ビジネスの教訓や気づきを得られる社長本まとめ

鈴木喬さん|「社長は少しバカがいい」エステーを再建した反骨の経営哲学7選

鈴木喬さん|エステー会長の経営哲学

「危機だ、危機だって、もっともらしい理屈を並べてうるさく言う人がいる。だから、いちいち騒ぐなよ。社長は、少しバカなくらいがいいんだ」

これは、エステー株式会社の会長・鈴木喬さんが著書に記した言葉です。

株価が最高値から95%超暴落し、誰もが「詰んだ」と思っていた会社を引き受けたのは、63歳の新任社長でした。役員会は全員反対。古株幹部は疫病神扱い。それでも鈴木さんは就任演説でこう宣言しました。「俺の目にかなわないヤツは叩き殺してやる」——。

言葉だけではありませんでした。13人いた役員を半減し、860あった商品を280に絞り込み、年間60あった新商品をたったひとつに賭ける。その一品が、「消臭ポット」でした。

年間販売目標1000万個。当時の業界では5年かけて1000万個売れれば大ヒットとされていた時代に、1年での達成を宣言したのです。


鈴木さんは1935年(昭和10年)生まれ。10歳で終戦を迎え、戦後の焼け野原で父親の露天商を手伝いながら育ちました。まともに学校に通えなかった少年が、日本生命で30年を過ごし、63歳でエステーの社長に就任。そして会社を立て直してみせた。

難しい理論も、MBA的な思考も、鈴木さんには無縁でした。頼るのは「運」と「勘」と「度胸」。愛読書はマキャベリの『君主論』と『韓非子』。著書『社長は少しバカがいい』をもとに、その経営哲学を7つのポイントで解説します。


鈴木喬さんの基本プロフィール

項目内容
氏名鈴木喬(すずき たかし)
生年1935年(昭和10年)
出身地東京都
学歴大学卒業後、日本生命保険入社
社長就任1998年(エステー株式会社、63歳)
業種日用雑貨(消臭・防虫・除湿)
趣味歴史(特に戦争史)、街の小売店巡り
座右の書マキャベリ『君主論』、『韓非子』
ゆかりの地東京都(エステー本社)、埼玉県(物流センター)、福島県
信条「イケシャーシャー」(厚かましく元気に生きる)

焼け野原で学んだ「リアリスト」の原点

鈴木さんの家は、祖父の代から苦労続きでした。明治時代に製粉業を営んでいた祖父は機械製粉の波に潰され、逃げるように東京へ。父は15歳から裸一貫ではたらき、原宿に「鈴木東京堂」という日用雑貨のディスカウンター店を築きました。

しかし大空襲で店は全焼。父は50歳を過ぎてゼロから再出発。10歳の鈴木少年は路上に戸板を敷いて売り子をしながら父を助けました。

疎開先でいじめられ、教師にも無視され、腹が減ってヘビやカエルを食べながら生き延びた少年は、戦後に一冊の教科書を渡されます。表紙には「民主主義」と書いてありました。

「民主主義というのは八百長だ。こんなものに騙されてはいけない」

そう固く信じたと、鈴木さんは振り返ります。以来、徹底したリアリストとして生き続けました。


経営哲学①|社長は「纏持ち」であれ

鈴木さんが社長とは何かを語るとき、必ず持ち出すのが江戸の火消しの「纏持ち」の話です。

纏持ちは消火活動をしません。炎が迫る中、屋根の上に立ち続け、纏をグルングルン回しながら「俺の組はここで火を止める」と仲間と世間に示す。高い所から全体を見渡し、即断即決で「右へ回れ」「左手が危ない」と指示を出す。

「これこそ社長業だ」と鈴木さんは言います。地べたに降りて部下と一緒に働く社長は、全体が見えなくなる。社長が一生懸命やりすぎると、明後日の方向に向かって墓穴を掘ることになる。

社長は少しさぼってるくらいでちょうどいい。じっくりモノを考える時間を持たないとダメだ。雑事に追われてフラフラになっている社長に、会社の方向を正しく決める覚悟は生まれません。


経営哲学②|バカになって「本気」を伝えろ

エステーの社長に就任した鈴木さんが最初に取り組んだのは、倉庫に眠る不良在庫の一掃でした。しかし社員は誰も動きません。責任を問われることを恐れ、捨てようとしないのです。

鈴木さんは毎月一回、埼玉の物流センターに自ら車を運転して乗りつけ、5階の倉庫で怒声を上げ続けました。商品ケースを床に叩きつけ、ハァハァ息が切れるまで怒鳴り散らした。

半年経っても誰も動かない。1年かかって、ようやくひとつ減りました。

「俺は何をバカなことやってんだ」と自分でも思うけれど、こんなときはバカになりきるしかない。「責任は問わない」という言葉を社員が本当に信じるまで、派手なパフォーマンスを演じ続けるしかない。

社長業とは「忍耐業」だ——鈴木さんはそう言います。


経営哲学③|大ボラを吹け、ホラも本気で吹けば現実になる

「消臭ポット」の発売を決めたとき、鈴木さんは役員会の了承も得ないまま、全体朝礼でこう宣言しました。

「今朝、枕元に女神が出てきましてね。『消臭ポットでエステーは救われる』とお告げがあった。だから、年間販売目標は1000万個にしようと思う」

もちろん「お告げ」などありません。ただのでまかせ、大ボラです。しかし鈴木さんはこう考えます。もっともらしい理屈を並べても、この目標の正当性は説明できっこない。だったら、ホラを吹いて相手を煙に巻くほうがよっぽどいい。苦笑しながらも「しょうがない、一丁やったるか」と思わせたほうが、社員は動く。

「消臭ポット」の商品名も、居酒屋で社員を相手にホラを吹きまくっているときに生まれました。「消臭力」のネーミングも同じです。ロジカルに考えることと、バカになって大笑いすることを繰り返すうちに、腹の底からアイデアがポンとはじけ飛んでくる。

ホラも本気で吹けば、現実になるのだ。


経営哲学④|挑発には乗るな、歴史に学べ

「消臭ポット」が話題になり始めたころ、競合他社が防虫剤の安値攻勢を仕掛けてきました。エステーの屋台骨を揺さぶる挑戦です。

資料を取り寄せて相手の財務内容を確認した鈴木さんは愕然とします。エステーより体力が圧倒的に上だったのです。値下げ競争は消耗戦。体力のある方が勝つ。しかも相手は非公開企業で、赤字も辞さない戦い方ができる。

「これはまいったな……」と弱り果てた鈴木さんが頼ったのは、歴史の教訓でした。

第二次大戦中の「バトル・オブ・ブリテン」。ヒトラーはなぜ負けたのか。チャーチルの挑発に乗って、戦略を変えてしまったからだ。挑発に乗った者は負ける——。

頭が冷えると、決断が生まれました。「安値攻勢を相手にせず」。

社員からは非難轟々でしたが、鈴木さんはこう檄を飛ばします。「俺たちは価格ではなく価値で勝負する。100円高くて当然なんだ」。

結果、エステーの防虫剤は今も圧倒的なシェアトップを維持しています。

「役に立つのは経営書ではなく歴史だ。経営のいちばん凝縮した局面というのは、戦争そのものだから」——鈴木さんがそう言い切る理由が、ここにあります。


経営哲学⑤|まず怖れられろ。慕われるのは、その後だ

「社長は、社員に舐められるのがいちばんダメだ」

鈴木さんの言葉は明快です。マキャベリはこう問います。君主にとって、愛されるのと怖れられるのとどちらが望ましいか。鈴木さんの答えはこうです。

「まず、怖れられろ。慕われるのは、その後だ」

ただし「憎まれてはならない」。憎しみは復讐心を生み、組織を壊すからです。

そのために鈴木さんは「遠交近攻」を実践しました。役員とは一切個人的に酒を飲まない。変な情が湧いて評価の目が曇ると経営を誤るからです。一方で一般社員とは積極的に親しくする。若い社員との会話から情報とアイデアを仕入れ、上役が部下に余計なことをできない牽制にもなる。

一方で、自分が暴走しすぎることを恐れた鈴木さんは、自ら社外取締役を迎え入れました。「うるさく言ってくれる人がいるから、安心して暴走できる」。そしてこうお願いしたといいます。「もう社長はダメだと思ったら、いつでもタオルを投げ込んでください」。


経営哲学⑥|「運・勘・度胸」こそ社長の武器

「社長に必要なのは、運と勘と度胸。ドシッとした腹なんだよ」

鈴木さんが経営書をほとんど読まないのには理由があります。経営は「現実」との取っ組み合い。現実は血の通った生き物で、理論ごときで太刀打ちできるはずがない。MBAがどうしたとか言っても、理論家で成功した人間などあまり見かけない。

「消臭ポット」の発売直後、鈴木さんは小売店を自ら歩き回って売れ行きをチェックし続けました。妻と長野へ静養に出かけながら、高速道路のインターチェンジごとに降りて販売店を確認する。ホテルについて妻を休ませると、また長野地区の販売店を回っている。妻には「あなた、何しに来てると思ってるの?」と怒られました。

毎日何万回も自己暗示をかけ続けた。「売れる、売れる、売れる」。

発売1週間後、鈴木さんは確信しました。「これは行ける!」

年間販売目標1000万個を達成したとき、鈴木さんが喜んだのは数字よりも別のことでした。「何よりの収穫は、社員が自信を取り戻したことだ」と書き記しています。


経営哲学⑦|日本のためだ、算盤だけでは会社はうまくいかない

2011年3月の東日本大震災。福島第一原発の事故が起き、放射線量を測れるガイガーカウンターが求められている。しかし市場にはほとんどない。

「これは、日本のためだ」

鈴木さんは動き出しました。エステーは生活雑貨メーカーで、放射線測定機器など完全に畑違いです。しかし研究者に頭を下げて回り、わずか3ヶ月半で「エアカウンター」を発売。1万個の初回出荷分は発売初日に完売となりました。

算盤を弾くと完全な赤字。経営者仲間にも「ヘマを打った」と言われ、アナリストからも「プロの経営者と言えるのか」と冷評されました。

鈴木さんは「ハハハ」と笑って答えます。「僕は経営者である前に、日本人だ。日本の皆さんが困っているときにお役に立とうとするのは当たり前だ」

経営は心意気だ。算盤も大事だけど、それだけではうまくいかない。人がついてこない。だって、面白くないもんね。


鈴木さんの失敗談|社員の手紙でぶっ倒れた

震災から約半年後、鈴木さんは救急車で病院に担ぎ込まれました。医者からは「過労が原因では」と言われたものの、本人は別の理由を語っています。

社員全員に「私はエステーをこうしたい」というテーマで手紙を募ったところ、9割以上から反応がありました。社員の奥さんやお子さん、工場で働くハンディキャップのある社員のお姉さんからも手紙が届いた。

「私の弟は字が書けないので、代わってお手紙させていただきます。弟を雇っていただきありがとうございます」

一通ずつ読み進むうちに、たまらない気持ちになった。みんな家族を守るために必死だ。エステーという小さな船に乗り込んで、家族を養おうと懸命に生きている——。背負い込んだ責任の重さに押し潰されそうになって、知恵熱が出たのでしょう、とぶっ倒れた、と鈴木さんは書いています。


鈴木さんのこだわりグッズ

マキャベリの『君主論』と『韓非子』:座右の書として常に手元に置いています。「権謀術数の書」と世間では評判が悪いこの二冊を、鈴木さんはリーダーシップについて学ぶ史上最高の本と評価しています。「根が甘ちゃんな自分の尻を叩くために読んでいる」とも語っています。

iPod(初代):新しいモノ好きで、発売されると真っ先に買います。しかし「どこを押しても動かない」と若い社員に渡すと「社長、充電しないと動きませんよ」と呆れ返られた、というエピソードは本書の笑い話のひとつです。


鈴木さんゆかりの地

東京都荒川区・エステー株式会社本社:生活雑貨「消臭ポット」「消臭力」「脱臭炭」「米唐番」などで知られる日用雑貨メーカーの本拠地。社長室にこもるのが苦手な鈴木さんは、いつも社内をフラフラと歩き回り、若い社員に話しかけていたといいます。

埼玉県熊谷市・物流センター:在庫削減の大戦場。鈴木さんが毎月一回自ら車を運転して乗り込み、5階の倉庫で怒声を上げ続けた場所。ここでの1年越しの戦いが、会社再建の出発点となりました。


鈴木さんから学ぶ、経営者への3つの教訓

1. 社長の武器は腹と言葉だ 理論でも学歴でもない。「俺の目にかなわないヤツは叩き殺してやる」という就任演説のような、腹から出る言葉が組織を動かします。もっともらしいことを言う社長より、大ボラを吹く社長のほうが、社員は「しょうがない、やったるか」と動き出す。社長の言葉は、覚悟の大きさで決まります。

2. 挑発には乗るな、己の道を進め 競合が安値攻勢をしかけてきたとき、鈴木さんは歴史の教訓から「挑発に乗ったヒトラーは負けた」を引き出しました。価格競争に巻き込まれず、「価格ではなく価値で勝負する」という軸を守り切った。ブレない軸こそが、長期的な勝利につながります。

3. 算盤だけでは人はついてこない エアカウンターの赤字販売は、経営の論理だけでは説明できません。しかし「日本のためだ」という一念が社員を動かし、震災後という苦境のなかで過去最高の売上を叩き出す底力を引き出しました。経営は心意気。面白くない会社には、人がついてこない。


この記事で語りきれなかった鈴木さんの魅力

著書『社長は少しバカがいい』には、まだまだ紹介しきれないエピソードが詰まっています。

たとえば「米唐番」誕生の瞬間。「コメがうまいよ、米唐番♪」というCM曲を鈴木さんが先に自作して社員に聞かせるシーンは、呆れと笑いと感動が混在する名場面です。戦時中の疎開体験からコクゾウムシの商機を嗅ぎつける嗅覚に、思わず笑ってしまいます。

また「消臭ポット」の年間1000万個販売目標を「女神のお告げ」として朝礼で宣言し、役員会の了承を得ないまま既成事実にしてしまうくだりは、痛快でありながら社長の覚悟の重さも伝わってきます。

さらに、40年以上にわたって続けてきた独裁的経営を、東日本大震災後に「フォーメーション経営」へと自己否定して転換するくだりは、「変わり続けることこそ強さだ」という鈴木さんの哲学の集大成です。

本書には、エステーという会社を通じた鈴木さんの半生が、臨場感たっぷりに詰まっています。経営書というよりも、腹に響く人生訓として読める一冊です。

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まとめ|鈴木喬さんが教えてくれること

63歳で火中の栗を拾い、暴走しながら会社を立て直した男。その哲学はシンプルです。

難しい顔をして理屈を並べるな。腹をくくって大ボラを吹け。挑発には乗るな。算盤だけでなく、心意気で社員を動かせ。そして、どんな危機が来ても、「ハハハ」と笑って顔を上に向けろ。

「社長は、少しバカなくらいがいいんだ」

この言葉は、鈴木さんが焼け野原の東京で10歳から生き延びてきた、リアリストの覚悟から生まれた言葉です。


参考文献:鈴木喬『社長は少しバカがいい。乱世を生き抜くリーダーの鉄則』(WAVE出版、2013年)