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1996年1月、東京・三軒茶屋。
駅前から徒歩12分。商店街と住宅街の混在する、どう見てもふらりと寄ってくる客はいそうにない場所に、一軒の焼肉店がオープンしました。
オープン初日は折込チラシが当たって満員に。しかし準備不足のあまり肉は遅れ、野菜は食後に出てくる始末。怒号が飛び交い、99%の客が怒って帰ったそうです。
1週間後には一日の売上が1万5000円まで急落。客単価3000円として、5人しか来ない日が続きました。
——西山知義さんは妻とふたり、冬の駅前に立ってビラを配り続けました。
その店が「牛角」となり、創業から6年で全国522店舗に広がっていくのです。
本書『想い』は、レックス・ホールディングス(現レインズインターナショナル)代表取締役社長・西山知義さんが、父の借金地獄の幼少期から、不動産会社での盗難事件、マクドナルドでのアルバイト、焼肉1号店の悪戦苦闘、そして妻の脳腫瘍という試練まで、赤裸々に書き下ろした一冊です。
「感動創造」という理念がどこから生まれたのか、三茶の焼肉屋がなぜ全国チェーンになれたのか——その答えが、一冊を通じて見えてきます。
西山知義さんの基本プロフィール
| 氏名 | 西山知義(にしやま ともよし) |
| 生年 | 1966年3月19日、東京都世田谷区 |
| 創業 | 1987年不動産会社設立→1996年1月「焼肉市場七輪」(後の牛角)三軒茶屋に開店 |
| 役職 | レックス・ホールディングス代表取締役社長 |
| 主な実績 | 牛角を全国チェーン化、成城石井・am/pmとの経営統合 |
| 著書 | 『想い』(アメーバブックス、2006年) |
ジェットコースターの幼少期——家が一晩で「他人のもの」になった日
西山さんの原点は、不動産ブローカーだった父との生活にあります。
父は北海道から九州まで土地を股にかける「昔ながらのちょっと荒っぽい商売」をしていました。テレビCMを流すほどの規模になったかと思えば、オイルショックで倒産して一晩で引越しを余儀なくされる。また一儲けして一軒家を建てたかと思えば、再び債権者が押し込んでくる。「ジェットコースターのように周期的に激しくアップダウンする生活」——これが西山さんの子ども時代でした。
家に他人が土足で上がり込んでくる光景を何度も目にした。母は泣き崩れ、弟は震えていた。
しかし父は子どもを見放すことなく、男気たっぷりに接し続けました。水泳大会で入賞した日には、近所の駄菓子屋でプロ野球カードを段ボール2箱分丸ごと買ってくれた。「わあっ、すっげえな、お父さんてすっげえ、信じられない」と見上げた息子に、父は何も言わずに笑っていた。
「頑張ってやり遂げると、ご褒美がドカーンとやってくる。その達成感とサプライズ——父がもたらした突き抜けるような感動が、後に私のなかで熟成していくことになる」
本書『想い』の中で西山さんはそう書いています。父のサプライズへの熱望が、後の「感動創造」という経営理念の原型となっていったのです。
不動産会社の金庫から600万円が消えた夜
高校卒業後、西山さんは不動産会社に就職し、入社1年目にしてトップセールスになりました。21歳で独立。渋谷のワンルームマンションに事務所を構え、賃貸物件の管理業をスタートします。
しかし順調には進みませんでした。自分一人のトップセールスの腕に頼っていたため、チームマネジメントができない。部下を叱り飛ばすばかりで、社員が定着しない。「社員が1人入れば、別の1人が辞めていく」という悪循環。そうして歩合制の営業マンたちを雇ったのが、さらなる試練の始まりでした。
起業4年目、朝一番に社員から電話が入ります。
「社長、たいへんだ。金庫が空です」
会社の金庫から資金が全額600万円消えていた。当時の会社にとっては大金です。警察を呼んだが「証拠不十分」。社員全員の指紋が付きすぎていて、特定できない。2週間、毎晩社員全員を残して「誰がやったんだ」と問い続けたが、誰も口を割らない。さらに追い打ちをかけるように労働基準局から給与未払いの通達が来る。
「渋谷の街をうろうろとうろついた。俺の夢ももうおしまいだ。俺はここまでの男だったんだ……」
目を覚ますと、西山さんは冷静さを取り戻していた。何があっても、諦めるわけにはいかない。その一心でした。
社長がマクドナルドにアルバイト入社した理由
金庫盗難事件のトラウマの中、西山さんは書店でとある本に出会います。マクドナルドの企業戦略について書かれたビジネス書でした。
全国どの店でも同じ待ち時間で同じ味を出せる仕組み。アルバイトのモチベーションを上げる評価制度。「職人不在のマクドナルド」——これが、不動産の営業マンたちに振り回されていた西山さんの求めていた答えでした。
「これだっ!」
西山さんは社長という身分を隠し、マクドナルドのアルバイト募集に応募しました。 昼間は不動産の仕事をこなし、夕方から半年間、マクドナルドで働いたのです。
驚いたのは「職人不在の業務システム」ではなく、アルバイトたちの意識の高さでした。楽しそうに働いている。勉強している。なぜうちの会社と違うのか——。
ある日、ポテトを揚げていた西山さんに店長が言いました。「7分経ったものは、すぐに処分して下さいね」「え?もったいないじゃないですか」「でも、考えてみて。君がお客様だったら、どう思う?」
「何を、どう売るべきかではなく、お客様にとって何がよいものか」——マクドナルドはお客様の満足を問い続けていた。
西山さんは衝撃を受けました。不動産屋として自分は「お客様を攻略する対象」としか見ていなかった。売り手の都合ばかりを押しつけていた。背中に冷や汗が流れる感覚があった。
このマクドナルドの経験が、後の「お客様に感動していただきたい」という理念の直接の源泉になっていきます。
「立地の悪いところに出す」という逆張りの発想
不動産業での「差別化」に限界を感じた西山さんが次に目をつけたのが、焼肉業でした。
焼肉は職人の料理ではない。肉を掃除したりスープを作ったりという手間のかかる作業は、店に届ける前段階で済ませておける。アルバイトが対応できる仕組みを作ることができる——マクドナルドで学んだ「職人不在のビジネスモデル」を焼肉に応用できると直感したのです。
物件探しには一つの信念がありました。
「立地の善し悪しは問わない。むしろ二等地のほうが適している」
一等地に出せば立地の力で客が来てしまう。しかし「立地が悪くてもお客様に来ていただける店」を作らなければ、本当の差別化にはならない——そういう考えでした。
見つけた物件は三軒茶屋の駅前から徒歩12分。それまで入っていた居酒屋が集客に失敗して撤退した場所でした。旧店主は吐き捨てるように言いました。「ここで商売やるのは難しいよ」。西山さんは逆に闘志を燃やしました。
1996年1月、「焼肉市場七輪」オープン。開店資金は約1000万円(居抜きの居酒屋を借りた)。17坪28席、家賃28万円。内装には古材とジャズのBGMを使い、当時の焼肉屋にはあり得なかった落ち着いた雰囲気の店を目指しました。
「悪口を言ったら300円引き」——お客様の声を集める仕組み
開店初日は折込チラシが効いて30人以上が並んだ。しかし8人しかいないスタッフでは対応できず、肉は遅れ、野菜は食後に出てくる。怒号が飛び交い、スタッフは泣きそうになった。ほぼ全員が怒って帰っていった。
その後一日の売上は1万5000円にまで落ちた。
寒い冬の駅前で、西山さんは妻とふたりでビラを配り続けました。そこで西山さんは一つのアイデアを思いつきます。
「お客様に悪口を言ってもらおう。悪口1つにつき300円を割り引く」
これが後の「牛角」全体を変えていく礎となりました。本書『想い』には、その第一号の場面が鮮明に描かれています。
ある日、子ども2人を連れた4人家族が帰るとき、西山さんは声をかけました。「何か問題があれば、ぜひお聞かせください」。するとお父さんが手を横に振って言いました。
「いや、悪口なんてないよ。今まで焼肉は高くて、子ども連れでは2カ月に1度食べられればいいほうだったんですよ。でもおたくができたお陰で1カ月に2度も食べられるようになった。食べ盛りの子どもたちは大喜びですよ。ありがとう」
「嬉し涙で、思わずお客様の顔が滲んで見えたほどだった」——西山さんはそう書いています。
この瞬間から「喜んで!」という掛け声が始まりました。オーダーが入ったとき、スタッフ全員が声を揃えて高らかに応える。「いらっしゃいませ」「はい、喜んで!」——これが「牛角」の原点となる文化でした。
悪口は「正」の字でノートに書き記し、同じ指摘が5つたまったら「即改善」へ。タレの味がブレる問題は、塩が固体だから計量にムラが出ると気づき、白醤油で代替することで解決。こうして細かい改善を積み重ねながら、店は少しずつ変わっていきました。
妻の脳腫瘍——「余命3〜4カ月」と告げられた夜
1999年の秋、社員旅行で札幌近郊にいた西山さんに、妻から電話が入りました。「顔が痛くて、また病院に行ってきた……」「脳に……腫瘍ができているって」。
翌日、横浜国立医療センターの藤津和彦先生から告知されました。「腫瘍が非常に速いスピードで大きくなっています。考えられる段階は4つ。いちばん可能性が高いのは、残念ですが、あと3〜4カ月の命……」
この頃、レインズインターナショナルは株式上場を翌年に控えていました。西山さんは病院・会社・自宅・保育園を駆け巡る日々が始まります。朝、まだ2歳の息子を緊急保育に預け、夕方は見舞いに行き、夜は深夜まで仕事をする。迎えに行った時の息子の寝顔を見るたびに、いたたまれなかった。
「うちのが余命3カ月と言われた。みんな悪いな。株式公開を延ばしてくれないか」
社員たちに告白した瞬間、張り詰めていた糸が切れる音がした。しばしの沈黙の後、社員が言いました。
「社長、1時間でも長く奥様と一緒にいてあげてください。俺たちが会社を守ってますから。株、公開させますから」
手術日は息子の誕生日と重なっていました。12時間後、手術室のドアが開き、藤津先生がマスクを外しながら言いました。「取り除きましたよ、悪いものは全部」。西山さんは人目もはばからず、男泣きに泣きました。
手術の翌日、消印が手術日当日の一通の手紙が届きました。術前に妻が看護師に頼んで投函しておいたものでした。
——もし手術の後、私の目が覚めなかったら、子どもをよろしくお願いします。早くいい人を見つけて、幸せになってください……。今までありがとう……。幸せでした。貴方の成功を、心からお祈りしています——
「自分の家内ながら強い人間だと思った。誇りの高い人間だとも思った」
この経験から西山さんは教えられました。「少しのことで苛立ったり、苦しいと思ったりして人生をつまらないものにしてはいけない。今こうして生きていることが素晴らしいのだ」と。
西山さんのこだわり
本書を読むと、西山さんの経営スタイルの核心が浮かびあがります。
「お客様に感動していただく」ことへの執着は、最初の焼肉店の時代から変わりません。開店時は「悪口300円割引き」でお客様の本音を集め、同じ指摘が5つたまれば即改善。BSEの危機では新聞に全面広告を出し、誠実さを伝える文章を一晩で書き上げました。「お客様が多いお店の条件は、飲食店もコンビニもスーパーも変わらない。接客サービスが素晴らしいお店。想いの強いお店」——これは一貫した信念です。
二等地への出店もこだわりの一つです。三軒茶屋の最初の店もそうでしたが、「立地が悪くてもお客様が来てくださる店こそ、本当に差別化できた店だ」という思想は、「牛角」の全国展開においても貫かれていきました。
社員への感謝も随所に滲みます。妻の手術を前に「株式公開を延ばしてほしい」と告白したとき、社員たちが「俺たちが会社を守りますから」と言ってくれた言葉は、西山さんにとって生涯忘れられないものになっています。「何があってもなぜか私についてきてくれる大切な社員たち——絶対に日本一だと胸を張れる会社にしたい」。その一心が全てを突き動かしていました。
西山さんゆかりの地
東京・世田谷区三軒茶屋(牛角1号店):駅前から徒歩12分、集客に失敗した居酒屋の居抜き物件。「ここで商売するのは難しいよ」と言われたこの場所で、西山さんは「立地が悪くても来ていただける店をつくりたい」という信念を実証しました。1日の売上1万5000円から出発し、「喜んで!」の掛け声と悪口300円割引きが生まれた場所です。
東京・世田谷区自由が丘(父の故郷・夢の地):祖父が戦時中に家を失い、父が「一家5人で4畳半。ひどく貧乏で辛かった」と語り続けた地。西山さんは父の話を聞いて心に誓いました。「成功して大社長になったら、親父が生まれた自由が丘に大きな家を建ててやろう」。のちに実際に家を建て、両親の復縁まで実現させました。
横浜国立医療センター(妻の手術が行われた病院):名だたる病院を差し置いて妻が選んだのは、「きれいに戻してあげる」と言ってくれた藤津和彦先生がいた病院でした。12時間の大手術を乗り越え、妻が生還した場所。西山さんが「命の尊さと生きているありがたみ」を最も深く学んだ地でもあります。
西山さんから学ぶ、3つの教訓
1. 「悪口を集める仕組み」こそ差別化の源泉 西山さんが「牛角」でやったことは、お客様の本音をシステムとして集め、「正」の字が5個たまれば即改善するという単純な仕組みです。「牛角」という店名も「いつでもお客様の声を聞き、より良い店に変えていこう」という意味を込めて名付けました。差別化は高尚な戦略より先に、お客様の声を真剣に受け止める姿勢から始まる——これが西山さんの経営の出発点です。
2. 「立地が悪くても来てもらえる店」を作ることが本当の価値 「一等地に出せば集客できる。しかしそれは立地の力であって、自分たちの力ではない」という発想で、三軒茶屋の二等地を選んだ西山さん。「立地が悪くてもお客様が足を延ばしてくださるようになれば、それこそ差別化が完成した証拠だ」という逆張りの哲学は、今日の「何のために会社をやっているのか」を問い続ける姿勢と表裏一体です。
3. 情熱と想いは「届く」——人を動かすのは理屈ではなく熱量 肉の問屋30〜40軒を回り、「1皿490円でブランド牛のようにおいしい肉を出したい」と頭を下げ続けた西山さん。「ふざけるな」と怒鳴られても、「日本一お客様に喜ばれる焼肉チェーンをつくりたい」と力説し続けた。たった1軒の焼肉屋でありながら「まるで一大チェーンのオーナーのように」語ることで、ひとりまたひとりと賛同者が現れました。「想いは必ず届く」——これが本書全体を貫くメッセージです。
この記事で語りきれなかった『想い』の魅力
本書『想い』には、ここで紹介しきれなかったエピソードがまだ多くあります。
一つ目は、BSE(狂牛病)危機との戦いです。牛肉の安全性が社会問題になった時期、西山さんは逃げるのではなく、「BSEのせいにしてはいけない」と一晩で新聞の全面広告の文章を書き上げました。「すべてはお客様の笑顔のために」という企業姿勢を正面から訴えたことで、「牛角」は売上25%の減少にとどめることができました。
二つ目は、am/pm・成城石井との経営統合の話です。「コンビニのM&Aがあれば探してほしい」と伝えたら最初は「そのような案件は一切ありません」と言われながら、1社だけ「話を聞いてもいい」という答えが返ってきた。それがam/pmでした。さらにam/pmと統合したばかりの財務的に厳しいタイミングで成城石井の案件も舞い込んできます。「諦めたくない」という一念で決断した経緯が、おわりにに詳しく書かれています。
三つ目は、マクドナルドのアルバイト体験のその後の話です。西山さんはマクドナルドだけでなく、さらに2社の不動産会社にも就職して勉強を続けました。「社長なのにアルバイトばかりしてどういうつもりなんです?」と社員に訝しがられながらも、「何としてでも新しいビジョンを描き出し、事業の流れを変えたかった」という信念が揺らぐことはありませんでした。
📚想い 三茶の焼肉、世界をめざす(アメーバブックス)を読んでみる
まとめ|西山知義さんが教えてくれること
1日の売上が1万5000円の日が続き、妻が余命3〜4カ月と告げられ、上場間際の会社を抱えながら孤軍奮闘した男が、三茶の焼肉屋を6年で全国522店舗にした。
その道のりには、金庫から600万円が消えた夜があった。渋谷の街をうろついた夜があった。社員全員に向かって「株式公開を延ばしてくれないか」と打ち明けた夜があった。
それでも西山さんは手を止めなかった。悪口を言ったら300円引きと言い続けた。肉の問屋30〜40軒を回り続けた。寒い冬の駅前でビラを配り続けた。
「もっともっと多くの方々に必要とされる企業になりたい。もっともっと多くの方々に必要とされる人間になりたい」——本書の冒頭に記されたこの言葉が、西山さんの原動力です。
本書『想い』は、外食産業の成功談でも経営ノウハウの本でもなく、「想いさえあれば人は動き、組織は変わり、お客様の笑顔が生まれる」ということを体験と失敗から積み上げた一冊です。
西山さんの生き方に興味を持った方は、ぜひ本書を手に取ってみてください。
参考文献:西山知義『想い 三茶の焼肉、世界をめざす』(アメーバブックス、2006年)
