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株価50円、M&A攻勢——「志のない会社は成長できない」と叩きのめされた男が、日本一のメガネ会社をつくるまで

JINSの創業者・田中仁さんの書籍『振り切る勇気』を紹介する記事のアイキャッチ画像

2008年12月24日、クリスマスイブ。

東京・九段下のファーストリテイリング本社。ドアをノックして会長室に入ると、柳井正は雑談なしにこう切り出しました。

「御社の事業価値はなんですか?」

入室から10秒も経っておらず、。田中仁さんは真っ白になりました

「えっ……」

その日、田中さんが経営するジェイアイエヌの株価は41円。最終赤字に転落し、M&Aの打診が毎日のように届いていました。まわりからは「もう売ってしまえ」と言われます。でも踏ん切りがつきません。「まだ何かできるんじゃないか」という気持ちがくすぶっていたのです。

だからこそ、この面談に期待を抱いていたのです。
先輩経営者として、激励の言葉をかけてもらえるのではないか——と。

しかし現実は「千本ノック」でした。30分後、会長室を出た田中さんの顔を見て、スタッフが「社長、顔が真っ青ですよ」と駆け寄ってきたそうです。その夜、田中さんは布団の中でうなりつづけました。

それが、反転の始まりです。

本書『振り切る勇気』は、JINSの創業者・田中仁さんが、信用金庫マンから起業し、エプロン・バッグ・メガネと商売を転換しながら、赤字転落と復活を繰り返してきた経緯を赤裸々に書き下ろした一冊です。「JINS PC」の大ヒットで知られる企業の裏には、こんなにも波乱万丈の経緯があったのかと驚かされます。MBAも留学経験も関係ない。フルスイングと失敗の繰り返しが、経営者を磨いていく——田中さんの言葉は、そのまま体験から来ています。


田中仁さんの基本プロフィール

氏名田中仁(たなか ひとし)
生年1963年1月25日、群馬県前橋市
創業1988年、有限会社ジェイアイエヌ設立
役職株式会社ジェイアイエヌ代表取締役社長
主な実績JINS PC累計350万本超(2014年2月時点)、年間メガネ販売日本一(2013年度)
著書『振り切る勇気』(日経BP社、2014年)

大みそかの怒鳴り声が、起業を決めた

田中さんが起業を決意したのは、1985年の大みそかのことでした。

当時22歳。前橋信用金庫に勤める若手行員として、夜9時に支店長から「預金を集めてこい」と命じられた田中さんは、地元の名士の家の戸を叩きます。すると、出てきた家主にこう怒鳴られました。

「大みそかに金をせびりにくるなんて、お前は乞食か」

息が苦しくなるほど悔しかった。自分の仕事そのものをこんなふうに罵倒されたことがつらかった。目を赤くはらしながらバイクで帰り、駐車場で涙を拭いてオフィスに戻ったその夜、田中さんは信用金庫を辞めることを心に決めます。

信用金庫の仕事自体は、決して悪いものではありませんでした。給料はよく、ボーナスは8カ月分、まわりにも恵まれていた。しかし信用金庫で働く中で、夜逃げする経営者、最悪の場合は命を絶つ経営者も見てきたそうです。知らぬうちに起業への恐れが育っていたのです。

その恐れを、一人の怒鳴り声がすべて吹き飛ばした。

「起業して自分が納得する仕事がしたい」——1988年、田中さんは25歳で有限会社ジェイアイエヌを設立します。「JINS」は自分の名前「仁(ひとし)」を音読みしたあだ名から取ったものでした。

ちなみに田中さんは後年、怒鳴りつけたこの名士に深く感謝しているといいます。「その方が背中を押してくれたから、僕は進むべき道に一歩を踏み出せた」と本書『振り切る勇気』に書かれています。


セピア色の天井と、義母の無言の教え

意気揚々と始めた会社では、雑貨の企画制作を手がけました。しかし人生はそんなに甘くない。

何をつくっても売れない。売れない在庫ばかりが積みあがっていく。現金が入ってこないので、次の商品もつくれない——。

眠ろうとしても眠れず、板張りの天井をひたすら眺め続ける日が続きました。するとなぜか、すべてがセピア色に見えてきた。「ノスタルジックで、物悲しい、黒っぽい茶色——あのセピア色というのは、自分の心が見せる色なのだ」と田中さんは振り返ります。

生活費として妻に渡せるのは月5万円。長男が生まれたばかりで、「この子にひもじい思いをさせることになるのか」という焦燥感に押しつぶされそうでした。

銀行融資の保証人を父に頼みに行くと、「三度とうちの敷居をまたぐな」と追い返された。途方に暮れていたとき、救世主が現れます。義母でした。

「お金が足りないのなら、100万円、200万円くらいなら貸しますよ」

ただし、条件がついていました。「いつまでとは言わないけれど、仁さんがこの日と決めた日には、きちんと返してください」

自分で美容院を経営し、財を成した義母の言葉には、商売人が商売人にお金を貸すときの真摯さが込められていました。かわいそうだから貸すのではない。もう一度チャンスをあげるから、立て直しなさいという激励だった——義母は何も言わず、無言で商売の流儀を教えてくれたのだと、田中さんは書いています。

田中さんは1カ月で借りたお金を返し、また借りるということを繰り返して最初の苦境を乗り越えます。この経験が後の「フルスイング」の土台となっていきました。


エプロン、化粧ポーチ——フルスイングの勝ちパターン

起死回生の一手となったのは、エプロンでした。

岩手の問屋から「1980円で売れるエプロンをつくれるなら大量に買う」という話が持ちかけられます。通常、エプロンはデパートで3900〜5000円で売られていました。栃木県足利市の生地問屋に当たると、1色10反(約550メートル分)まとめて発注すれば採算が取れる生地が見つかりました。

「この機会を逃さない。売れるとわかっているのにフルスイングしなくてどうする」——田中さんは10色分の生地を一気に発注することを決断。当時の役員・中谷真一さんが自分のフォルクスワーゲン・ゴルフを売ってマツダのファミリアに買い替え、差額を会社の資本金に入れて資金を工面してくれました。

このエプロンが大当たりし、続く化粧ポーチも売れに売れた。年商3億6000万円、経常利益3000万円以上。「大量仕入れで原価を下げ、お客さまが買いたくなる価格で勝負する」——これが後のJINSにも繰り返される田中さんのフルスイングの勝ちパターンでした。

しかしこの成功が、次の試練を呼び込みます。


ポルシェ、高級クラブ——そして赤字転落

30歳で手にした成功が、田中さんを有頂天にさせました。

自分と同い年、1963年生まれのポルシェ・カレラを購入。前橋の高級クラブに黒服に車を預けて乗り付け、夜中まで飲み歩く。それが毎日続きました。「バカみたいだが本当の話だ」と本書『振り切る勇気』は正直に書いています。

翌年から業績は急落します。社長が昼に出社してろくに市場動向も追わない間に、中国からの安い輸入品がどんどん入ってきていた。1998年にはついに約2000万円の赤字に転落。

この時期、田中さんはある夢を見ます。高級車に乗る「お金持ちのお父さん」として息子を迎えに行く夢。「でもあのお父さんは、毎朝起きると僕を抱っこしてくれるよ」とつぶやく息子の言葉で、枕が涙で濡れていた——。お金で心の乾きを埋めようとしていた自分に、ようやく気づいた瞬間でした。それから田中さんは、むさぼるように本を読むようになったといいます。


中国バッグでV字回復——「野生の勘」で仕入先を見つける

赤字転落後、田中さんは中国・広州の交易会に単身乗り込みます。中国語も英語も話せないまま。そこで偶然出会ったのが、日本語が話せる女性・ワンさんでした。

「田中さん、あなたは成功しそうだから、特別に教えてあげますよ」

普通ならまず疑う言葉です。しかし「なぜか信用できる気がした」。田中さんはそれを「野生の勘を磨く、というほうが正しい」と説明します。いろいろな人に会い、評判に惑わされず自分の直感でつかむ感性は、机の上では身につかないと。

ワンさんのコネで青島の縫製工場を見つけ、中国製バッグで大当たり。2000万円の赤字を出した翌年に経常利益2100万円まで回復、翌々年には過去最高の売り上げ7億4280万円を記録しました。V字回復の達成です。しかし田中さんはこの勝利に慢心せず、「バッグが売れているうちに次のチャレンジをしなければ」と既に動き始めていた。その答えが、韓国で見つかります。


韓国で見た3000円のメガネ——「9割が反対するところに金の鉱脈がある」

2000年、仕事で知り合った友人に誘われソウルへ。南大門市場で見つけたのが「メガネ1本3000円、15分でお渡しします」という看板でした。友人は大喜びで購入していた。

日本に帰って調べると、メガネ業界はブラックボックスだらけ。フレームとレンズにそれぞれ追加料金がかかり、最終的にいくらになるかわからない。「なんて不透明な商売だ。もっと安くて、ファッションとして楽しめるメガネを売れるはずだ」と確信した田中さんは、アイウエア事業への参入を決意します。

しかし周囲の反応は冷たかった。コンサルタント、金融機関、メガネ業界の専門家——軒並み「やめておいたほうがいい」でした。「5000円のメガネを買う人はいない」とも言われました。

それでも田中さんの背中を押す言葉があった。当時お世話になっていた税理士・細川修一さんが、しばらく黙り込んだあとにポツリと言ったのです。

「もしかしたら、金の鉱脈かもね

9割が反対する中の1割の賛成。逆説的ですが、それがアイデアの可能性の証明でした。「人と違うことをしていなければ、あたらしいものはつくれない」——田中さんはこの言葉を胸に、メガネ事業に踏み切ります。

2001年4月20日、大安の日。「JINS天神店」が福岡・天神にオープン。メガネ一式5000円と8000円のツープライス制で勝負を挑みました。オープン初日に約70本、翌日には開店前から20〜30人が並び、NHKローカルニュースに取り上げられてからは40〜50人がひしめく異常事態に。「受付をストップしていったん店を閉めてもいいでしょうか」と店長が泣きながら電話してくるほどの大盛況でした。


株価50円と、柳井正の千本ノック

しかしその後、老舗メガネチェーンの追い上げ、業態転換の失敗、リーマンショックが重なり、2008年の決算は最終赤字に転落。株価は50円を割り込みます。

連日M&Aの打診が届きます。会社を売って再出発することも頭をよぎった。しかし踏ん切りがつかなかった——そんな迷いの中での、2008年12月24日の柳井正会長との面談でした。

入室から10秒で「御社の事業価値は何か」と問われ、絶句した田中さん。しどろもどろに答える間にも、言葉が矢継ぎ早に飛んでくる。

「『JINS』とはこういう店だと明確に定義し、その中で最高の店をつくらなければいけない」「安くても質が悪ければ見向きもされない」「小売業は、売り上げより利益」「ワン&オンリーをつくらなければ生き残れない」

しかし何より田中さんを揺さぶったのは、この一言でした。

志のない会社は、継続的に成長できない

「志——」。自分の経営に志はあっただろうか。ただ「もうかるから」と事業を拡大してきたのではないか——。徹底的に、自分の足りないところを突きつけられた30分間でした。

その夜、田中さんは寝込んでしまいます。翌日の午前中も起き上がれなかった。しかし午後から回復してくると、考えが変わってきました。

「そうだ、これは一世一代のチャンスだ。経営者としての僕、そしてジェイアイエヌが生まれ変わるためのチャンスなのだ」


熱海合宿でビジョンを決める——そして「桶狭間の戦い」へ

2009年1月7日、田中さんは経営陣を熱海後楽園ホテルに集め、役員合宿を行いました。白熱した議論の末、決まったビジョンがこれです。

メガネをかけるすべての人に、よく見える×よく魅せるメガネを、市場最低・最適価格で、新機能・新デザインを継続的に提供する

戦略は志という根についてくる枝葉だ——柳井会長の言葉の意味が、ようやく腑に落ちた瞬間でした。

田中さんはここから5つの起死回生策を同時に実行します。価格体系の刷新(レンズ追加料金ゼロへ)、店舗デザインの刷新、軽量メガネ「Air frame」の開発と7万本生産、本部スタッフの削減(50人→30人)、そして1カ月5億円の広告宣伝費投入——。

「社長、血迷ったか?」と役員全員が不安な顔をしました。それまでの年間広告費が1億円。それを1カ月で5倍使うというのですから、無理もありません。しかし田中さんは計算していた。「やらないで後悔するよりも、やって後悔したほうがいい。打つときはフルスイングだ」と。

決戦の日——2009年9月17日。田中さんがこの日を「桶狭間の戦い」と呼ぶ日です。リニューアルした原宿店に、Air frameを無料プレゼントするイベントを実施。300メートル先まで行列ができました。

1カ月もしないうちにAir frame7万本の在庫が底をついた。2カ月でさらに4万本が売れた。それまでのヒット商品が月2000本だったことを考えると、桁違いの結果でした。そしてこの勢いが、次の大ヒットを生む土台となっていきます。


ブルーライトという天啓——JINS PCの誕生

Air frameの成功に続き、田中さんに新たな「天啓」が訪れます。

慶應義塾大学眼科学教室の医師・小沢洋子先生が何気なく発した一言が、すべての始まりでした。

「もしかしたら、ブルーライトなんでしょうかね」

田中さん自身、45歳を過ぎてパソコン作業後の目の疲れや頭痛に悩んでいたのです。ブルーライトとは可視光線の中で波長がもっとも短い光。LEDの液晶モニターから多く発せられ、眼精疲労を引き起こすという研究があった。現代人は乳幼児からお年寄りまで、ほぼ1日中モニターを見ている。

「これは9500万人に需要がある」と田中さんは直感します。イタリア・パルマのレンズメーカーに乗り込み、「月10万枚のレンズを購入する」と約束して共同開発にこぎつけます。

2011年9月30日、「JINS PC」発売。2カ月後、Yahoo!トピックスに記事が掲載されると、次の週末だけで4000本が売れ累計7万本を突破。テレビCMを流したのも競合より10分早く——朝6時放映。2012年1月に累計100万本、2014年に350万本を突破。縮小が続いていたメガネ市場で、前代未聞の大ヒットとなりました。


田中さんのこだわり

本書を読むと、田中さんという人間の素顔が随所ににじんでいます。

大みそかの記憶は、数十年を経た今もありありと残っています。怒鳴りつけた名士の顔は、もちろん、その豪邸の様子まで「いまでも」覚えているという田中さん。感謝を述べながら鮮明に記憶し続けているのは、それほど深く刻まれた原体験だということでしょう。

読書への目覚めも印象的なこだわりです。子どものころは「週刊少年ジャンプ」と「週刊少年マガジン」以外ほとんど読まなかったという田中さんが、30代前半の有頂天と挫折の時期に、寝る前に1冊読まないと眠れない日が3年近く続くほどの読書家に変わります。柳井正さんの著書『一勝九敗』を読んで感銘を受け、「ユニクロのような事業ができればメガネ業界で勝てる」という確信を得たのもその読書の賜物でした。

妻の笑顔を田中さんは繰り返し言及します。起業当初に生活費を月5万円しか渡せない苦境の中でも、妻はいつも明るかった。ポルシェで夜中まで飲み歩いていた時代も、妻は何も言わなかった。「本当に苦労をかけた」——飾らない謝罪です。家族への感謝と申し訳なさが、田中さんのものづくりの背景にあります。


田中さんゆかりの地

群馬県前橋市(生まれ育った地):ガソリンスタンドを経営する両親の姿を見て育ち、「自分で商売をやる」という夢を抱いた原点の地です。大みそかの怒鳴り声を受けた名士の豪邸、前橋信用金庫、カフェとメガネを融合させた「ジンズガーデンスクエア」の前橋店など、田中さんのビジネスの歴史が詰まっています。後に「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を立ち上げ、地元から起業家を生み出そうとした強い愛着の地でもあります。

福岡・天神(JINS天神店):2001年4月20日、日本初のJINS店舗がオープンした地です。初日の売り上げは約70本、翌日から行列が生まれ、NHKローカルニュースが取り上げるほどの大盛況に。「受付をストップしていったん店を閉めてもいいでしょうか」と店長が泣きながら電話してくるほどでした。メガネ一式5000円という価格破壊の実験が始まった場所であり、「9割が反対するところに金の鉱脈がある」を証明した地でもあります。

熱海・熱海後楽園ホテル(役員合宿の地):2009年1月7日、柳井正会長との面談で「志のない会社は成長できない」と叩きのめされた田中さんが、経営陣を集めてビジョンを根本から練り直した場所です。「メガネをかけるすべての人に、よく見える×よく魅せるメガネを」というビジョンが生まれ、「桶狭間の戦い」へとつながるすべての戦略がここで決まりました。JINSにとって再生の原点となった地です。


田中さんから学ぶ、3つの教訓

1. 失敗は「フルスイングの直感」を磨く 田中さんが本書で繰り返し語るのは、失敗の効用です。「本気でチャレンジした失敗は必ず糧になる」——机の上でリスク計算ばかりしていると、一歩が踏み出せなくなる。しかし小さな失敗を重ねてきた人間は、「ここぞ」というときのフルスイングの直感が磨かれている。エプロン、ポーチ、バッグ、メガネ——何度も転んできた田中さんだからこそ、Air frameの1カ月5億円という大勝負に迷いなく踏み込めたのです。

2. 守りに入った瞬間、衰退が始まる 信用金庫時代に数多くの会社を見た田中さんは、「守りに入って守り切れた会社はない」と断言します。有頂天になってポルシェを買い、上場後に気がゆるんで守りの姿勢に入り——その度に業績が急落しました。逆に、借金が多くてつぶれそうな会社でも、社長があきらめずにチャレンジし続けて回復したケースも数多く見てきた。「経営者は攻め続けないと、成長しないし安定もない」というのが田中さんの持論です。

3. 「志」がなければ、戦略は根を失う 柳井正さんの「志のない会社は継続的に成長できない」という言葉は、田中さんの経営観を根本から変えました。どんな製品をつくるか、どう利益をあげるかという「戦略」は、志という根についてくる枝葉にすぎない。根がしっかりしていれば、競合が類似品を出そうが価格を下げてこようが、さらに先を行ける。JINSが「メガネの常識を変える」という旗を立て続けられたのは、この志があったからです。


この記事で語りきれなかった『振り切る勇気』の魅力

本書『振り切る勇気』には、ここで紹介しきれなかったエピソードがまだ多くあります。

一つ目は、メガネ業界の「仁義なき戦い」の話です。JINSが大手レンズメーカーとスポーツ用サングラスを共同開発していたところ、大手メガネチェーンが「JINSとの開発を続けるなら取引を打ち切る」と圧力をかけてきた。しかもその大手チェーンが、JINSと共同開発していたサングラスを自社ブランドで発売した——という衝撃の一件です。「あきれてしまった」と書く田中さんの言葉の裏に、「真似するのではなく自分で創る」という信念が一層強くなっていく様子が描かれています。

二つ目は、ウェアラブルデバイス「JINS MEME」への挑戦です。メガネに搭載したセンサーで「眼電位」を計測し、装着者の集中度や眠気、疲れ具合をリアルタイムで把握する——。「メガネが自分を見る道具になる」という発想は、本書執筆時点でもまだ試作の段階でしたが、田中さんがメガネの未来をどこまで見ていたかがうかがえます。

三つ目は、シリコンバレーとスタンフォード大学でのエピソードです。経済産業省の依頼で訪れたスタンフォードで、「あいつができるなら、私にもできそうだ」という空気に触れた田中さんは、群馬を「日本のシリコンバレーにする」という夢を抱きます。「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を立ち上げた背景が、おわりの章に詳しく書かれています。

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まとめ|田中仁さんが教えてくれること

東大卒でも、MBA持ちでも、ハーバード留学経験者でもない。子どものころは10分と座っていられない落ちつきのない暴れん坊で、高校受験では「負け犬」になった気がした——そんな田中さんが、日本一のメガネ企業を一代で築いた。

その道には、エプロン、ポーチ、バッグ、メガネ——失敗と赤字転落と復活が何度も繰り返されていました。ポルシェと高級クラブで有頂天になり、2000万円の赤字を出し、株価50円の窮地に陥り、柳井正に「志がない」と叩きのめされた。

しかし田中さんはフルスイングを選び続けた。「老後になって、あの時に振り切っておけば結果が変わったかもしれないと後悔したくない」——その一念が、日本のメガネの常識を変えたのです。

本書『振り切る勇気』は、輝かしい成功談ではなく、失敗と恥と後悔を赤裸々に書いた経営者の人間ドキュメントです。「このくらいなら僕にもできるんじゃないか」——田中さんが読者に届けたいのは、その気持ちだといいます。

田中さんの生き方に興味を持った方は、ぜひ本書を手に取ってみてください。


参考文献:田中仁『振り切る勇気』(日経BP社、2014年)