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古いピックアップ・トラックの荷台には、猟犬を入れる檻が積まれていました。運転席の男が被っているのは、店のロゴが入った野球帽。散髪は町の広場の理髪店で済ませ、宿泊はいつも安いモーテル。この一見どこにでもいる田舎の商人こそ、当時アメリカで一番の富豪と報じられた人物でした。
1985年、『フォーブス』誌がその名を「アメリカ一裕福な男」に指名したとき、ベントンビルの小さな町にレポーターやカメラマンが押し寄せました。彼らが期待したのは、札束で葉巻に火をつける大富豪の姿です。ところが目にしたのは、猟犬を積んだピックアップを自分で運転する、質素な老人の姿だけでした。
その男の名は、サム・ウォルトンです。この記事は、世界最大の小売企業ウォルマートを一代で築いた彼が、自らの人生と会社の歴史を綴った自伝『ロープライスエブリデイ』をもとに、田舎の雑貨屋から世界一へと駆け上がった経営を読み解きます。
サム・ウォルトンの経営思想を一言で表すなら「逆流を泳ぐこと」です。誰もが無理だと言う小さな町で、低価格ただ一本に賭けて常識に逆らい続けた商人でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | サム・ウォルトン(Samuel Moore Walton) |
| 生没年 | 1918年〜1992年 |
| 出身 | アメリカ・オクラホマ州キングフィッシャー |
| 学歴 | ミズーリ大学卒業(経営学) |
| 会社 | ウォルマート(創業者・会長) |
| 経歴 | J・C・ペニーで小売業を学び、1945年にアーカンソー州ニューポートでバラエティ・ストアを買収して独立 |
| 転機 | 1962年、アーカンソー州ロジャーズにウォルマート一号店を開店。ディスカウント商法で拡大 |
| 本書の主題 | 田舎町の小さな雑貨店を、低価格への執着と逆張りの経営で世界最大の小売会社へ育てた記録 |
| 著書 | サム・ウォルトン、ジョン・ヒューイ『ロープライスエブリデイ』(竹内宏監修、同文書院インターナショナル、1992年) |
なぜサム・ウォルトンは、路上の一セントを拾うのか
サム・ウォルトンを理解する鍵は、まず「1ドルの価値」への並外れた敬意にあります。彼を長年撮影してきた写真家が、こんな実験をしたことがありました。
飛行場で5セント硬貨を道の上にわざと落とし、助手にこう言うのです。「彼がこれを拾うかどうか見てみよう」。何機もの飛行機が離着陸を繰り返すなか、大急ぎで歩いてきたサム・ウォルトンは、撮影のために立ち止まると、迷わずこう言いました。「オーケー、どこに立てばいいのかね、この5セント硬貨の上かね」。
この徹底したケチぶりは、単なる性分ではありません。大恐慌のなかで育った経験が、金銭に対する彼の考え方を根っこから形づくっていました。父トーマスは大恐慌の初期にすべての仕事を失い、代々土地を持ってきた善良な農家から何百という農地を取り上げる、辛い役目を負った時期もありました。
少年時代のサム・ウォルトンは、朝早く起きて牛乳を絞り、午後のフットボールの練習のあとに配達して回りました。うさぎやハトを飼って売り、7、8歳の頃から雑誌の販売も始めていました。「金を出してもらうのではなく、家計を助けることが大切だ」——両親から受け継いだこの姿勢が、後の経営の土台になりました。
だからこそ、ウォルマートが年商500億ドルを超える会社になっても、彼は宿泊代を切り詰め、社用ジェットもなかなか買おうとしませんでした。理由は明快です。ウォルマートが1ドルを無駄にするたびに、それがお客さまのポケットに直接響く。1ドルを節約するたびにライバルより一歩先んじられる——彼はそう信じていました。では、この商人はどこで自分の店を持ったのでしょうか。
5年契約の落とし穴が、サム・ウォルトンから最初の店を奪った
小売業への第一歩は、ミズーリ大学を卒業した1940年、J・C・ペニーの管理者見習いとして始まりました。給料は月額75ドル。そこで彼は、いかに少ない紐と紙で商品をきれいに包むかを、優れた店長から徹底的に学びます。
戦争を経て1945年、退役したサム・ウォルトンの頭には「自分で店を持つこと」しかありませんでした。ただし妻ヘレンが一つ条件を出しました。「人口1万人以上の町はだめよ」。大都市には住まない——この約束が、後に小さな町を狙うウォルマート戦略の伏線になりました。
彼が手に入れたのは、アーカンソー州ニューポートの、まったく流行っていないベン・フランクリンのバラエティ・ストアでした。27歳、契約評価のノウハウも知らないまま、彼は5000ドルの自己資金と義父からの2万ドルの借金でこの店に飛びつきました。「5年以内にアーカンソーで一番のバラエティ・ストアにしたい」と、有頂天でした。
通りの向かいには、2倍の売り上げを誇る強力なライバル、ジョン・ダナムの店がありました。サム・ウォルトンは毎日そこへ通い、値段もディスプレイも徹底的に観察しました。ライバルの妻がのちに笑って振り返るほど、彼はいつも相手の店にいたのです。「学ぶべきことは、教科書ではなく通りの向かいにある」——この現場主義が、彼の生涯を貫きました。
この時期、彼はさまざまな販売促進の実験も重ねました。歩道にポップコーンの機械を出すと爆発的に売れ、勇気をふるって銀行から1800ドルを借り、その横にソフトクリームの機械を並べました。銀行から金を借りるのは初めてでした。「ばかげたアイスクリームの機械で無一文になった男だと記憶されるのはご免だった」と本人は笑いますが、この新しい試みも見事に利益を生みました。思いついたことは何でも店で試す——彼の商魂は、この頃すでに全開だったのです。
やがて売り上げは前オーナー時代の7万2000ドルから、初年度10万5000ドル、翌年14万ドル、その翌年には17万5000ドルへと伸び、ライバルを追い抜きました。5年でニューポートは、6州すべてのベン・フランクリンのなかで売り上げ・収益ともにナンバーワンの店になったのです。
ところが、ここに落とし穴がありました。舞い上がっていた頃、彼は借地契約に「5年後に更新の選択権が自分にある」という条項を入れ忘れていたのです。成功に目をつけた地主は、いかなる額でも契約を更新しないと通告してきました。店を息子にやりたかったのでした。
「私のビジネス生活で最悪の時期だった」とサム・ウォルトンは記しています。すべて正しいことをやったつもりが、町から追い出されてしまった。悪夢のようでした。それでも彼は絶望しませんでした。トラブルとは自分に突きつけられた挑戦状だと考える性分だったからです。彼はヘレンとともに、新しい町を探し始めました。
サム・ウォルトンが、さびれた田舎町ベントンビルを選んだ理由
新しい店を探す旅で、一家がたどり着いたのがアーカンソー州北西部でした。妻の実家に近く、4つの州にまたがる格好の猟場も近い。そんな理由もあって、彼らは人口7000人のニューポートよりずっとさびれた、人口約3000人の田舎町ベントンビルに目をつけます。
「こんなところに住むなんて信じられない」——ヘレンがそう思ったほど、この町は寂れていました。しかも町の規模には不釣り合いなことに、すでに3軒ものバラエティ・ストアがひしめいています。それでも、競争を愛するサム・ウォルトンには、ここが「もう一度完全にやり直せることを証明する格好の場所」に見えたのです。
彼は隣の理髪店を99年契約で借りました。「5年契約にはもう懲りていた」からです。ニューポートでの手痛い失敗が、彼を確実に慎重にしていました。
そしてこの店で、彼は当時としてはまったく新しい実験に踏み出しました。ミネソタ州でセルフ・サービス方式の店が始まったという記事を読んだ彼は、一晩バスに揺られて視察に向かい、その仕組みを自分の店に持ち込みました。チャーリーと彼がベントンビルに開いた店は、全国で3番目のセルフ・サービスのバラエティ・ストアであり、近隣8州では最初のものでした。
彼はいつも新しいことを思いつき、店で試さずにはいられませんでした。ある時はニューヨーク土産のサンダルを1組19セントで通路の端に積み上げ、信じられない速さで売り切りました。「ビジネスが順調だからといって、決してそのまま放っておけるものではない」——絶えず現状に手を入れひねくりまわす。この飽くなき実験精神こそ、後にウォルマートを成功させた最大の原因の一つでした。
やがて彼は、一つの籠にすべての卵を入れる危険を二度と味わうまいと、次々に出店していきました。しかし、彼の心をとらえて離さない、もっと大きなアイデアが芽生えつつありました。それが「ディスカウント」でした。
全商品を安く売る——サム・ウォルトンが賭けた「常識外れ」の一号店
1950年代の終わり、ハーブ・ギブソンという商人が、誰よりも安く、誰よりも多くの品物を売るディスカウント商法でアーカンソー北西部に進出してきました。「行動を起こさなければならないことはわかっていた」とサム・ウォルトンは書いています。
彼はまず、慣れ親しんだフランチャイズ元のバトラー・ブラザーズに、ディスカウント事業への支援を熱心に頼みました。しかし断られました。残された選択肢は二つ。このままバラエティ・ストア業界に留まって手痛い打撃を待つか、自らディスカウント・ストアを開くか。彼は座して標的になるつもりはありませんでした。
誰もこの賭けには乗りたがりませんでした。弟のバドが3パーセント、経営者に引き抜いたドン・ウィテカーが2パーセント出資し、残る95パーセントをサム・ウォルトン自身が背負いました。妻ヘレンもすべての手形に署名し、家や土地など持っているものすべてを担保に入れて、彼はこの一手に人生をかけました。
こうして1962年7月2日、アーカンソー州ロジャーズに、ウォルマート一号店が開店しました。彼はこのとき44歳でした。看板の一方の端には「低価格販売」、もう一方の端には「満足を保証」と書かせました。この二つの言葉こそ、今なお会社の根幹をなす基本理念です。
開店の日は、蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。数台のトラック分のスイカを歩道に積み上げ、駐車場では子どもたちをロバに乗せる。ところが華氏115度(摂氏46度)の猛暑でスイカが割れ始め、ロバが暴れ出し、すべてが駐車場に散乱してしまったのです。「私が見てきたなかで最低の小売店だった」と、のちの経営最高責任者デビッド・グラスは当時の光景を振り返っています。それでも当のサム・ウォルトンは上機嫌でした。最初の店を開き、経営してみて、うまくいくとわかったからです。
正直に言えば、ロジャーズの一号店はそれほど立派なものではありませんでした。ディスカウントの本質を示すのは、その少しあとに開いた店でのできごとです。天井は8フィート、床はコンクリート、棚はむき出しの木の板。今にも倒れそうで、宣伝もけばけばしく、商品は重苦しく積み上げられている。「本当に醜悪だった」と本人も認めています。
しかし、その店はライバルより20パーセントも安かった。人口わずか6000人の町の客が、純粋に価格だけのために納屋のような店に来て買うかどうか——彼が知りたかったのはそれでした。答えは「イエス」。この確信が、ウォルマートの進むべき道を照らしたのです。
かつて彼は、ある業者から婦人用パンティを1ダース2ドルで仕入れ、それを4枚1ドルで売ることを覚えました。1個あたりの利益は半分でも、3倍以上売れれば全体の収益はずっと大きくなる。「値上げ幅を抑えれば、販売量増加により収益は増える」——これがディスカウントの真髄でした。彼はこの単純な真理に、店を担保に入れてまで人生を賭けたのです。
Kマート250店に対しウォルマート19店——それでも逆流を泳いだ商人
ウォルマートが産声を上げた1962年は、奇しくもディスカウント業界にとって歴史的な年でした。この年、Kマートが第一号店を開き、ウールワースがウールコー、ディトン・ハドソンがターゲットの一号店を開きました。そして、アーカンソーのロジャーズに下ったある独立系の業者が、ウォルマートとかいう店を始めたのです。
当時、この最後の男を知る人はほとんどいませんでした。5年経ったとき、Kマートは250店・売上80億ドル超。対するウォルマートはわずか19店・900万ドルです。差は、誰の目にも絶望的に見えました。
それでもサム・ウォルトンは、この圧倒的な弱者の立場こそが強みだったと振り返っています。「私は一生涯を通じて逆流のなかを泳いできた」。田舎の小さな地域社会で、資金不足のなかで始めたからこそ、学び、行動することを強いられた。もし十分な投資を受けていたら、ハリソンやロジャーズのような小さな町には出店しなかったかもしれない、と言うのです。
彼が最初に学んだ大きな教訓は、こうでした。この国の小さな町には、誰も夢見たことがないほど多くのビジネスが待っている。大手が見向きもしない人口5万人以下の町——そこにこそ、宝が眠っていました。
競合他社が「人口5万人以下の町では長くディスカウント・ストアは経営できない」と言い続けるあいだ、彼は正反対の方向へ進み続けました。地域社会では教会の理事を務めるほど保守的な人間でしたが、マーケットでは常に現状を揺さぶり、ちょっとした無政府状態を生み出すことを楽しむ一匹狼だったのです。
彼はライバルの店に足しげく通い、注文の間隔や在庫の管理法を、小さなノートに書き留めては学び続けました。ある競合店でしゃがみ込んで商品棚の下を覗いていた彼に旧知の男が声をかけると、「ちょっとした研修、というところかな」と答えたといいます。世界一の富豪になっても、彼は生涯、床に這いつくばって学ぶ商人でした。
ウォール街で腰蓑を穿いて踊った、サム・ウォルトンの企業文化
ウォルマートを語るうえで欠かせないのが、独特の企業文化です。その象徴が、ベントンビルの本部に数百人が集まる「土曜日の朝の会議」でした。
早朝から人を集め、その顔に笑みを浮かべさせるには、堅苦しい説教だけでは務まりません。この会議はしばしば柔軟体操をしたり、歌を唄ったり、著名人がゲストに現れたりと、まるでショーのように運営されました。ゼネラル・エレクトリックのジャック・ウェルチ会長が現れることもあれば、コメディアンが爆笑をさらうこともあったのです。
こうした型破りな習慣の一部は、意外な場所から持ち帰られたものでした。1975年、サム・ウォルトンはヘレンとともに韓国と日本を旅しました。ソウル郊外のあるテニスボール工場で、彼は労働者たちが一日の初めに全員で会社の応援をし、体操をする光景を初めて目にしました。「集団にやる気を起こさせる手段は、別の集団に対しても有効だ」——そう直感した彼は、帰国するやいなや、この習慣を店や土曜の会議で試すのが待ちきれない様子だったといいます。文化の違う異国の現場からさえ、彼は貪欲に学び取ったのです。
しかし、これはただのお祭りではありません。会議の本当の目的は、会社の弱点を全員でさらけ出し、その週末のうちに改善策を実行することにありました。他の小売業者が休んでいる週末こそ、ウォルマートが動く時間だったのです。
このお祭り精神が最も鮮やかに表れたのが、1984年のできごとです。サム・ウォルトンは経営幹部のデビッド・グラスと、「ウォルマートが8パーセントを超える税引き前利益を上げられるか」という賭けをして、負けてしまいました。
罰は、腰蓑を穿いてウォール街でフラダンスを踊ること。彼はこっそり踊ってビデオに撮るだけのつもりでしたが、現地に行ってみると、グラスはトラック一台分のフラダンサーとウクレレ奏者を雇い、新聞やテレビにまで予告していました。とうとう彼は、腰蓑とアロハシャツとレイをスーツの上から身に着けて、「じつに見事なフラダンス」を、金融の中心地で披露したのです。
この映像はあちこちで放映され、「頭のおかしな会長のいる会社」と笑われました。しかし、それこそが彼の狙いでした。「うまくいかない時には、衣装を着てバカげた歌を歌いなさい」——彼は後にこう書き残しています。楽しむこと、そして競争すら愉快な遊びに変えてしまうこと。それがウォルマートの精神でした。
なお『ロープライスエブリデイ』には、ここで紹介しきれなかった現場を駆けめぐる経営の実務が、まだ数多く描かれています。
サム・ウォルトンのこだわりとは?
経営の話が続きましたが、ここで少し、サム・ウォルトンという人そのものに目を向けてみましょう。『ロープライスエブリデイ』には、その人柄がにじむ習慣が描かれています。
一つは、古いピックアップ・トラックです。アメリカ一の富豪と報じられてもなお、彼は猟犬を積むためのピックアップを自分で運転し続けました。「ロールスロイスを使っているって?」と問われても、「猟犬をどう運ぶと思っているのか」と受け流したといいます。ウォルマートのロゴが入った野球帽を被り、散髪は町の理髪店で済ませる。飾らない暮らしぶりは、生涯変わりませんでした。
もう一つは、手放さない小さなノートです。彼はライバル店に入ると、注文の間隔や在庫量を店員に尋ね、その答えを小さなノートに一つずつ書き留めました。晩年は小型のテープレコーダーも使いましたが、現場で見聞きしたことを記録する習慣は、生涯続いた癖でした。
そして、自分で操縦する飛行機です。彼は複数の飛行機を所有し、自ら操縦桿を握って店から店へと飛び回りました。上空から国の風景を眺め、時にはKマートの駐車場の車の数を数える。空の上からも競争相手を観察せずにはいられない——それがサム・ウォルトンらしさでした。こうした人となりは、彼が縁を結んだ土地にも刻まれています。
サム・ウォルトンゆかりの地とは?
サム・ウォルトンの足跡は、いくつかの土地に残されています。本書の世界をより深く感じたい方のために、ゆかりの地を紹介します。
まず、生まれ故郷のオクラホマ州キングフィッシャー。農場を営む家に生まれ、大恐慌の時代に「1ドルの価値」を体に刻み込んだ原点の地です。(地図で見る)
次に、独立の第一歩を踏み出したアーカンソー州ニューポート。ここで最初の店を軌道に乗せ、そして借地契約の失敗で店を奪われるという、人生最大の挫折も味わいました。(地図で見る)
そして、ウォルマートの本拠地となったアーカンソー州ベントンビル。さびれた田舎町でやり直しを誓い、ここから世界一の小売企業が育っていきました。一号店を開いたロジャーズも、すぐ隣の町です。(地図で見る)
土地をたどると、オクラホマの農場からアーカンソーの小さな町へ、挫折を乗り越えて世界的企業を築いた、一人の商人の軌跡が立体的に見えてきます。では、その軌跡から私たちは何を学べるのでしょうか。
サム・ウォルトンから学ぶ3つの教訓とは?
『ロープライスエブリデイ』が現代の私たちに伝えるものを、ここでは3つに絞ってお伝えします。
一つめは、逆境は挑戦状として受け取るということです。ニューポートで店を奪われたとき、サム・ウォルトンは自分を責めながらも絶望しませんでした。トラブルを突きつけられた挑戦状ととらえ、もう一度、今度はもっとうまくやると誓った。その姿勢がベントンビルでの再起を生み、ウォルマートへとつながりました。挫折そのものより、挫折をどう受け止めるかが道を分けるのです。
二つめは、誰もが見ない場所に宝があるということです。大手が「人口5万人以下では無理だ」と切り捨てた小さな町にこそ、彼は膨大なビジネスを見出しました。皆が同じ方向を向いているなら、正反対に進むことでチャンスをつかむ。逆流を泳ぐ勇気が、圧倒的な弱者を世界一へと押し上げました。
三つめは、1ドルの重みを忘れないということです。彼は富豪になっても宿泊代を切り詰め、路上の硬貨を拾いました。会社が無駄にする1ドルは、そのまま客の負担になる。この徹底したコスト意識が「低価格」を支え、ライバルより一歩先んじる原動力となったのです。
これらの教訓は、ほんの入り口にすぎません。『ロープライスエブリデイ』には、ここでは紹介しきれなかったサム・ウォルトンの闘いが、まだまだ詰まっています。
この記事で語りきれなかった『ロープライスエブリデイ』の魅力
サム・ウォルトンの歩みをたどってきましたが、本書の魅力はこれだけではありません。記事では触れられなかった、とりわけ印象深い内容を3つ紹介します。
一つめは、「私を支えた10の法則」です。事業にのめり込むこと、社員と利益を分け合いパートナーとして扱うこと、経費を競争相手より抑えること——晩年の彼が自らの成功をたどって書き残した10の原則には、経営の核心が凝縮されています。
二つめは、株の公開と会社の急成長をめぐる物語です。資金不足の田舎の会社が、どのように株式を公開し、全米へと事業を広げていったのか。数字と格闘しながら会社を大きくしていく緊張感が、本書には生々しく描かれています。
三つめは、家族との共同経営という発想です。妻ヘレンの父の助言をきっかけに、彼は早くから資産を家族との共同経営の形で運営しました。会社を乗っ取りから守り、家族の絆を保つこの仕組みには、彼独自の哲学がにじんでいます。
これらのエピソードは、ぜひ本書で味わってみてください。
📚 『ロープライスエブリデイ』(同文書院インターナショナル)を読んでみる
まとめ
サム・ウォルトンは、オクラホマの農場に生まれ、大恐慌のなかで「1ドルの価値」を学び、田舎の小さな雑貨屋から世界最大の小売企業ウォルマートを築いた商人でした。
ニューポートで店を奪われる挫折を乗り越え、さびれたベントンビルで再起し、誰もが無理だと言う小さな町で低価格ただ一本に賭けて逆流を泳ぎ切りました。富豪になっても古いピックアップを運転し、ライバルの店にしゃがみ込んで学び続けたその姿は、成功とは派手さではなく、地道な執念の積み重ねであることを静かに語りかけてきます。
世界一の富豪になってなお、路上の硬貨を拾い、小さなノートを手放さなかったという事実は、経営の本質について忘れがたい示唆を与えてくれます。彼自身の肉声で綴られた『ロープライスエブリデイ』は、逆境のなかで自分の信じる道を泳ぎ切るための覚悟をくれる一冊です。
📚 『ロープライスエブリデイ』(同文書院インターナショナル)を読んでみる
よくある質問(FAQ)
Q. サム・ウォルトンとはどんな人物ですか?
A. 世界最大の小売企業ウォルマートを創業した経営者です。オクラホマ州の農場に生まれ、大恐慌のなかで倹約の大切さを学びました。J・C・ペニーで小売業を覚えたのち独立し、1962年にアーカンソー州でウォルマート一号店を開店。低価格ただ一本の商法で全米へ拡大させた人物です。1918年に生まれ、1992年に亡くなっています。
Q. 『ロープライスエブリデイ』はどんな本ですか?
A. サム・ウォルトンが共著者ジョン・ヒューイとともに綴った自伝です。田舎の雑貨屋から世界一へと駆け上がる過程が、店を奪われる挫折や、低価格への執着、逆張りの経営とともに描かれています。関係者の証言も随所に挟まれ、世界最大の小売企業の成り立ちを本人の肉声でたどれる一冊です。
Q. ウォルマートはなぜ小さな町から始まったのですか?
A. 大手が見向きもしなかったからです。サム・ウォルトンは「人口5万人以下の町には膨大なビジネスが眠っている」と考えました。ライバルが「田舎では長続きしない」と言い続けるなか、彼は逆にそこへ出店し、低価格で客を集めます。この逆張りこそが、ウォルマート急成長の土台となりました。
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参考文献
サム・ウォルトン、ジョン・ヒューイ『ロープライスエブリデイ』(竹内宏監修、同文書院インターナショナル、1992年)
