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安田佳生さん|ワイキューブ創業者が「42億の借金」で学んだ、むちゃくちゃな経営の7435日

安田佳生さん|ワイキューブ創業者の7435日と民事再生の経営哲学

2011年3月10日。東日本大震災の前日のことです。

熊本への出張から帰る飛行機の中で、安田佳生さんの腹は固まっていました。品川駅前の喫茶店で役員二人と落ち合い、開口一番こう言いました。「いままでありがとう。民事再生しよう」。

売上が15億円にまで落ち込んだ会社に、42億の借金。本当はずっと前に決断していなくてはならなかったのだと、安田さんは書いています。「返す」と言い続けていた約二年間。返せるはずがないと、心のどこかでわかっていながら。

なぜ、これほどむちゃくちゃな経営をしたのか。なぜ、ここまで夢を見ることができたのか。そして、なぜ破綻させなくてはならなかったのか——本書私、社長ではなくなりました。——ワイキューブとの7435日はその問いへの、正直な告白です。


安田佳生さんの基本プロフィール

氏名安田佳生(やすだ・よしお)
生年1965年、大阪府生まれ
学歴オレゴン州立大学(生物学専攻)
経歴リクルート(契約社員)→1990年ワイキューブ設立(25歳)→2007年売上高約46億円→2011年3月30日民事再生法申請
著書『千円札は拾うな。』(2006年、33万部超)
創業動機満員電車を避けるため、社長になるしかなかった

満員電車のおっさんと吊り革争奪戦

本書を読んでいると、安田さんの起業の原点がとても個人的な「逃げ」にあることがわかります。

高校時代、安田さんは大阪の満員電車で毎朝、同じ吊り革をめぐって争っていました。相手は四十代くらいのサラリーマン。体が小さかった安田さんが吊り革を奪取できるのは一週間で二日くらいで、負けた日はそのまま電車の奥に流し込まれて遅刻。

高校卒業が間近に迫ったある日、ふと思いました。「このおっさんはどうだろう。これからもずっとこれを続けていくのだろうか」。

その途端、怖くなりました。「私だってこのまま流されていけば、このおっさんと同じように吊り革戦争に明け暮れる人生を送ることになる」。

明日の仕事が決まっていないことよりも、明日からの満員電車が決まっていることのほうが怖かった。そう書いた安田さんは、その場でアメリカへの留学を決意します。


勉強できない子——英語テスト零点の理由

本書の中で、安田さんは自分が勉強のできない子だったと繰り返します。

中学校では学年で下から三番目の成績。英語の最初のテストは零点でした。自分では完璧にできたと思っていたのに、なぜか。理由は単語と単語の間のスペースを空けていなかったからです。スペルはきちんと書けていたのに、杓子定規に零点にされた。「いまでもひどい話だ」と安田さんは書いています。

暗記も苦手で、中学二年のとき「足利尊氏」がどうしても書けませんでした。見開きページにひたすら練習する宿題が三日連続で出されて、三回とも翌日のテストで書けなかった。

授業中には、鉛筆にトーテムポールを彫り続けていました。ドイツ製の鉛筆削りの刃を外して、授業を聞くふりをしながらコツコツと彫り、一年が終わるころには「芸術作品の域に達する」レベルになっていたといいます。

それでも安田さんは「自分は頭が悪い」と思ったことは一度もありませんでした。学年トップの友人たちが「おまえは本当は頭がいいのに、なぜ勉強しないんだ」と言い続けてくれたことと、成績が悪くても一度も怒らなかった両親の存在が大きかったといいます。


リチャード・ギアとシャンパンとイチゴ——不純な起業動機

アメリカのオレゴン州立大学に留学した安田さんに、大きな転機が訪れます。

1990年、映画『プリティ・ウーマン』が大ヒット。安田さんはジュリア・ロバーツではなく、リチャード・ギアが演じた青年実業家に強烈に憧れます。特に印象に残ったのが、ペントハウスでシャンパンとイチゴを頼むシーンでした。

「シャンパンを飲むときには、イチゴをかじる。私もよく真似したものだ」と本書に書かれています。「シャンパンにイチゴ」ではなく、あくまで「シャンパンとイチゴ」なのだ、とこだわりも記されています。

この映画に感化されて起業を決めたのは、安田さんだけではありませんでした。同じオレゴンの大学に留学していた小川靖浩さんも同じくリチャード・ギアに感化されていたのです。

「『プリティ・ウーマン』のリチャード・ギアへの熱い思い。それだけが、二人の共通点だった」と安田さんは書いています。まったく不純な動機だと認めながら、「人間なんてみんな不純なものだろう」と言い切ります。


梅田の交番でリクルートの場所を聞いた日

帰国後、安田さんはリクルートに入社します。その経緯が独特でした。

「リクルートという会社に行きたいのですが、どこにありますか」と、大阪の繁華街・梅田の交番でリクルートの所在地をたずねたのです。リクルートがどこにあるか、どういう業種かも知らないまま、教えてもらった梅田センタービルに行って「人事の人に会わせてください」と頼み込みました。

飛び込み営業ならぬ、飛び込み面接です。すでに募集期間が過ぎていましたが、契約社員として採用されました。

入社してからも、リクルートの文化には最後まで馴染めませんでした。朝の円陣、達成音頭、売上達成キャンペーン——意味があるとは思えなかった。電話営業がとにかく嫌いで、上司が見ていなければサボるか電話をかけているフリをして過ごしていました。

全国でトップの成績を収めたこともありましたが、正社員として声がかかることはありませんでした。「いまから考えれば、あたりまえの話だ」と安田さんは書いています。


新宿アイランドタワー——月1,200万円の無謀な賭け

1990年にワイキューブを設立した安田さんは、「劣等感から逃れるため」に次々と無謀な投資を重ねていきます。

高層ビルに入っている会社に営業に行くたび、雑居ビルにある自分の会社が負けている気がしました。おしゃれな受付のある会社を訪問するたびに引け目を感じた。「ひとつひとつ克服していかないと気がすまなかった」と本書に書かれています。

当時の売上が5億円、営業利益が3,000万円しかない段階で、安田さんは月額1,200万円(年間約1億5,000万円)もの家賃の新宿アイランドタワー44階建てビルの20階に強引に入居を決めます。役員全員の猛反対を押しのけて。

百数十人が入れる大会議室、海水魚が泳ぐ大きな水槽を三つ、50坪の広いスペースに一人掛けソファを10脚だけ置いた「自慢部屋」——しかし社員がその部屋を実際に誰かに自慢したのは、ただの一度だけでした。

入居したその月に退去届を出し、たった半年で退去することになったのです。


「社長に会わずに何が就職活動だ」——就ナビの誕生

新宿アイランドタワーを失った後、安田さんたちは市谷のビルに移り、ワイキューブの核心となる事業を育てていきます。

この本書で最も印象に残る仕事の話が、就職情報誌「就ナビ」の創刊です。

「社長に会わずに何が就職活動だ」——これが就ナビのキャッチコピーでした。人事担当者ではなく社長が直接、会社説明会に出てくることを唯一のウリにした就職情報誌です。

安田さんはDMによる集客、メールマガジン、社長向けセミナーを続け、「採用コンサルティング」という言葉を業界で初めて使いました。三年も四年も地道に続けた結果、経営者と対等に話ができるようになり、ようやく営業への苦手意識を克服。2007年には売上高約46億円を計上するまでになります。


市谷オフィスの賭け——バーとパティシエと5種類の応接室

採用コンサルティング事業が軌道に乗った安田さんは、市谷のオフィスに破格の投資をします。

地下には専属バーテンダーを雇った社員専用バーをつくりました。「作家や著名人が多く通うことでも知られた青山のバー『ラジオ』で知り合ったバーテンダー」に頼み込んで連れてきたといいます。

一階のカフェスペースにはパティシエを連れてきて、コーヒーもお菓子もすべて無料提供。大理石を敷き詰めたカフェ空間は会社には見えず、昼どきには一般の人がまぎれ込んで「ランチは何時からですか」と尋ねてくることもありました。

ワインセラー、5種類の応接室(コルビュジエのソファの重厚感ある部屋、アンディ・ウォーホルのポップな牛の絵の明るい部屋など)、ファッション誌の撮影に蛯原友里さんも訪れました。

メディアへの露出を広告費に換算すると年間1〜3億円、5年間で合計10億円以上になったと安田さんは試算しています。オフィスへの投資は1億5,000万円ほどだったので「得られた広告効果に比べれば安いものだった」と振り返ります。


「利益が先か、給料が先か」——逆転の人事哲学

本書の中でも特に安田さんらしい章が、社員の給料をめぐる話です。

「日本でいちばん高い給料を払えば、日本でいちばん優秀な人が来るのではないか」——そう考えた安田さんは、役員会で「三年間で社員の平均年収を1,000万円にする」と宣言し、猛反対されます。それでも、社員一人ひとりと面談して申告額より高い年収を設定していきました。

二年ほどかけて、400万円だった平均年収を750万円に引き上げたときの社員の平均年齢は26歳。入社二年目以降はグリーン車で移動できるルールもつくりました。

ただし正直に書かれています。給料を上げても社員のパフォーマンスは期待ほど上がらなかった。

「社員への給料先行投資は外れない」と信じていたが、心理学の世界ではすでに実験済みの話だったといいます。いったん上げてしまった生活レベルを落とせず、独立した社員も、守りに入った社員もいた。そして社員の給料として投資した分を回収することはできなかった、と。


安田さんのこだわり

本書を通じて、安田さんの「自分らしく生きる」ことへの執着が伝わってきます。

「シャンパンとイチゴ」の美学:プリティ・ウーマンのリチャード・ギアへのこだわりは本物でした。のちに市谷オフィスの地下バーで「プリティ・ウーマンをみんなで観る会」を開催。社員の反応はイマイチでしたが「私と小川さんにとっては起業の原点でもあり、思い入れのある映画だ」と書かれています。

傘へのこだわり:オリジナルブランド「YIスタイル」で作った傘は、イギリスの三大傘メーカーのひとつフォックスから骨を仕入れ、取っ手は職人に桜の木の皮を特注した一本ずつ仕上がりが違う世界に一本の傘。原価2万円の傘を社員100人に配りましたが、メディアの取材は一件もなかったといいます。

お金を持たない美学:「私は日本一お金をもってない社長だ」とセミナーでよく言っていました。自宅は賃貸、クルマなし、貯金は多いときでも500万円。「社長だけがいい思いをすることへの引け目から解放されたかった」と本書に書かれています。会社が私物化されるなら、社員全員で私物化すればいい、というのが安田さんの考え方でした。


小川さんのひと言——7435日の終わり

リーマンショックで採用市場が急激に縮小し、売上は激減。社員は最大230人から80人まで減り、給料も大幅に下がりました。

最終的に安田さんに民事再生を決断させたのは、ワイキューブを一緒に立ち上げた親友でもある役員・小川靖浩さんの言葉でした。

「安田さんが『もうやめよう』と言わない限り、社員はついていかざるをえない。これ以上、社員を巻き込むのはかわいそうだ」

安田さんはこう書いています。「会社をおこすのも、たたむのも、社長が決めなければならない」。

あとがきで安田さんはこう書いています。「怒られるのを承知で言ってしまうが、私はこの二十年間を本当に楽しんだ。後悔も未練もまったくない。もう一度同じことをやってみろと言われたら、喜んでやってしまうだろう」。

そして最後に一言。「会社を経営していくには技術がいる。その技術が、私には足りなかった。伝えたい想いだけが先行していた。文章の下手な小説家のようなものだった。

📚 私、社長ではなくなりました。——ワイキューブとの7435日(安田佳生著、プレジデント社)を読んでみる


参考文献:安田佳生著『私、社長ではなくなりました。——ワイキューブとの7435日』(プレジデント社)