言い続けていましたが、ヒット商品はなかなか生まれませんでした。
そこで宮本さんは、日本経済新聞社の「ヒット商品番付」を研究し始めます。横綱から前頭まで一つひとつ「なぜ売れるのか」を分析しました。するとあることに気づきました。
自分自身、ほとんど買ったことがない。
若手社員に聞いても同じでした。ヒット商品として名前は知っているのに、誰も買っていない。「これはどういうことか」と考えたとき、宮本さんは気づきます。
「ヒット商品といっても、それほど多くの人が買っているわけではない。前頭あたりになると、買った人は全体から見るとほんの一握りなのだ」
逆に考えれば、「誰もが買う商品」でなくても十分にヒット商品になれる。「万人受け」を目指す必要はない。一部の人に強く刺さる商品を作れば、前頭には十分なれる——この気づきが、キングジムの商品哲学の根幹になっていきます。
1988年、「テプラ」が発売されます。ラベルライターという当時まったく新しいカテゴリーの商品でした。開発部門には懐疑的な声もありましたが、売れ始めると営業スタッフの意識が一変しました。「テプラ」を売れば、すぐに売上実績が2〜3倍になる。オセロのコマがひっくり返るように、懐疑派が推進派に回っていきました。
しかしこのあとに「暗黒の時代」が訪れます。
テプラが普及すると、テープカートリッジという消耗品が売れ続け、特段の企業努力をしなくても利益が上がる状態になりました。守りに入り、管理強化に傾き、新しいチャレンジをしにくい雰囲気が蔓延しました。可能性があっても少しでもリスクのある企画はすべて却下される。「文房具が好き、面白いものをつくりたい」という空気が消えていました。
この暗黒の時代を経験したからこそ、宮本さんは「ポメラ」を見てGOを出せたのです。
「ポメラニアン」が生まれた日——ネット口コミが起こした革命
2008年10月21日、マスコミ向けの発表会。
キングジムとしては異例の記者発表会でしたが、宮本さん自身は出席しませんでした。「社長、出席しますか?」と聞かれて「いや、僕はいいよ」と答えたほど、確信を持てていませんでした。
しかし発表会の翌日、事態は急変します。ヤフーの検索ワードトップ10入り。「2ちゃんねる」など掲示板でも瞬く間に話題になりました。発表会に参加した記者がネットに速報記事を書き、それを見た一般ユーザーが掲示板やブログで広めていった。
まだ誰も実際に触ったこともない段階で、「ポメラ」愛好者を意味する「ポメラニアン」という言葉まで生まれました。
「これはいけるかもしれない」——初めて予感が生まれた瞬間でした。
発売から3週間後の11月10日、初回ロットはすぐに完売。増産も間に合わないといううれしい悲鳴に変わりました。その後、累計30万台以上(2015年3月時点)を売り上げるヒット商品になります。
本書『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』はその意味を、こう総括しています。大学教授や物書きでなくても、会議や打ち合わせの議事録など「いつでもすぐメモをとりたい」「パソコンより気軽なツールが欲しい」というニーズは、表に出てきていなかっただけで確かに存在していた——隠れていたニーズに、「ポメラ」が灯りをともしたのです。
こうした「誰も想像しなかったものを作る」姿勢は、ゲームメーカーとも共通するものがあります。
「10打数1安打」を目標に——失敗を糧にする思考法
キングジムの開発哲学を一言で表せば、「10打数1安打を目標に」です。
10本の新商品を出して、1本ヒットすれば成功。9本はうまくいかなくていい——これが宮本さんの考え方です。
ただし、この発想には重要な前提があります。「失敗をそのままにしない」こと。
宮本さんは野球の例で説明しています。最初は負けると悔しいが、負けが続くと当たり前に感じてしまい、悔しくなくなる。そうなると本当に弱くなる。それと同じで、開発も失敗したら徹底的に検証する——なぜうまくいかなかったのかを理解して、納得して、消化する。そうすることで失敗のダメージが「よし、次はこうすればきっとうまくいく」という前向きな確信に変わるのです。
失敗を糧にできるかどうか。それが「10打数1安打」を意味ある数字にするかどうかを決めます。
開発会議では、精査されたアイデアが3〜4案上がってきます。宮本さんは「少しでもいける」と思えばサインを出す方針を取っています。だからこそ、「ポメラ」のようにほとんどの役員が否定的な商品にもGOを出せた。開発部内での厳しいチェックを潜り抜けたアイデアは「8割方はサインを出す」というのが宮本さんの方針です。
「枯れた技術」を使いこなす——自前開発しないのがキングジム流
キングジムには技術開発部門がありません。製造設備もない。だからこそ、独自の戦略があります。
「枯れた技術の活用」
「枯れた技術」とは、すでに確立された安定した技術のことです。最新技術ではないゆえにニュース性はなく、世間に注目されていない。しかし使いようによっては十分に活躍できる。
テプラもポメラも、この発想から生まれました。テプラは電子機器メーカーとの共同開発。ポメラは確立済みの技術を使った折りたたみキーボードと液晶ディスプレイの組み合わせ。「こんな商品ができないか」というアイデアがまずあり、それを実現できる技術を持つ会社を探して共同開発を持ちかける——これがキングジムの作り方です。
最新技術を追いかけない理由は、コスト面だけでなくクオリティの問題もあります。開発されたばかりの技術は安定性に欠け、不良品や想定外の不具合が出やすい。少ないロットで一部の人向けの商品を作るキングジムには、そのリスクは大きすぎるのです。
「万人受けを狙わない」「ニッチ市場を狙う」という哲学と、「枯れた技術」の活用は一体のものです。大量生産を前提にしないから、最先端技術に莫大な開発費をかけなくていい。そのぶん、独創的な発想に集中できます。
「サクセスストーリーを描けるか」——GOとNOを分ける唯一の基準
宮本さんが開発アイデアを評価するとき、問うのはひとつだけです。
「サクセスストーリーを描けるか」
その商品ができたとき、どんな人がどんな目的で買ってくれるか——その流れがイメージできるかどうか。数がどのくらいいるかを考えるのは次の段階でいい。まず「このターゲットは確実に存在する」という確信を持てるかどうか。
ポメラのとき、大学教授という存在がその確信を与えてくれました。物書きを生業にする人、ビジネスの現場で文章作成だけのためにパソコンを開く人——そのストーリーが見えたから、GOになりました。
逆に、GOにならなかった例として本書『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』には「光る文字が書けるボード」が挙げられています。暗所でネオンサインのように光って見えるというアイデアでしたが、「どんな人がどんな場面で使うのかイメージできなかった」。サクセスストーリーが描けなかったため、開発部内チェックでNOになりました。
この基準は、「自分が欲しいものを作る」という発想と表裏一体です。自分自身がターゲットなら、どんな機能が欲しいか、どんなデザインなら買うか、自分に聞けばいい。ポメラを開発した立石は、外出先での打ち合わせ議事録のためにノートパソコンを持ち歩くことへの不便を感じていた。その不満が、ポメラへの直線でした。
宮本彰さんのこだわり
本書『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』を通じて、宮本さんの経営を支える習慣と信念が浮かびあがります。
「説教椅子」のある組織設計——開発本部長のデスクの目の前に、対面するように椅子が置いてあります。「説教椅子」というあだ名ですが、説教のためではありません。スタッフが思いついたアイデアをいつでも気軽に話しに来られるようにするための工夫です。立ち話ではなく腰を据えて話せる。アポ不要。上司と部下という関係より「対等に話す」空気を作ることが、自由な発想の土台になっています。
「社長はイエスマンでいい」——極端に聞こえますが、宮本さんの真意はこうです。上がってくる書類に黙って判を押していればいい。あとは冠婚葬祭に顔を出して愛想よく挨拶する。社長の最大の仕事は「組閣人事」——信頼できる「大臣」を任命すること。あとはその大臣に全部任せる。一人の人間が管理できる人数は最大50人ほど。会社が大きくなればなるほど、社長はイエスマンに徹するほうが組織が動くと、宮本さんは考えています。
「自己申告書」制度——年に1回、全社員に「社長への手紙」を書かせます。社長と専務と人事担当の役員しか見ない。上司批判でも不平不満でも、何でも書いていい。宮本さんはすべてに目を通します。「本当は全社員と面接してじっくり話を聴くべきだが、人数が増えるとそれができなくなる。だから書面で声を拾う」——これが、大組織の中でも一人ひとりの声を聞き続けるための仕組みです。
宮本彰さんゆかりの地
東京・秋葉原(キングジム本社):1927年創業、東京神田で産声を上げた会社の本社が今もある地です。「切抜式人名簿」から始まり、パイプ式ファイル、テプラ、ポメラと次々と新市場を切り開いてきた革新の拠点。開発スタッフの工作室があり、平均年齢33歳のチームが日々アイデアを手でも考え続けています。
宮本彰さんから学ぶ、3つの教訓
1. 「万人受けを狙わない」——一部の人に熱烈に刺さる商品を作れ
ヒット商品番付を研究した宮本さんが気づいたのは、「ヒット商品でも買っている人はほんの一握り」という事実でした。誰もが欲しがる商品を作る必要はない。「熱烈に欲しい」と思う一部の人に向けて作れば、十分ヒット商品になれる。「隙間を狙って市場を開拓する」というキングジムの哲学は、「小さな市場を正確に捉える」ことの強さを体現しています。大企業が見向きもしない隙間こそ、中小企業の最大のチャンスです。
2. 「ひとりでも欲しいなら、やってみる」——否定の声より肯定の一声を信じる
ポメラのとき、役員のほぼ全員が否定的でした。しかし大学教授のたった一言「これだ!」が判断を変えました。「ひとりでも欲しいというなら、商品化してみよう」——この発想の転換が、累計30万台のヒットを生みました。多数決で物事を決めると、新しいものは生まれません。一人の「絶対に欲しい」という声は、大勢の「まあまあ欲しい」より価値があります。
3. 「失敗を糧にしないと、10打数1安打は意味がない」
10本出して1本ヒットすればいい——ただしその残り9本の失敗を徹底的に検証することが前提です。負けを当たり前に感じてしまったら本当に弱くなる。失敗を分析し、次への確信に変えた人だけが「10打数1安打」を意味ある数字にできます。チャレンジを許容する組織が真に強くなるのは、失敗を検証し続けるカルチャーが根づいているときだけです。
この記事で語りきれなかった『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』の魅力
本書にはまだ紹介しきれていないエピソードが多くあります。
一つ目は、ショットノート誕生のきっかけです。企画会議で「あのときのメモを誰か持ってない?」と聞いたが誰も探し出せなかった——「新しい文房具を探している自分たちが、手元のメモを管理できていない」という気づきから生まれた、専用マーカーで囲んだページをスマホで撮影してデジタル化するノートです。身近な不便から生まれたヒット商品の典型例です。
二つ目は、ツイッター担当社員の「おせんべい事件」です。入社4年目の女性社員がツイートをめぐって上司と対立し、アカウントを閉鎖。宮本さんが間に入って騒動を収めた後、顛末を正直にツイートしたことで逆にフォロワーが急増しました。「ぎりぎりだから面白い。無難にやってもフォロワーは増やせない」——この発想は、キングジムの商品開発のポリシーとまったく同じです。
三つ目は、宮本さん自身が「解職を覚悟するほど思い悩んだ時期」があったという告白です。本書の冒頭にさりげなく記されているこの一文は、会社の変革が決して順風満帆ではなかったことを示しています。その時期が何だったのか、詳細は本書で確認してください。
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まとめ|宮本彰さんが教えてくれること
「こんなものは売れないだろう」——その言葉に屈してGOを出さなければ、ポメラは生まれませんでした。
キングジムが「ユニークな電子文具の会社」と呼ばれるようになったのは、何か特別な天才が生まれたからでも、莫大な開発費をかけたからでもありません。「万人受けを狙わない」「枯れた技術を使いこなす」「ひとりでも欲しいならやってみる」——その積み重ねの結果です。
宮本さんが語る哲学は、どれも派手さがありません。しかしそれぞれが、「暗黒の時代」を経験し、10打数9本の失敗を見続けてきた人間の言葉だからこそ、重みを持ちます。
本書『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』は、文具メーカーの話でありながら、創造的な組織を作りたいすべての人に向けて書かれています。「なぜ面白いものが生まれる組織と、そうでない組織があるのか」——その問いへの実践的な答えが、キングジムの30年以上のヒットの歴史の中にあります。
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参考文献:宮本彰『ヒット文具を生み続ける独創のセオリー』(河出書房新社)

