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1984年6月2日、土曜日の朝6時。
梅雨空の合間に晴れ渡った広島市中区袋町で、一軒のカジュアルウエア小売店がオープンしました。店名は「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」。柳井正さん、35歳のことです。
テレビやラジオで告知し、近隣の学校や商店街でチラシを配り続けた甲斐もあって、開店前から行列ができていました。時間を追うごとに行列は圧倒的な群衆にふくれあがり、「恐怖を感じるほど」だったと本書に書かれています。入場制限を何度もお願いすることになるほどの熱狂ぶり。地元のラジオ局がその混雑ぶりを報道し、インタビューを受けた柳井さんは、前代未聞の受け答えをすることになります。「申し訳ないが、今から並んでいただいても入れないかもしれないので、来ないで欲しい」と。
これが「ユニクロ」の原点です。
しかし柳井さんはこの本を、成功物語として書いていません。「十回新しいことを始めれば九回は失敗する」——タイトルの「一勝九敗」とはその比率のことです。失敗から学んだこと、試行錯誤の実態を披露することで、読んでくださった方の打破のきっかけになれれば、という思いで書かれた本です。
柳井正さんの基本プロフィール
| 氏名 | 柳井正(やない・ただし) |
| 生年 | 1949年、山口県宇部市生まれ |
| 経歴 | 大学卒業→ジャスコ(現イオン)入社→10ヶ月で退職→家業(小郡商事)継承→1984年ユニクロ1号店開業→株式会社ファーストリテイリング代表取締役社長 |
| 座右の哲学 | 「一勝九敗」、「商売の基本はスピードと実行」 |
| 一番好きな言葉 | 「店は客のためにあり、店員とともに栄える」 |
| ゆかりの地 | 山口県宇部市(生家・家業)、広島市中区袋町(ユニクロ1号店)、原宿(ブレークのきっかけとなった都心型1号店) |
父から渡された実印と「覚悟」
本書の起点は、柳井さんが25歳のときの話です。
大学を卒業後、父が勧めたジャスコ(現イオン)に入社しましたが、荒物の売り場から紳士服売り場での仕事が面白くなく、10ヶ月で退職。その後、父の経営する紳士服店「メンズショップ小郡商事」の跡を継ぐことになります。
店に入ってみると、品揃えから仕事の流れまで、あちこちに効率の悪さを感じました。「これじゃいけない」と思ったことを従業員に言い始めると、そのうち何人かが辞め、2年ほどのうちに、とうとう浦さん一人だけになってしまいました。番頭格の人まで辞めたときでさえ、父は何も言いませんでした。
そしてある日、大事な会社の通帳と実印が、父から柳井さんに渡されました。
「もう後戻りできない。任せられたら、絶対に失敗できない。ここで頑張らなければ」
実印を預かった瞬間に腹を決めた。 経営には「覚悟」がいると思うようになったのは、この頃のことだと柳井さんは書いています。現在のユニクロで言えば新米店長の年齢。浦さんと二人で、仕入、品出し、在庫整理、接客、経理、掃除まで、何から何までやりました。
ユニクロ誕生——「週刊誌みたいにカジュアルウエアを買える店」
当時の紳士服はスーツが中心で、年に2〜3回転しかしない。在庫リスクが高く、回転が悪すぎる。一方、カジュアルウエアは接客なしで売れるし、客層を限定しない。将来性はこちらにある——そう考えた柳井さんは、徐々にカジュアルウエアへのシフトを進めます。
年に一度は海外へ行き、先進的な小売業を視察しました。アメリカの大学生協に立ち寄ったとき、学生が欲しいものをすぐに手に入れられる品揃えで、接客が要らないセルフサービスの空間に感銘を受けます。「こんな形でカジュアルウエアの販売をやったらおもしろいのではないか」。
香港では、低価格なのに品質の高いポロシャツを売る「ジョルダーノ」が目に止まりました。創業者に会いに行くと、彼はぼくと同じ年齢。「失礼を承知で言うと、パッと見は大したことないオッサンが大したことをやっているな、という感じだった。この人にできて、ぼくにできないはずはない」。ジョルダーノ創業者からは「商売には国境がないこと、製造と販売の境がないこと」を学んだと書かれています。
こうして店舗と商品のイメージが固まっていきました。「いつでも服を選べる巨大な倉庫」という意味も込めた店名「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」。ストアコンセプトは「週刊誌みたいにカジュアルウエアを買える店」。広島市中区袋町の裏通りに、マンションの1階と2階、合計100坪の店。商品は1000円と1900円のニプライスが中心。
ちなみに社名「UNIQLO」になった経緯にも、偶然が絡んでいます。香港で現地の人と合弁会社を設立しようとしたとき、登記する際に「C」を「Q」に間違えてしまった。字体を見たらQのほうが格好いい。それならと、日本の店名もすべてUNIQLOに変更したというのです。「現実は、偶然の出来事から時に面白い展開を示すことがある」と柳井さんは書いています。
「広告は零点か百点しかない」——フリースブームの舞台裏
ユニクロが全国的なブランドとして飛躍するきっかけになったのが、1998年11月28日の原宿店オープンです。
原宿店の1階フロア全部をフリース1900円で埋め尽くしました。お客様が長い行列をつくり、ファッション雑誌やテレビ番組で取り上げられ、爆発的な売上になりました。
このフリースキャンペーンを成功に導いたのが、アメリカの広告会社ワイデン&ケネディ社のクリエイターであるジョン・ジェイさんとの出会いです。彼のプレゼンテーションは衝撃的でした。ユニクロのフリースをニューヨークの街角に持っていき、「この商品はいくらだと思いますか」と通りがかりの人々に聞く映像。「四十ドル」「五十ドル」という答えが返ってくる。それが1900円(当時のレートで十五、六ドル)なのだから、人々の反応は「すぐ買いに行きたい」というものでした。
テレビCFでは、山崎まさよしさんがフリースを着てギターを弾くシーンに「ミュージシャン27才」とテロップが流れ、彼自身の言葉でしゃべるだけ。最後に「ユニクロのフリース 51色 1900円」とコピーが出るだけのシンプルなものでした。社内では「音楽も商品名の連呼もない、こんな静かなコマーシャルはダメだ」という反対意見が出ましたが、柳井さんはこう言いました。
「広告宣伝というのは零点か百点しかない。そのほどよい中間はないと思う。そこから先はもうクリエイターの力なので、表現手段に関してわれわれがとやかく言うべきじゃない」
何の変更もせずそのまま放映して、大成功をおさめました。99年10月の既存店売上高は前年同月比60%アップ。フリースは99年秋冬に850万枚、2000年秋冬には2600万枚を売り上げ、ユニクロ最大のヒット商品となりました。2001年8月期は売上高4185億円、経常利益1032億円を達成します。
「9回の失敗」——スポクロ・ファミクロ・NYデザイン子会社
本書が他の経営書と一線を画すのは、失敗を丁寧に書いているところです。
NYデザイン子会社の失敗:1994年12月、ニューヨークにデザイン・情報収集機能強化のための子会社を設立しました。しかし、NYのデザイナーと大阪・山口の担当者のコミュニケーションがうまくとれず、モノトーンで暗い色調の商品は受け入れられませんでした。四拠点での情報共有は難しく、設立から3年半で解散。「皆も素人集団だったという感じがする。しかし、やってみなければわからなかった」と柳井さんは書いています。
スポクロ・ファミクロの失敗:スポーツカジュアル専門「スポクロ」、ファミリーカジュアル専門「ファミクロ」をそれぞれ1997年に9店舗ずつ出店。しかし、スポクロ17店舗・ファミクロ18店舗まで作ったところで中止を決めました。ユニクロとの商品の差別化が打ち出せなかっただけでなく、スポクロ・ファミクロのためにユニクロ店の商品を回したせいで、ユニクロ店に欠品が出始め、両方とも中途半端になってしまったのです。「独りよがりの商売だった」と書かれています。
失敗した後の行動について、柳井さんはこう書いています。「失敗と判断したときに『すぐに撤退』できるかどうかだ。儲からないと判断したら、その事業を継続すべきでない。撤退もスピードが大事である」。
ロンドン出店の失敗——「一店舗ずつ利益を出す」という原点
さらに大きな失敗が、海外展開でありました。
イギリスへの進出は、三年で50店舗の計画で始めました。しかし出店したロンドン圏以外の地域でうまくいかず、縮小策をとることになりました。最終的に、市内の効率のいい5店舗だけを残して、あとは全部閉めることにしたのです。
商品面でも研究不足がありました。日本と同じように夏にドライのポロシャツを売ったのですが、「イギリスの夏は日本のような湿気がないので、ドライのポロシャツなんて必要なかったのだ」と柳井さんは書いています。「恥をさらすようだが、まったくの研究不足だった」と。
そしてこの失敗から学んだことが、のちの上海出店の方針に活かされます。「三年で50店舗」という計画ありきの展開から、「一店舗一店舗、本当に利益が上がるかどうかを検討しながら、積み重ねていく経営方針」へ。ロンドンでの失敗は、「次の成功の芽を大事に育てながら、着実に一歩ずつ前進している」経験となりました。
柳井さんの失敗談——銀行支店長との対立
本書には、急成長の途上で起きた生々しい失敗談もあります。
1991年9月、柳井さんは社名を「小郡商事」から「ファーストリテイリング」に変更し、毎年30店舗ずつ出店して百店舗を目指すと宣言しました。しかし、バブル崩壊の真っ只中、メインバンクの支店長から「もうそろそろこの辺で出店を中止したほうがいい」と言われます。
業績は好調なのに銀行の都合で計画を変更するつもりはない、とほかの銀行に融資をお願いしに行った柳井さん。二行がOKしてくれたので、メインバンクに戻って担保の一部を抜く了解をお願いすると、支店長は烈火のごとく怒りました。支店長が言った言葉は今でも忘れられないと書かれています。「生命保険会社に自分から出かけて行って、生命保険に入れてくれという人はいませんよ」。
結局は資金を引き上げることはなく上場時までつきあってもらえましたが、柳井さんはこう振り返っています。「今に見てろ。絶対に成長してやる、というガッツの源を作ってくれたのだから」。
経営理念23条——第1条は「顧客の要望に応え、顧客を創造する経営」
ユニクロには経営理念が23条あります。この原型を作ったのは柳井さんが30歳頃のこと。「いい会社とはどんな会社か」「いい会社にするためには何が必要か」ということを真剣に考え、一つずつ書き出していったといいます。
「安本先生(公認会計士)は『社員が覚えないと意味がない。五つくらいにまとめるべきだ』というが、絶対に必要な理念なので一つが欠けてもダメだ」と反論し、譲らなかったとも書かれています。
第1条は「顧客の要望に応え、顧客を創造する経営」。柳井さんはこう説明しています。「お客様がいない限り、商売をやっても無駄。店を開けていればお客様は来て当然、売れるのは当然と考えるのは間違い。去年と同じことをやっていたら、お客様はどんどん減っていく。要望に応えて、お客様を作り出していかなければならない」。
社名「ファーストリテイリング」の意味もここにつながります。「早い(FAST)+小売(RETAILING)」を組み合わせた社名は、「お客様の要望をすばやくキャッチし、それを商品化し、店頭ですぐに販売する」という意図とともに、社内への「即断即決」のメッセージでもありました。
柳井さんのこだわり
本書には柳井さんの人柄が随所ににじみ出てきます。
「一番好きな言葉」は商売の原点から来ている:あとがきに、「今後とも、『店は客のためにあり、店員とともに栄える』という、当たり前でぼくの一番好きな言葉を実践するために、経営チームおよび社員全員で一緒になって挑戦しつづけたい」と書かれています。
天邪鬼な子どもだった:柳井さんの小さいころのあだ名は「山川」だったといいます。他人が「山」と言えば、自分は「川」と言う。「どこか天邪鬼なところがあった」と書かれています。父親に「何でも一番になれ」と激励されても成績を上げようとせず、大学時代は映画やパチンコ、マージャンでブラブラしていた4年間だったと、包み隠さず書かれています。
「ぼくは頭が良くない」という自己評価:会社の規模や質は社長の器で決まるとよく言われるが、「ぼく自身のことを頭が良くないと思っている。ということは、自己評価が正しければ会社自体の発展性がないことになる。それでは困る」と書かれています。だからこそ「ぼくよりも頭の良い人々に来てもらうことが人材採用の目的でもあった」と。
自分への厳しい客観性:「自分自身を客観的に分析・評価できる」ことが経営者に必要な資質だと柳井さんは書いています。360度評価をやってみたとき、柳井さんだけが自己評価と他者評価が「ほとんど同じ」だったといいます。「自信過剰になることもないかわりに、卑下することもない性格のようだ」と。
引退宣言——そして撤回
本書の中で、柳井さんは一度「引退宣言」をしています。
「ぼく自身は、六十から六十五歳の間で経営の第一線から引退したいと思っている。そのあとは投資家として一生を送るつもりでいる」と書かれています。執筆当時54歳だった柳井さんが、体力と集中力の衰え、言っていることが掛け声だけで終わってしまうことへの恐れ、若いチームメンバーとの年代差を理由に述べたものです。
もっとも、ご承知のように、この引退宣言はその後撤回されています。「経営はぼくにとってはスポーツみたいなもの」と書いた人が、完全に引退できるわけがなかったのかもしれません。
「商売の基本はスピードと実行」——一勝九敗の意味
本書の結論部分に、柳井さんの経営哲学の核心があります。
「スピードがない限り、商売をやって成功することはない。だから、ぼくは失敗するのであれば、できるだけ早く失敗するほうがよいと思う」
失敗しているのに失敗したと思わない人が多い。だから余計に傷口が深くなる、と柳井さんは言います。早く失敗を実感することが大事で、その次に、失敗しないようにするにはどうやっていくかを考える。そこで「工夫」が生まれる。
「十戦十勝ほど怖ろしいものはない。一勝九敗だからこそ、ひとつの成功に深みがあり、次につながる大きなパワーが生まれるのだ」
もうひとつ大事なことは、「計画したら必ず実行するということ。実行するから次が見えてくる。失敗しても実行する。また、めげずに実行する。これ以外にない」。
世間一般にはぼくは成功者と見られているようだが、自分では違うと思っている——そう書く経営者の言葉には、独特の重みがあります。
参考文献:柳井正著『一勝九敗』(新潮文庫)

