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「危機だ、危機だと騒いでいる場合じゃない。はらわたを振り絞って考えよ。煮えたぎる情熱をぶちかませ。そうすれば、おのずと道は開ける」
これは、ドン・キホーテ創業者・安田隆夫さんが著書に記した言葉です。
29歳のとき、東京・西荻窪のわずか18坪の路面店「泥棒市場」を開いた男が、26期連続増収増益という小売業界前代未聞の記録を打ち立てました。しかも彼には、何ひとつありませんでした。専門知識も、業界人脈も、豊富な資金も。
麻雀で糊口をしのぐプー太郎時代を経て、倒産、住民反対運動、連続放火事件……次々と押し寄せる危機のたびに、安田さんは「はらわたの底から考えた」のです。
安田さんは1949年、岐阜県大垣市生まれ。厳格な父に反発し、大学では留年して仕送りを止められ、横浜のドヤ街で肉体労働をして生き延びた。慶応義塾大学を卒業後に入社した会社は10ヵ月で倒産。その後5年間、定職を持たず麻雀で食いつなぐ放浪の青春でした。
しかし、その無頼な経験のすべてが、後のドン・キホーテの礎になっていった。著書『安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生』をもとに、7つの経営哲学を解説します。
目次 表示
- 安田隆夫さんの基本プロフィール
- 嫉妬と劣等感が起業の原点
- 経営哲学①|「泥棒市場」で生まれた逆張りの3大発明
- 経営哲学②|権限委譲——「教えるのをやめた」瞬間に会社が動き出した
- 経営哲学③|「見を決める」——ツキのない時は動くな
- 経営哲学④|主語を「自分」から「相手」に置け
- 経営哲学⑤|禍福はあざなえる縄の如し——危機が次の成長を呼ぶ
- 経営哲学⑥|「はらわた」とは何か
- 経営哲学⑦|65歳での「勇退」——権限委譲の最終形
- 安田さんの失敗談|ドン・キホーテ1号店の大赤字スタート
- 安田さんのこだわりグッズ
- 安田さんゆかりの地
- 安田さんから学ぶ、経営者への3つの教訓
- この記事で語りきれなかった安田さんの魅力
- まとめ|安田隆夫さんが教えてくれること
安田隆夫さんの基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 安田隆夫(やすだ たかお) |
| 生年 | 1949年(岐阜県大垣市) |
| 学歴 | 慶応義塾大学法学部卒 |
| 創業 | 1978年「泥棒市場」、1989年「ドン・キホーテ」1号店 |
| 業種 | ディスカウント小売業 |
| 趣味 | マリンスポーツ(沖縄・パラオ)、格闘技観戦、辺境探検 |
| 座右の信条 | 「はらわたを振り絞れ」「逆張り」 |
| 愛読書 | 『サイエンス』などの理系雑誌、歴史書 |
| ゆかりの地 | 東京都杉並区西荻窪(泥棒市場)、東京都府中市(ドンキ1号店)、沖縄、パラオ |
| 引退 | 2015年6月(65歳での「勇退」) |
嫉妬と劣等感が起業の原点
安田さんが起業を志した理由は、驚くほど正直なものです。
慶応大学に入学した安田さんは、金持ちのお坊ちゃんぞろいの同級生たちを見て、心の底から嫉妬しました。垢抜けていて女性にもモテ、自分の車を乗り回す慶応ボーイたち。田舎のイモ兄ちゃん丸出しで、ボロボロのジーパンにサンダル履きの自分とは、対極の存在でした。
「サラリーマンになったら、永久にこいつらには勝てないだろうな。ならば自分で起業するしかない。ビッグな経営者になっていつか見返してやろう」
この「決して高尚とは言えない」情念と決意が、安田さんのビジネス人生における原点です。
嫉妬や羨みを、多くの人は恥じて隠します。しかし安田さんはそれを原動力に変えた。「人一倍妬み深く、我欲と不満が強くてハングリー度の高い人間」と自己分析する安田さんは、その悶々としたエネルギーをすべて仕事にぶつけていきました。
経営哲学①|「泥棒市場」で生まれた逆張りの3大発明
1978年、西荻窪18坪の「泥棒市場」は、最初から苦難の連続でした。仕入れをしても売れない。軍資金800万円はあっという間に底をつく。1日の売上が2000〜3000円という日もありました。
追い詰められた安田さんが生み出したのが、後のドン・キホーテの原型となる3つの発明です。
圧縮陳列とPOP洪水:倉庫も従業員もいない18坪に、30坪分の商品を押し込む必要があった。棚という棚に商品をぎっしり詰め込み、段ボールを天井まで積み上げた。何が売っているか分からないから、手書きのPOP(商品説明)を棚という棚に貼りまくった。「見やすく、取りやすく、買いやすく」という小売の教科書とは真逆の陳列が、なぜかお客さんに大好評でした。掘り出し物を探す期待感がうまれたからです。
ナイトマーケットの発見:深夜、一人で店の外で値付け作業をしていると、通行人に「まだやってますか?」と声をかけられる。夜のお客は昼の主婦とはまったく違う。面白がって何でも買ってくれる。ここに気づいた安田さんは深夜営業に踏み出し、当時の日本で最も閉店時間が遅い物販店になりました。
独自の処分品仕入れ:大手メーカーや問屋の倉庫の裏口に日参して、廃番品・キズもの・返品品などを格安で分けてもらうルートを開拓。「タダ同然」で仕入れたガラクタが、ドン・キホーテのジャングルを生み出す原型になりました。
いずれも「苦肉の策としての逆張り」から生まれたものです。
経営哲学②|権限委譲——「教えるのをやめた」瞬間に会社が動き出した
ドン・キホーテ1号店を出した安田さんが、最初にぶつかったのが「従業員問題」でした。
「圧縮陳列をしろ」と言っても誰もできない。「見にくく、取りにくく、買いにくい店にしろ」という非常識な指示を、従業員が理解できるはずがない。安田さんは手取り足取り教え、怒鳴り散らし、1万円札を目の前でライターで燃やして見せました。しかしそれでも変わらない。
追い詰められた末に、安田さんはまったく逆のことをしました。
「教えるのをやめた」のです。
従業員ごとに担当売場を決め、仕入れから陳列・値付け・販売まで「好きにやれ」と丸投げした。しかも専用の預金通帳まで持たせた。すると従業員たちは目の色を変えて働きだし、誰も教えていないのに圧縮陳列と独自の仕入れ術を自然に会得していきました。
「自分で仕入れた以上、自分で売り切らなければならない」。これが仕事をワークからゲームへと変えたのです。
この経験から安田さんが気づいたのは、「問題は社員ではなく、自分にあった」ということ。以来「権限委譲」と「個人商店主システム」がドン・キホーテ最大のサクセス要因となっていきます。
経営哲学③|「見を決める」——ツキのない時は動くな
安田さんが麻雀で食いつないでいた時代に身につけた最大の教訓が、「見」の哲学です。
ツキのある時は思い切って張る。ツキのない時は絶対に動かない。
バブル絶頂期、多くの小売業が土地や設備に巨額投資をした時、安田さんは「見」を決め込んでいっさい動きませんでした。しかしバブルが崩壊するや、手のひらを返すようにして不動産確保とM&Aを積極的に仕掛けていきます。これがドン・キホーテ急成長の原動力になりました。
ITバブル崩壊の時も同様。ライバルたちが萎縮していく時期に逆張りで攻め込み、全国区デビューを果たしました。
安田さんはこう言います。「成功者と失敗者の分かれ目は、この『見』ができるかどうかにある。いい見をするといい運がやってくる」。
経営哲学④|主語を「自分」から「相手」に置け
安田さんが経営の行き詰まりの中で会得した最大の発想転換が「主語の転換」です。
創業初期の安田さんは「売ろうとするから売れない、儲けようとするから儲からない」という悪循環にはまっていました。売ろうとすればするほど、お客さまはその風圧を感じてドン引きする。下手なお笑い芸人が観客を笑わせようとするほど場がしらけるのと同じです。
辛酸をなめ続けた末に安田さんが気づいたのは、「売る側の意図は必ず見破られる」ということでした。
そこで安田さんは割り切りました。「金(売上と利益)より人気(お客様の支持)だ」。そう決めたとたん、売上と利益はみるみる上がりだした。
これがドン・キホーテの企業原理「顧客最優先主義」の原点です。売場ではなく「買い場」という言葉も、主語をお客さまに置いた発想から生まれています。
経営哲学⑤|禍福はあざなえる縄の如し——危機が次の成長を呼ぶ
ドン・キホーテの歴史は危機の連続でした。
1990年代末に勃発した出店反対の住民運動。2004年の連続店舗放火事件。そのたびに安田さんは「企業存亡の窮地」に立たされました。
放火事件では6店舗で火災が発生し、3人が亡くなるという最悪の事態になりました。安田さんが初めて人前で涙を流したのはこの時です。しかし遺族の言葉に背中を押され、安田さんは逃げずに向き合い続けました。
「どん底に陥るたびに、それが新たな福を呼び込んでくれた」
圧縮陳列が火災の危険を高めるという批判を受け、防災対策を徹底したことで、ドン・キホーテは「世界一安全・安心で楽しい業態」を目指す転機となりました。住民反対運動も、徹底した環境対応策を講じることで結果的に出店ノウハウが蓄積された。
どん底の底に「福」がある——この確信が、安田さんをどんな危機でも乗り越えさせた原動力でした。
経営哲学⑥|「はらわた」とは何か
安田さんの著書のキーワードが「はらわた」です。
「はらわたとは、もがき苦しむ力であり、どんなことがあっても最後に生き延びようとする一念だ」
冷静に理詰めで考えることとは違います。絶望の淵で苦悶し、唸りながら、ガマガエルのように脂汗を流しながら考える。その時間は非常に苦しい。しかしある瞬間に、天啓のようなひらめきがやってくる。ボトルネックをスコーンと抜ける瞬間がやってくる。
「あ、そうだ!これだ!」
思考がスパークし、自分の腹にすとんと落ちてくる。安田さんはそのアイデアを書き留めることすらしません。書いているうちに逃げてしまうからです。
安田さんが窮地のたびに実践してきた「ネガティブモード脱出法」も、このはらわた思考の一つです。休暇をとって一人で自宅に引きこもり、雨戸を閉め、外界の情報をシャットアウトして、陰々滅々と落ち込むだけ落ち込む。3日続けると、突然、鬱々とした気分が劇的に晴れる時が来る。凝縮された危機感が臨界点に達して爆発し、強力な浮力になってその人を引き上げるのです。
経営哲学⑦|65歳での「勇退」——権限委譲の最終形
安田さんは2015年6月、65歳でドン・キホーテの代表取締役会長兼CEOを退任しました。気力も体力も判断力もまだ十分あるうちに、自らの意志で退いた「勇退」です。
なぜそのタイミングで?
安田さんはこう語ります。「仮に私が70歳までCEOを続けたら、自ら辞めるという決断を下す自信がない。死ぬまで会社にしがみつくという、最も醜悪な晩年をむかえるかもしれない。老害の芽は、自らきちんと摘んでおかなければならない」。
権限委譲から始まったドン・キホーテの哲学は、創業者自身の「勇退」という形で完成したのです。
安田さんは退任後、企業理念集「源流」に自分のDNAをすべて注ぎ込み、その「源流」こそが真のCEOだと位置づけています。個人としての安田隆夫は消滅し、その理念と情熱とノウハウだけが「源流」に純粋に昇華した、と。
安田さんの失敗談|ドン・キホーテ1号店の大赤字スタート
満を持して1989年に開業したドン・キホーテ1号店(府中店)は、初年度売上がわずか5億円。「泥棒市場では18坪で2億円売ったのだから、8倍の面積なら15億円は軽く行くだろう」という目算は、見事に打ち砕かれました。毎月1000万円の赤字を出し続け、卸売業の利益で補てんする日々が続きます。
「やめよう」と思ったことも一度や二度ではなかった。店の売却話に心を動かされたこともある。
しかし最後に踏みとどまって生み出したのが、権限委譲という革命でした。
「泥棒市場」で苦肉の策から生まれた圧縮陳列も、ドン・キホーテ1号店の大失敗から生まれた権限委譲も、すべて追い詰められた末の逆張りでした。
安田さんのこだわりグッズ
世界地図:幼少期から時間があれば世界地図を眺め、小学生の時には世界中のほぼすべての国の名をそらんじることができたほどの辺境好き。この少年期の「探検隊の隊長」への憧れが、「お客さまにジャングルを探検するような期待感をもってほしい」というドン・キホーテの売場哲学に結びついています。
麻雀牌:プー太郎時代にプロ顔負けのレベルまで腕を磨いた麻雀から、「運気の流れ」「勝負の勘どころ」「ツキのない時は見を決める」という経営の核心的哲学を体で学びました。「当時の生活がまったくの無駄だったとは思わない」と振り返っています。
安田さんゆかりの地
東京都杉並区西荻窪|泥棒市場跡地:安田さんが29歳で開いた創業の地。18坪のこの店での5年間が、圧縮陳列・POP洪水・深夜営業・処分品仕入れというドン・キホーテの原型すべてを生み出しました。「今日のドン・キホーテの姿は、すべて泥棒市場の成功と失敗の上に立脚している」と安田さんは語っています。
東京都府中市|ドン・キホーテ1号店跡地:1989年開業の府中店は、安田さんが2年間・300件以上の物件を検討してたどり着いた「垂涎の物件」。地主に何度も断られながら日参し続けて口説き落としたこの場所が、日本最大級のディスカウントチェーンの出発点となりました。
安田さんから学ぶ、経営者への3つの教訓
1. 逆張りは計算ではなく、苦肉の策から生まれる 圧縮陳列も、権限委譲も、深夜営業も、すべて「追い詰められた末の苦肉の策」でした。安田さんが言う逆張りとは、格好よく計算して仕掛けるものではなく、はらわたを振り絞った末に出てくるものです。だからこそ誰にもマネのできない独自性が生まれました。
2. ツキのある時に全力で、ツキのない時は見を決める バブルの時は動かず、バブル崩壊後に一気に攻める。麻雀で培ったこの「見」の哲学が、26期連続増収増益を支えた大きな要因です。チャンスの時に全力を出せるよう、不運な時は悪あがきせず体力を温存することが、長期的な勝利につながります。
3. 問題は「相手」ではなく「自分」にある 従業員が動かない時、安田さんは「問題は社員ではなく自分だった」と気づきました。事業がうまくいかない時、多くの経営者は外部に原因を求めます。しかし主語を自分から相手(社員・顧客・市場)に転換することで、見えなかった解決策が浮かび上がってくるのです。
この記事で語りきれなかった安田さんの魅力
著書『安売り王一代』には、この記事では紹介しきれないエピソードが詰まっています。
たとえば「一万円札焼失事件」。担当商品を倉庫に隠し続ける社員への怒りが頂点に達した安田さんが、その場で財布から一万円札を取り出してライターで燃やし、「お前たちがやっていることはもっと愚かだ」と言い放った場面は、思わず笑いながらも経営者としての覚悟の重さが伝わってきます。
また、インドネシア領ニューギニアの秘境を3週間近く探検した話。男性がコテカ(ペニスケース)だけをつけた現地人が空港に「ウヨウヨいる」光景に呆然とした体験から「人間の原点」を問い続ける安田さんの知的好奇心は、ドン・キホーテのジャングルのような売場哲学と深く結びついています。
さらに、厚生労働省との医薬品販売をめぐるバトルや、公正取引委員会から「排除勧告拒否」を二十六年ぶりに引き出した闘争など、業界の常識に正面からぶつかり続けた逸話の数々は、まさに「流通界の風車に突き進むドン・キホーテ」そのものです。
📚 安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生(文春新書)を読んでみる
まとめ|安田隆夫さんが教えてくれること
29歳の時に18坪の店から始めた男が、年商6840億円の巨大小売業を一代で築き上げた。しかしその道のりは順風満帆とは程遠く、どん底の連続でした。
「どん底に陥るたびに、それが新たな福を呼び込んでくれた」
はらわたを振り絞って考えた先に、常識の逆を行く答えがあった。追い詰められたからこそ、誰もマネのできない発明が生まれた。
「煮えたぎる情熱をぶちかませ。そうすれば、おのずと道は開ける」
安田さんのこの言葉は、ハッタリではありません。嫉妬と劣等感を抱えた田舎のイモ兄ちゃんが、麻雀で食いつなぎながら、本当にそうやって道を切り拓いてきた、実証済みの人生訓なのです。
参考文献:安田隆夫『安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生』(文春新書、2015年)

